YouTubeのコメント欄に「Audio Preview」という新機能が追加された。その不必要ぶりが一部で話題になっている。名称の通り、ビデオに対するコメントをポストする前にAudio Previewを押すと、書いたコメントを音声で読み上げてくれる(日本語には未対応)。
同機能を追加した狙いについてYouTubeからの説明はないが、ネットではXKCDのWebコミックを本当に作ってしまったのではないかと指摘されている。その回の台詞は以下の通り。
男1「何をプログラムしてるんだ?」
男2「ウイルス」
男1「どんな?」
男2「YouTubeにコメントをポストしようとしたら、大声でその内容を読み聞かせるんだ」
そのウイルスに感染したYouTubeユーザーが、タイプした自分のコメントを聞いて……「オレって、こんなに低俗なの……」。PCの前を離れて「今まで気づかなかった……」と落ち込む。
ライターをやっていると、インタビューなどを録音する機会が多い。最初は自分の声を聞くのがイヤだったが、すぐに聞き慣れてしまった。それよりも問題は自分の会話を客観的に聞くと、話している時には分からない自分の愚かさに気づかさせられることだ。的を外した質問をしていたり、突っ込みが甘くてせっかくのチャンスを無駄にしていたりして、今も昔と変わらず落ち込まされる。Audio Previewも同じなのだろう。自分が書いたコメントを、音声プレビューという形で投げ返されて、初めてコメントを発する自分の姿に気づく。
面白い。だが、大方の反応は「コメントをポストする前に、わざわざAudio Previewなんて押すヤツなんていない!」である。コミックを実現してどうする……というわけだ。
GoogleもAudio Previewが本当に実用的だとは思っていないだろう。コミックのような機能を本当に設けた話題性で、スパムや荒れたコメントの影響が注目され波紋が広がる。その結果、不必要なコメントをフィルターするFirefoxアドオン「YouTube Comment Snob」のような取り組みが増えてくれればいいのだ。YouTubeだけの問題なら、無理矢理フィルターすれば解決する。それではユーザーの自由の制限になるし、ライバルサービスを含めてネット上のあらゆるコメントが正常化することで、クラウドの大きな役割の1つであるレピュテーションが正しく機能し、ネットのモラルも向上する。Googleのビジネスモデルにとっては、その方が大きなメリットにつながる。
インターネットは"全ての人に"から"全てのものに"
Googleは今年の9月に10周年を迎えた。10日に公式ブログで主要なGooglersにインタビューしたビデオ「Stories by Googlers」が公開された。前半はCraig Silverstein氏など初期からのGooglerがガレージ時代を含むこれまでのGoogleを語り、後半はKai-Fu Lee氏やVint Cerf氏がクラウドコンピューティングの広がり、惑星間コンピューティングの可能性などに触れている。ミーティング用のテーブルをピンポン台で代用して議論していた会社が、同じノリのまま10年で宇宙にまで構想を広げているところがスゴい。
Marissa Mayer氏は「インターネット検索は始まったばかり」と述べている。例えば動画や画像を検索に追加したら検索の新たな世界が広がるように、検索には終わりがない。この点についてBBCのインタビューで「検索は進化し続けるサイエンスと捉えるのが正しい考え方だ」と付け加えていた。またCerf氏は「(10年~20年後のインターネットについて) 我々はユーザーの増加を通じて、さらにインターネットに接続する異なった種類のデバイスの増加も意識していく必要がある。"すべての人にインターネット(Internet for everyone)"だけではなく、"すべてのものにインターネット (Internet for everything)"へと進んでいくだろう」と述べている。
このビデオを見て思うのは、Googleというのは流れを作る会社だということだ。コミックのようなサービスはAudio Previewだけではない。そもそもWebページを片っ端から記録してインデックス化したり、GBクラスのストレージがまだ高かったころに1GBのインボックスの無料メールサービスを開始したりなど、いずれも始まった当時はマンガみたいな話だった。Googleがユーザーに提案する新しい世界が議論を呼び、同社の一歩に周りもついてきて、いつの間にか奇抜に思えたアイディアが当たり前になっている。
今年初めの米国の700MHz帯オークションでは、Googleの通信事業参入が取りざたされた。結果的に1つも落札できなかったが、同オークションではGoogleが高い入札額を維持したため、オープンアクセス・ルールが実現した。Googleの真の目的はモバイルインターネットの普及である。オープンアクセスの意味に注目を集め、その流れを作ったのだから、落札以上の成功だったと言えるだろう。今年後半に登場したWebブラウザのChromeにしても、ブラウザ戦争と言われているが、Googleとしては全てのWebブラウザがChromeのように標準ベースでWebアプリケーションを高速に動作させられるようになるのが理想的だ。シェア獲得よりも、むしろJavaScriptの実行速度などに注目が集まるような状況をChromeがけん引すれば十分なのだ。
設立から今日に至るまでの10年、Audio Previewと惑星間インターネットのようなスケールの違いはあっても、Googleのやることは、人々のライフスタイルを好転へと導くきっかけであり続けた。そしてユーザーや開発者に対して"悪魔にならない"というのも戦略上のカギの1つ。"オープン"や"標準"を掲げながら、その流れの先でGoogleのビジネスモデルが開花する構造を実現しているのが今日の繁栄を支えている。
さて、わが家のご近所であるGoogle本社の様子は、ここ数年でずいぶんと変化した。BBCのインタビューでMayer氏が、初期の頃は週に120時間働いても不満はなかったと語っている。やりがいのある仕事と充実した環境で、素晴らしい日々だったという。その頃のGoogleは夜中に駐車場でバスケットをしている人がいたり、カフェテリアの充実ぶりが近所やライバル会社でも話題になったりと、シリコンバレーでも雰囲気の違いが突出した会社だった。
それから瞬く間にGoogleビルは広がり、今や数ブロックにわたるGoogleタウン状態である。お昼時になったらランチに向かう人たちがビル間を行き交い、午後4時頃から帰宅する人たちで周囲の道が混み始め、7時ぐらいにはひっそりとした雰囲気になる。規模、そして会社としても成長したという印象である。
ただ社員が週120時間働いてしまう学園祭ノリは影を潜めた。会社としては今のような形こそ普通であるが、この規模と雰囲気で以前と変わらぬGoogle精神が貫かれ、奇抜なアイディアを当たり前に変えてしまう勢いが維持されているのか? 大人になったGoogleが、今後も同じような影響力を与え続けられる確証は、まだ伝わってこない。