日本のスポーツ報道ではあまり馴染のない言葉だが、欧米のプロスポーツのビジネスシーンでは「プロジェクト」という言葉が、クラブやメディアを通じてよく聞こえてくる。

サッカーにおいては「経営」と「現場(トップチーム・アカデミー)」の双方の領域においてプロジェクトが存在する。

例えば経営面で言えば、UAEの投資グループによるマンチェスター・シティ(2008年)、カタール資本によるパリ・サンジェルマン(2011年)など、近年では「中東マネーによる買収」が目立つ。ただし、海外資本を受け入れ、買収されたものの失敗に終わるケースも少なくはない。トップチームの成績が新オーナーの意向にそぐわず、監督解任劇などのドタバタを繰り返し、挙句の果てに下部リーグに降格(ブランド価値の低下)……。どの事業への「投資」にも失敗のリスクが付き物である。

この回からご紹介するアーセン・ベンゲル(フランス国籍)は、プレミアリーグ(イングランド)の名門アーセナルをビッグクラブへと引き上げた「現場プロジェクト」の成功者であり、その手法は世界中のサッカー関係者・ファンから称賛されている。また、彼の手腕が卓越しているのは、現場のプロジェクトを成功に導くだけではなく、経営陣と密な関係を維持しながら、経営面でも着実な成功を収めている点にある。

著者プロフィール

鈴木英寿(SUZUKI Hidetoshi)


1975年仙台市生まれ。東京理科大学理学部数学科卒。専門誌編集記者を経て、国際サッカー連盟(FIFA)の公式エディターに就任。FIFA主催の各種ワールドカップ運営に従事する。またベガルタ仙台(J1リーグ)のマーケティングディレクター、福島ユナイテッドFC(JFL)の運営本部長などプロクラブでも要職を歴任した。

現在は英国マンチェスターを拠点にイングランドと欧州のトップシーンを取材中。

Twitter: @tottsuan1

フランス人監督ベンゲルに浴びせられた世論

まずは1996年10月まで時計の針を巻き戻してみよう。

名古屋グランパスの監督を経てロンドンにやってきたベンゲルの挑戦は、英国紙が掲げた『どのアーセンだ?』という辛辣な見出しとともに始まった。

当時、イングランドのサッカー界はスピードとパワー任せの旧態依然とした戦術が幅を利かせていた。就任当時、プレミアリーグの指導者のうち英国人以外、つまり外国人はベンゲルを含めてわずか2人。およそ半数の指揮官が外国人で占める現在からは考えられないことだが、当時このフランス人はまぎれもない「異物」であり、前職が東洋の新興リーグだったこともあって、その手腕に懐疑的な識者は少なくなかった。

だが、招聘に一番理解を示したのがクラブのトップだった。ベンゲルがまだフランスリーグの監督だった時代から彼を取材してきた、アレックス・モンゴメリー(元イングランドサッカー記者協会会長)の著書『プレミアリーグの戦術と戦略』(ベスト新書、筆者拙訳)には、こんなコメントが紹介されている。

「アーセン・ベンゲルは偉大な成功者になると信じている。そして、この国のフットボールを21世紀のものへと変えてくれるだろうとも期待している。我々イングランド人は、自国が欧州最高であると自分たちに言い聞かせてきたが、それは現実ではない。大陸の国々に追いつかなければならないのだ。ベンゲルはその手助けをしてくれるだろう」(ピーター・ヒルウッド会長)

アーセナルの会長は明確な改革目的のもとにフランス人監督を招聘し、このビジョン実現をクラブ全体のプロジェクトと定めたのである。

ベンゲルが着手した改革の内容

ベンゲルがその後残した功績は以下の3点に集約できる。

  • (1) 科学的手法に基づく体調管理の徹底
  • (2) パスサッカー主体のモダン戦術への転換
  • (3) 独自のスカウト網による優れた若手の発掘・育成

一般企業で言えば、(1)~(3)はそれぞれ

  • (1) 最先端の品質管理・商品管理により商品の鮮度を上げる
  • (2) 古くなった商品ブランドを最新のものへと切り替える
  • (3) 商品の仕入れルート・商品調達の情報網を独自ルートで開拓する

といった言葉で置き換えられるだろう。ここでの「商品」とは選手のパフォーマンス、チームのパフォーマンスに相当する。

(1)の「科学的手法に基づく体調管理の徹底」だが、今でこそ当たり前となった「アルコールの徹底禁止」「ジャンクフードの禁止」「ケチャップやマヨネーズの禁止」といった禁止項目が次々とクラブ内に導入され、専門の栄養士による食事管理が徹底された。また、専任のマッサージ師もクラブ史上初めて採用され、ベテラン選手でもきめ細かいボディケアを受けられるようになった。さらにスポーツ科学を駆使した様々なトレーニング、体調管理、栄養管理が徹底されていく。アーセナルはイングランドで最先端のスポーツ科学が導入されたクラブとなった。

この効果が顕著に表れたのは、ベテラン選手たちだった。30歳を超え、峠を越したと思われた選手たちが、試合終了間際になっても走力が衰えることはなくなったのだ。当時のイングランド代表合宿では、他クラブ所属選手たちからアーセナルの選手たちに「お前のところではどんなトレーニングをしているんだ?」という質問が相次いだという。

アーセナルの本拠地エミレーツ・スタジアム

「狂った気持ちで取り掛かる必要があった」

(2)の「パスサッカー主体のモダン戦術への転換」と(3)の「独自のスカウト網による優れた若手の発掘・育成」はサッカーの専門領域に深く立ち入る話となるので、この稿では割愛するが、これらの改革をベンゲルがどんな気持ちで行っていたのか、本人の述懐をお聞きいただきたい。

「あの時のアーセナルでの仕事は、少し狂った気持ちで取り掛かる必要があった。無名で、外国人で、実績がなかったわけだからね。狂った気持ちというのは大げさかも知れないが、勇気を伴う仕事だったことは間違いない」(『プレミアリーグの戦術と戦略』より引用)

「狂った気持ちで」という言葉に、現場でプロジェクトを遂行するリーダーの決意が凝縮されている。こうした固い決意で改革を推し進めていった結果、アーセナルはベンゲルのもとで3度のプレミアリーグ優勝、4度のFAカップ優勝を成し遂げているのだ。

ベンゲルのプロジェクトが成功した背景には、組織トップに明確なビジョンがあったことを忘れてはならない。あえて突き放した表現を使えば、いかなる名将といえどもクラブ組織から見れば一介の「従業員」であり、クラブのビジョンに則ってプロジェクトを遂行しなければならない立場にある。現場プロジェクトの成功は、組織トップのビジョン抜きには成功しなかっただろう。仮に会長が気まぐれな性格だったり、クラブ組織全体がプロジェクトに本腰でなかったりすれば、異分子的存在だったベンゲルは早期解任されたとしても不思議ではなかった。

組織トップの信頼を得ることがスタートライン

「自分はオリジナルな仕事をするためにいろんなことを勉強してきたのだ」
「クリエイティブな仕事こそ、自分の天職だと思っている」
「一介のサラリーマンでは我慢できない。自分で主体的に取り組める仕事がしたい」

才能あふれるビジネスパーソンがそう決意して仕事に取り組もうとしても、己が属する組織トップのビジョンと自分がやりたい仕事の方向性が合致しなければ、単なるエゴの発散で終わってしまう。

ましてや、現場のプロジェクトは、組織トップから「君は偉大な成功者になると信じている」と信頼されることがスタートラインなのである。そのことをベンゲルの事例は教えてくれている。