Google本社でのChrome記者会見が終了した後の、出席者と記者との雑談の様子がYouTubeにアップロードされている。Mac版の予定を聞かれたSergey Brin氏が「すぐに出るんじゃないかな」などと答えているが、その口ぶりから察するに、全く開発の進捗状況を把握していない様子……。しかしChrome投入は、計画的に進められてきたようだ。コミックを使ってChromeの概要を説明するというアイディアが出てきたのは1年ほど前。今年の3月に具体的な製作に入り、完成したのは8月。ジョーク半分でお気楽に作ったのかと思ったら、難しい技術を分かりやすく、誤解が生じないように丁寧に、そして伝えたい事柄を強くアピールできるように、綿密に製作を進めていたようだ。
Chromeコミックの作者はScott McCloud氏というベテランのコミックライターだ。作品は多くはないけれど、米国では絵を見たら「知ってる、知ってる!」という人は多いと思う。それぐらい本屋で、よく見かける。「コミックライターたちのためのコミックライター」と呼ばれ、普通のコミックよりも、コミック論やコミック学を展開したコミックの方が有名である。個人的には、同氏の作品を読むと「夏目房之介の学問」(著:夏目房之介/週刊朝日)や「サルまん」(著:相原コージ/竹熊健太郎)を思い出す。
サンディエゴでのコミックイベントで同氏の講演を聴いたことがある。ストーリーを軸に、絵や背景、線に至るまでひとつずつ分析し、読者に与える効果や意味を細かく探求するおたくぶりに感心したものだ。コミックは単なるキッズの読み物ではなく、ストーリーとグラフィックから他の手段では得られない表現や説得力が可能になると主張していた。その知識を全て注ぎ込んだら、それはスゴい作品になるのだろうと思って、コミックの方を手に取ってみたものの、どうもストーリーにのめり込めない。理論家としては一流。ただ実践に弱いというわけでもないようで、読者が夢中になるような作品を書くタイプではないということだろう。クールな視点でコミックを客観的に分析する作品では、その知識と技術が説得力につながっていて面白い。そんな人だから、Webブラウザの技術概要のコミック化には最適の作家と言える。
実際Chromeコミックは、コミック風ではあるものの、子供っぽい説明ではなく、プレゼンテーションを見ているように「なるほど~」という感じで読み進める。レンダリングエンジンやマルチプロセス、メモリーフラグメンテーション、仮想マシン、オープンソースの取り組み等々、小難しい話を扱っているけどスッと理解できるのはコミックの力と言えそうだ。
38ページは長すぎるという意見も聞かれるが、Chromeのマーケティングを担当したGoogleのEric Antonow氏がNew York Times紙に語ったところによると、Chromeの概要説明は30,000語(大げさに言っている可能性あり)におよぶという。そんな資料読みに比べれば、技術の要点をぐわしとつかみとれる38ページのコミックはありがたすぎる。
今後も説明資料はコミックで……とお願いしたいところだが、38ページに5カ月近い製作期間が費やされたように、コミックは時間がかかる。Chromeの場合は約20人の技術者のインタビューを基に、作家自身がきちんと技術を理解し、エンジニアの人柄も反映させながら、効果的な表現にまとめた。その苦労は通常の資料作りとは比べようもない。内容が専門的になればなるほど、コミックとして平易な表現で伝えるのは難しくなる。このような説明資料を、再び手にする機会は中々訪れそうにない。
郵便の発送ミスで発表前倒し
残念なのは、Chromeコミックが出されるべきタイミングで配布されなかったことだ。ChromeコミックはGoogle Book Searchで公開されているが、Webコミックではなく、印刷を前提に描かれたものだった。Chromeリリースのタイミングに合わせて、ジャーナリストやブロガーの手元に印刷版が届く予定だったのだ。ところがGoogleの郵便システムのミスで34部が予定よりも早く発送されてしまった。そのため9月1日にChromeの存在が騒ぎになり、9月3日の予定だった発表が2日に前倒しされた。本来ならば、Chrome発表に続いて、ベータ版の解説にコミックに描かれている内容が活用されるはずだったのが、逆になってしまったため、「GoogleがWebブラウザリリース」のスクープ資料になってしまった。結果的に、コミックの秀逸な中身があまり注目されていない。
伝える側のグループ向けに、分かりやすいコミック資料を用意したのは、Chromeが従来とは異なるアプリケーションブラウザだからきちんと理解してもらいたかったのだろう。また今や伝える側のグループは、以前のように難解な資料を渡しても読み解くような専門家ばかりではない。情報が広がる起点の増加に対応したマーケティングとも言えそうだ。
ちなみにMcCloud氏は、CD-ROMやネットを利用したコミックにも積極的で、エンドユーザーをがターゲットだったならば、Webコミックの手法を用いていたかもしれない。