今回は茨城県取手市にある株式会社ニッピのバイオマトリックス研究所にお邪魔して、所長の服部俊治さんにコラーゲンと数学の関係についてお話をお聞きしたいと思います。
—服部さん、本日はよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
—御社はコラーゲンを使った美容品が有名ですよね。
そうですね。私たちの会社はコラーゲンを扱うことを中心事業としています。ただ、会社としての成り立ちは結構おもしろいんですよ。弊社は1907年創立で、最初は国策会社として軍需製品を作っていたのです。この布が何かわかりますか?
—革に見えますね。
そう、なめし革です。日本の軍隊で使用する靴やかばんは、当時革で作られていました。この革を固くて丈夫なものに仕上げるためには、「なめし」という行程が必要だったんですね。植物のタンニンを染み込ませると革が固く、丈夫になる、これが「なめし」です。とても古くから知られた方法です。
—なるほど。丈夫な革は軍事的にも重要な素材だったんですね。
ヨーロッパから輸入されたクロムを使用したなめしの技術が、今も主流の方法となっています。
—そもそもどうして革をなめすと丈夫になるんですか?
いい質問ですね。動物の皮というのは基本的にタンパク質でできています。コラーゲンもこのタンパク質の1つです。コラーゲンを電子顕微鏡で見ると繊維状の分子が数千本見えますが、「なめし」とは、この分子と分子の間に共有結合の架橋を入れて、腐ったり劣化したりしないようにする作業です。昔の人は経験的にこれを行っていたんです。
—御社はそのような伝統的な「なめし」の技術から、コラーゲンの製造へと向かったというわけですか。
はい。1940年半ばまでは、なめし革を中心に研究開発をしてきたようですね。
—コラーゲンについてもう少し詳しくお聞かせいただけますか?
コラーゲンに熱をくわえるとドロドロとしたものが抽出されます。今で言うゼラチン、昔で言えばニカワですね。なめさずにコラーゲンを煮るとニカワになるんです。画材屋さんにも売っていて、日本画などで使われています。ほかにも、接着剤として古くから重宝されてきました。写真のフィルムも感光材をプラスチックの上にニカワで塗っているんです。航空写真用の写真フィルムも戦争では重要で、わが社で製造していました。フィルムにはずっと携わっていましたが、今は写真がデジタル化してしまったので、需要は少なくなってしまいました。
—たしかにデジタルカメラが今では主流となってしまいましたものね。
ゼラチンは冷やすと固まり、熱すると溶けます。コラーゲンの形が熱によって変わってしまうため、体の中にあるコラーゲンの形はわからなかったのですが、1960年代、わが社の西原富雄という研究者がコラーゲンの形を変えずにそのまま抽出することに成功しました。冷やした状態ではゼラチンはゲルですが、コラーゲン溶液はゾルです。こちらを見てください。
—なにやら糸のようなものが絡み合っていますね?
これが取り出したコラーゲンです。いったん溶液にしたコラーゲンも凍結乾燥させると繊維の状態を分子が記憶していて、このような形になります。
—コラーゲンを繊維の状態のまま取り出すと、このような形になるのですね!
そうです。本来、タンパク質は1本のアミノ酸のつながりです。これを冷やすと、全体に繊維状のネットワークをつくるので固まるんです。もちろん、条件を整えればもとの状態に戻すこともできます。これによっていろいろな状態に加工できるようになったのです。
—具体的にはどんなものに使われているんですか?
昔はこれで糸を作っていました。手術用に使用している糸です。これはもともと体の中にあるものなので、手術中に体の中に残っても分解されます。
—ということは、食用も可能というわけですか。
そうです。実はわが社の稼ぎ頭はソーセージの皮なんですよ。
—ソーセージの皮ってコラーゲンなんですか!
そうなんです。天然の豚の腸と違って、衛生面での安全とサイズの均一化が計れます。規格品ですから工場での大量生産もしやすいですし、子ども向け商品用にキャラクターなどの印刷もできます。
—知らなかったです。コラーゲンの化粧品としての効用はどのようなものなのでしょう?
コラーゲンをうまく組織から取り出せば、水に溶かすことができます。だから化粧品として製品化できたんですね。コラーゲンは肌と成分が同じです。べたつかず、保湿性がありますから化粧品にも最適です。実は炎症などの治りを早くする効果もあるんですよ。
—だからコラーゲンは飲料にもできるというわけですか。
はい。お店に出回っているコラーゲン飲料にも使われていますね。最近は食べたり飲んだりしたコラーゲンについての効果もいろいろと調べられています。
—さまざまな形でコラーゲンは使われているんですね。ところで、コラーゲンの研究を長年行ってこられた服部さんと数学との関わりはどういったものでしたか?
私は学部時代にアフリカツメガエルの卵の研究をしていました。卵が体から出てくるときのホルモンの研究です。このホルモンの研究や、コラーゲンと細胞の親和性を評価するには結合定数が大事でした。結合定数を算定するにも使いますから、数学は必須でしたね。
—どうしてカエルの卵の研究をしようと思ったのですか?
「形が変わる」ということに子どものころから興味があったのです。自ら繊維を作っていくというコラーゲンの作用に興味をもったのも、「形が変わる」ことへの興味ですね。
—「形が変わる」というのは、数学でも扱われるテーマですね。
そうですね。だから数学にも憧れていました。ルネ・トムのカタストロフィーの理論やイリヤ・プリゴジーヌの散逸構造論なども勉強しましたね。とても難しかったのでなかなかわからなかったのですが(笑)。でも「形が変わる」というのを数学でやるというのはとてもかっこいいと思いましたね。
—難しいですが、理論としてのかっこよさはたしかにありますよね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
「形が変わる」ことへの興味で、研究を続けてきた服部さん。子どもの頃の純粋な興味を持ち続けることで優秀な学者になった方はいっぱいいます。タンパク質と繊維の関係も新鮮な驚きを覚えるもので、とても素敵なお話を聞かせていただくことができました。身近な疑問を追求する研究の姿勢が、社会に役立つ事業につながっていくものなのですね。服部さん、コラーゲンと「形が変わる」ことへの興味深いお話をありがとうございました!
今回のインタビュイー
服部 俊治(はっとり しゅんじ)
医学博士。ニッピ・バイオマトリックス研究所所長。
1985年東京医科歯科大学大学院修了、同大学助手。1989年ニッピ入社。この間1990年~93年フレッドハッチンソン癌研究所客員研究員。2008年より現職。大学院以来、一貫してコラーゲン研究に従事。趣味は水泳と混声合唱。
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