私は現在、イングランド・プレミアリーグを取材中であるが、この国は「サッカーの母国」であり、なおかつトップリーグは世界的人気を博している。ではこのリーグのプロ監督たちから、我が国日本のビジネスパーソン・管理職は何を学べるのか。これが、本連載全体に底流するテーマとなる。
第1回目の今回は「用語」の説明で終わる。だが、この用語を整理していくだけでも、ビジネスパーソン、特に管理職の皆さんはサッカー監督が「自分と似た境遇」であると実感できるだろう。
著者プロフィール鈴木英寿(SUZUKI Hidetoshi)
1975年仙台市生まれ。東京理科大学理学部数学科卒。専門誌編集記者を経て、国際サッカー連盟(FIFA)の公式エディターに就任。FIFA主催の各種ワールドカップ運営に従事する。またベガルタ仙台(J1リーグ)のマーケティングディレクター、福島ユナイテッドFC(JFL)の運営本部長などプロクラブでも要職を歴任した。現在は英国マンチェスターを拠点にイングランドと欧州のトップシーンを取材中。
欧州クラブの運営形態と、監督のポジション
そもそも、「クラブ」とはどんな組織なのだろうか。
スペインなどでは、会員組織によるクラブ運営も行われており、レアル・マドリーやFCバルセロナの会長は会員選挙によって選ばれる。
イングランドでは、株式会社による運営が主流である。現在、香川真司(日本代表)が所属するマンチェスター・ユナイテッドは、年商400億円を超える規模の会社であり、かつては完全な公開株式会社だった。その後、アメリカ人オーナーが株を買い占めたが、昨年、ニューヨーク証券取引所でIPO(新規株式公開)を行い、資金調達に動くなど、その組織はまさしく「国際的企業」である。ちなみに、ユナイテッドはアジアマーケティング強化を目的として、昨年、香港にオフィスを開設している。
さて、その運営会社において、監督はどの「部署」に位置付けられているのだろう。
クラブには、大きく分けて「フロント」と「現場」の二つのカテゴリーが存在する。
フロントとは、「本社・本部」や「首脳陣」を意味するフロント・オフィス(Front Office)から来た言葉である。ちなみにこの言葉は、イギリスではほとんど使われない。
日本語における「フロント」とは、試合運営やチケット販売を担当する「事業」、スポンサーなどの「営業」、チーム・選手の肖像権管理と取材管理・メディアとの間に介在する「広報」、そしてクラブの地元地域と連動した諸活動を担う「地域貢献」といった部署を総括する言葉として使われる。
このコラムでいう「監督」が所属するのは、現場の「トップチーム」である。
現場は、上から順にトップチーム(プロ選手)、アカデミー(日本では高校生・中学生・小学生)、スクール・普及といった部署に別れ、世代が下るにしたがって選手数が多くなるので、よく「ピラミッド」型で表現される。
製造業にたとえると、監督の職務は……
このフロントと現場の関係を製造業にたとえてみよう。
現場の「工場長」(監督)は、常に良い「商品」(良質なチームパフォーマンス、勝利という結果)を生み出す重責を担う。
イングランドにおける監督は、他国リーグとは趣が異なり、この工場における「開発部門」と「部品調達部門」の権限と責任も与えられているのが特徴である。それゆえ、この国での監督はコーチ(Coach)ではなく、マネージャー(Manager)と呼ばれる。
開発部門の仕事とは、アカデミー組織という「開発部門」から良いオリジナル商品(自前で育てた選手)が生まれるための人事・手法の管理を指す。部品調達部門の仕事とは、他の会社(他のクラブ)から良い商品(即戦力)なり、良い素材(将来の戦力)を移籍マーケットで獲得し、商品の魅力をさらに磨き上げる(チームを補強で活性化する)ための人事・手法の管理を意味する。
サー・アレックス・ファーガソン(マンチェスター・ユナイテッド)、アーセン・ヴェンゲル(アーセナル)といった著名監督は、トップチームのみならず、こうした分野においても全権を与えられ、チームを常に強化し、結果(タイトル)を残してきた。
ファーガソンとベンゲル、2人の監督の大きな違いは?
工場長たるマネージャーの仕事は、これだけにはとどまらない。
ファーガソン監督は、「ファンを増やす」こと、すなわち「消費者を増やす」ことに意欲的な監督である。
ジェイムズ・ボンド役で有名なイギリス人俳優ダニエル・クレイグの母親に会った時などは「是非、観戦に来て下さい」と誘うなど(これはクレイグが他クラブのファンであるため母親に断られたが)、積極的にファン拡大に努める、社交的な一面がある。
それゆえ、フロント部門との連携もよく、グローバルなファン拡大のために、毎年強行軍を組んでシーズン前の合宿ツアーに出ている。ちなみに今年は、7月13日のタイ・バンコクから始まり、20日にはオーストラリアのシドニー。23日には横浜、26日は大阪と日本を転々とし、29日には香港を訪れる。
マンチェスター・ユナイテッドは、年商約400億円を超える規模だが、イングランドで2位の年商はアーセナルの約280億円だ。後者の関係者に言わせると、「ボス(監督)がフロントの要望をあまり聞いてくれず、選手のプロモーションがあまり出来ない」という愚痴がこぼれてくる。
工場で良い商品を作るのは評価できる。だが、それを売るためのプロモーションを全力で行わなければ、利益は伸びない。この点、マンチェスター・ユナイテッドは、卓越したブランディングと徹底したグローバルマーケティングで年々収益を上げてきた。
フロントと現場――。この両者の関係は、製造業における生産部門と、マーケティング部門との関係に似ているかも知れない。
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現在、欧州のトップレベルの監督は、良い商品を提供するだけではなく、マーケティング的なマインドも要求されるようになってきている。
「そんなの、あまりにも違いすぎる世界だ」とお手上げにならないでいただきたい。
どんなエリート監督であっても、クラブ組織全体から見れば、彼らは雇用者である経営陣と契約を交わした「雇われの身」であり、常に経営陣から「結果を求められ」、なおかつ「部下の管理」にも責任を持つ、一部門の管理職に過ぎない。上を見上げればCEOなどの経営陣の顔をうかがわなければならず、下を見れば、わがままな若者たちが不服そうな顔で仕事場に現れる。
そう、プロ監督と一般企業のビジネスパーソン・管理職との間には、組織の種類こそ異なるものの、役割の意味合いにおいては、大きな隔たりはないのである。
次回以降は、そんなプロ監督たちを様々な角度から切り取っていこう。