以前の投稿で「日本発の技術的先進スタイル」について話をしたが、今回は仏教の禅や武士道といった日本的思想が、SOAを組織に導入する方法としてもいかに理にかなっているか、という点について考えてみよう。私はとくに信仰心の篤いほうではないが、シリコンバレーにある観音堂の禅センターで何時間にもわたる瞑想の修行をした経験があり、自分の一族の伝統にちょっとした親近感を抱いている。

SOAへのサムライ的アプローチ

私の一族の宗門は、日本での主要な仏教の宗派のひとつ、曹洞宗だ。曹洞宗は何よりもまず「次第に悟りに達すること」を信条としている。「一気に悟りにいたる」ことを信条とする臨済宗とは対照的だ。

臨済宗では、公案という合理的説明には収まらない問答(有名な例をあげるなら、「片手で拍手すると、どんな音がするか」)を集中的に考え抜くことで、いつしか超越的な瞬間が訪れ、そのときから心は論理を離れ、悟りへといたるのだという。

SOAの公案があるとしたら、さしずめ「SOAのビジネス的価値とはどんなものか」だろうか。

この問いかけにたやすく答えられるなら、すべての存在は悟りに達し、すべての企業は完全無欠のアーキテクチャを達成するだろう。けれども実際のところ、この公案を考え抜くのは実に難しい。その価値とは敏捷性のこと? ビジネスプロセスを構築するコンポーネントの再利用性? ITオペレーションの劇的なコスト削減? そういった理念のそれぞれもまた公案のようなものだ!

臨済宗は久しく武士の階級とともに歩んできた。一撃必殺の哲学には、一気に悟りに達するという思想と相通じるものがある。戦いのさなかの太刀の一振り、座禅のさなかの警策の一打。武士を大地の縛りから解放するには、それで十分なのだ。

これに類するサムライ型SOAが、2007年から2008年にかけては優勢だった。けれども目下のところ、それはかなり厳しい批判に晒されている。中にはこれを「ビッグバン」型SOAと呼ぶ者もいる。巨額の予算と巨大なSOAコンピテンシーセンター、そして将軍様くらいしか望まないような命令/制御インフラが必要とされたりする。

SOAへの農民的アプローチ

曹洞宗の高僧にもたしかに著名な武士はいたが、曹洞宗自体は武士階級とはまったく関係がない。それは伝統的に、貧しい農民にかかわってきた。

農民は辛抱強い。彼らは畑を耕す。日の出と日の入り、季節の移り変わりを熟知している。適した時期というものを心にとめ、適した時期に的確な方法で耕作することが重要になる。冬に土地を耕しても仕方がない! 農民は環境への鋭利な感覚を身につけ、自然のあらゆる事物の相互関係を理解する。

グローバルに考え、ローカルに行動する

環境保護運動でよく言われる金言に「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」というのがある。つまり、環境への影響に思いを馳せながらも、世界を一挙に変えようとするのではなく、できることから行う、ローカルな環境から変えていく、ということだ。「ジュースの缶は自分の手でリサイクルに出してくださいね」とか。

企業のアーキテクチャの観点からしても、これは実に優れた提言だ。企業のシステム設計者は、もともとグローバルに思考する人々だ。2008年にはシステム設計者の多くが、そのグローバル思考を企業全体に広げていた。それはごく自然な流れでもあった。なぜかというと、ITの「全体的な」状況把握ができてこそ、サイロ化した組織の非効率性も認識できるようになるからだ。

同族集団というものはビジネスユニットに限らない。そういう集団は単一ソフトウェアベンダの「プラットフォーム」を中心に形成されることもあるし、地理的な境界を越えて形成されることもある。システムインテグレータを集めたりして複数の企業が共同でコトにあたる場合、雇用主が率先して作ることもある。省庁や部局にまたがる場合もある。

そこで最初に気づくことのひとつが、同族意識の非効率性と、それに付随する「こちらが良ければ後は知らぬ」式の慣習だ。『誰でもわかるSOAの適用』(原題: SOA Adoption for Dummies)という私の著書では、基本テーマのひとつがそれだった。ちなみに同書の邦訳が今春に刊行の予定だ。とにかくこれはグローバルな考え方ではある。地球規模ではないにせよ、少なくとも企業全体の規模での。

人は戦うために同族集団を作ろうとするが、人に本来備わっているそういう性向を乗り越えることが、完全無欠な組織を作るための禅思想となる。完全無欠な組織とはつまり、技術との調和、相互の調和にもとづく組織だ。

完全無欠な組織は刀を振り回したり軍事力を整えたりしても達成「可能」かもしれないが、2009年はそういう時期ではない。予算はカットされ、組織の志気も下がり、人々は不況時の思考様式に陥っている。

2009年は「次第に覚醒していく」時期だ。つまり、企業のあらゆる部分が、全体のサバイバルに貢献することを悟る頃合いだ。つまり、物事の相互の関係、社会全体の中での自分たちの役割について悟るのだ。「サービス」指向という言葉がコンポーネント指向だけを意味するのではなく、実際には奉仕したいという人の欲望が企業のサイバネティックシステムの重要な一部をなしていることや、同族意識がいかにそれを妨げるかについて悟るのだ。企業が全体として外部世界にサービスを提供する能力は、もはやマージンを増やすといった問題ではない。それは絶対的な生き残りの問題だ。

カルマへの意識を養う

意識を高める方途のひとつに、行動にかかわるコストを詳細に吟味する方法がある。経済学では「外部効果」を、経済的意志決定に直接かかわらない任意の当事者への影響、と定義している。古典的な例として、なんらかの製造過程がどれほどの公害を引き起こし、近隣住民に多大なコストを課すかが挙げられたりする。

みなさんの組織でも、同族意識による行動が、いかに企業内部の他の組織に悪影響を及ぼしているかを調査してみてほしい。まずはそれらのコストを算定し、結果を上司に示してみよう。

仏教では、私たちはみな互いにつながっていて、自分の行動の影響はいつしか自分のところに戻ってくるということを、カルマの法則という概念で表している。もし私たちが、政治的駆け引きや自分勝手な行動を他の組織にも広げているのなら、私たちはみずからの環境を劣化させ、外部世界に向かってサービスを提供しようとする企業の能力をも低減させていることになる。やがてそれは確実に自分たちのところにも戻ってきて、自分自身の心の平静を乱し、自分の組織にもマイナスの影響を及ぼすだろう。組織によっては、それに対応しようといっそう政治的駆け引きに精を出し、サイロ化した組織同士がさらに熾烈な戦いを繰り広げるかもしれない。そのような悪循環が行き着く先は、組織の「デススパイラル」でしかなく、最終的には企業そのものを崩壊させてしまいかねない。

2009年に私たちが必要とする変化を言い表すなら、私たちは悪循環ではなく好循環を作り出さなくてはならない。改善(継続的な改良という意味のその日本語は、ひとつのビジネス哲学でもある)の精神をもって、まずは外部効果、つまり同族意識による行動が組織にもたらす有害な影響を認識するところから始めよう。それらを算定すれば、そういう毒素のビジネス上の認識を高めることができる。さらにその算定結果を意思決定者側に示せば、企業の調和の再建にも貢献できる。そうすれば、企業が外部世界に奉仕する姿勢も高まり、「悟り」型のサービス指向が真に達成されていくだろう。

サイロ化したITシステムはよく"バベルの塔"にたとえられる。だが神の怒りを受けた塔とは違い、ITシステムの場合は肥大化した自身の重みと内部抗争が崩壊を招く。それを防ぐには、組織内において、あいまいな妥協ではなく、本当の意味での調和が必要になってくるはずだ。いま一度、生き残るためには何が必要なのかを自分自身に問いかけたい

本連載は今回をもって終了となりますが、ミコ・マツムラ氏のブログはこちらで引き続きチェックできます。SOAやBPMの導入を検討している方、SOAの本質を理解したい方に、最適のTipsが満載です。

本連載をご愛読いただき、ありがとうございました。

(翻訳: 嶋崎正樹 / イラスト: ひのみえ)