人間が本来もっている「感じる力」のすごさ

連日、高校野球の熱戦が繰り広げられていますが、野球に限らず、スポーツ観戦をしていると「どうも勝てそうにないなあ」とか「うん、今日は勝てそうだ!」と思うことがあります。皆さんも同様の経験をお持ちではないでしょうか。「このロングパットは決まる!」「点が取れそう!!」……そんな雰囲気を私達は実に敏感に感じ取っています。スポーツ観戦以外でも「これはいい」「あれは悪そう」といった肯定/否定、日常的、職業的感覚を問わず、人間の「感じる力」は本当にすごい能力なのです。

税務の世界でも、脱税を図って現金などの財産を物理的に隠す人たちがいます。コンクリート敷きになっている自宅駐車場の下、庭の灯籠、グランドピアノなどの中に現金を隠したり、壁の中や床下に隠し金庫を作って隠す場合もあります。隠す場所にも驚きますが、もっと驚くことに、ベテラン調査官になると家の玄関に入った瞬間、「怪しい場所」がわかるというのです。

今回は、こうした熟練の経験から導き出される研ぎ澄まされたカン…とまではいかなくても、通常我々が持ちうる「流れを感じる力」を事業の中で生かそうというお話です。

強みと弱みが「事業の流れ」を作る - 不幸な出来事が教えてくれたこととは

A社はクライアントの製品の販売について業務委託契約を結び、販売契約締結の際に成功報酬として手数料を受け取る営業請負会社でした。今から10年ほど前の設立当初はコピー機、通信機器の営業販売を請け負っていて、従業員2名ながら1億円を売り上げる高収益企業でした。

その後、従業員も売上も順調に増えましたが、売上8億円を天井に下降し始めます。売上減少の主たる原因は競合会社が増えたことによって成功報酬が見直され、結果、手数料収入が減ってしまったためです。さらに好調時と同様の経費支出をしていたため、企業収益性もきわめて悪くなってしまいました。

とうとう売上高も2,000万円にも満たなくなり、従業員も設立時の2名だけとなりました。その後は営業請負だけでなく、A社が事業主体となり健康器具の販売、化粧品の販売、アロマエステ店経営とさまざまな事業を仕掛けていきますが、どれもまったくうまくいきません。なぜでしょうか。

実は、この会社の本質的問題は地に足を付けた「事業実務力」のなさなのです。

営業を請け負う会社ですから、2人はとても精力的かつ迅速な活動ができ、顧客に対する提案も実に巧みです。いわゆる「おいしい仕事」を探す力、そうした仕事を引っ張ってこれる人脈はさすがです。そこから事業の青写真を描くまではすばらしいのです。

ところが、事業計画を実行するにあたっての事業構築力、実務力に欠けるのです。化粧品の販売を例に挙げると、当時まだ日本法人のないドイツ製完全自然化粧品(食べても無害というものでした)を代理店形式で販売するという「事業概略設計」まではいいのです。その後の

  • 代理店になる方への実務研修
  • 商品の具体的広告宣伝の仕方
  • 代理店および本体会社の採算性

といった「事業実務設計」がきわめて弱く、なかなか事業が軌道に乗りませんでした。さらに残念なことに、そうした点についての私の助言もなかなか聞き入れてもらえませんでした。

そうした状態が4 - 5年続いた後、今度こそ上手くいきそうな「おいしい仕事」が舞い込んできます。今までない画期的な美容健康器具の販売を請け負う、本来彼らが得意とする仕事です。

しかし、順調に営業請負の仕事が立ち上がりかけた矢先に社長が事故に遭い足を骨折、さらには事業パートナーである副社長の父上の病死など不幸が続きました。散々の失敗を繰り返し、ようやく事業が立ち直りを見せた矢先の出来事に社長はがっくり肩を落としてつぶやきました。「どうしてこう上手くいかないんだろう…」「なんて運がないんだろう……」社長の愚痴をさんざん聞いたうえで私は社長にこう言いました。「ゆっくり、じっくり慌てず取り組みなさい、という神様の思し召しだとは思いませんか?」

先述の弱点と同様、この会社の問題のひとつが段階を踏んで仕事に取り組めないことなのです。極端なたとえをすれば、ビルを建てると決めたら基礎も不十分なうちからブロックをどんどん積み上げてしまうのです。継続安定的に右肩上がりの成長する事業などあり得ません。ときに上下を繰り返しながら、または階段式に上昇する右肩上がりのはずです。今回の一連の出来事は、事業の方向性の是非ではなく方針の是非が問われたのだということに気づいて、弱点を克服するための「贈り物」と考えてほしかったのです。

ましてや、A社の場合、今回の事故や不幸によって当初の請負期間が延長となってしまうものの、これによって依頼主から営業請負の契約が破棄されることもなく、罰金もないのです。依頼主は、A社に対して絶大な信頼を置いていて、今回の件によって依頼主からの信頼を損なったりはしませんでした。実質的な損害は、請負期間が延長となってしまうことで売上が繰り延べられてしまうだけなのです。「もう神から見放された…」などと嘆く必要は何もありません。

自分の身に置き換えてみても、物事がうまく立ち行かず「どうしてこんなことになってしまったのだろう??」と思うことがあります。でものちによく考えてみると「今にして思えば自分にとって必要だったんだ!」と気づきます。よく言われるように、現在(present)は本当に贈り物(present)なんだなあと痛感した出来事でした。