重加算税は"見解の相違"?

今回は、税務調査という観点から「税務上の道徳」を考えてみたいと思います。近年、同僚の税理士から「最近の税務調査は厳しくなった」という声をよく聞きます。私自身も調査立ち会いの際、そうした傾向を感じます。もちろん法律に照らし合わせて調査をするわけですから、厳しいのは当然のこととしても、以前は指導("以後気をつけてください")にとどめられていた程度のことでも否認("認められないので修正申告してください")に繋がったり、また、とくに利益の出ている法人に対しての調査は容赦ない感じがします。

よく新聞で「税務調査で、×億円の不正取引発覚」「○年間で□億円の所得隠し」など、税務調査に関する記事を目にすることがあります。そして税務調査を受けた法人の話として「課税庁とは見解の相違があったが修正申告に応じた」のように載っています。この場合、記事の中に「重加算税を含め×億円追徴課税」のように"重加算税"という言葉があったなら、会社の節税行為が否認されたというより、課税庁は「悪質な租税回避行為または脱税に近い行為と認定した」といことなのです。重加算税とは、納税者が「隠ぺいまたは仮装」という不正な行為に基づく計算により過少な税額の申告をした場合などにおいて、一種の罰金として課せられる行政上の制裁であるからです。

ここで、税務上の"道徳"という観点から、脱税(脱法行為)と節税(合法行為)を考えてみましょう。私が税務上の道徳と考えるの基準は、課税の趣旨に合致しているか否かであり、「納税者が本来払うべき税額はいくらか?」です。

"実務"と"道徳"のせめぎ合い

例を挙げます。

日ごろから懇意にしているお客さんを高級クラブで接待することになりました。商談も無事済み、その日はいい気分で帰宅しました。翌日、経理担当者に領収書を渡そうとして財布の中を見ると領収書にはお店の名前の記載はあるものの、日付も金額も入っていません。お酒も入っていたのでなぜ「空」の領収書なのか、事情はまったく思い出せないのですが、支払った金額だけは8万円とはっきり記憶しています。もちろん「空」の領収書では経費=交際費として認められません。さて、ここで考えてください。経営者であるあなたはどうしますか?

  1. 自らの個人負担として費用計上をあきらめる
  2. 費用として計上するためお店に再発行してもらう
  3. 昨日の日付と金額(8万円)を自分で書いて費用計上する

1、2であれば問題ないですし、そうすべきなのは言うまでもありません。問題は課税道徳上、3を可するか否かです。「自分で書くのは良いことではないのはわかるが、書いた日付、金額は事実なのだから税務道徳上認容されるのではないか」- 私もそう思います。

では、仮に自分で書いた領収書を課税道徳上認容されるものとした場合、税務調査上はどうでしょうか。中小企業に対する税務調査の際調査官は、社長、経理担当者など会社の現金を扱う人の筆跡を確認しています。つまり上記の例で社長自ら書いた領収書であることは、調査官が見ればわかります。もちろんそうした領収書が一枚なら指導程度で否認はしないかもしれません。「だめですよ、こんなことしては。今回は見なかったことにしますけど、今後こうしたことがないよう気を付けてください」- でも、これが10枚あったら悪質として否認するでしょう。この場合、役員に対する賞与と認定されることになり、法人税だけでなく所得税も課税されることになります。

したがって、実務を考えたときに「昨日の日付と金額(8万円)を他の人に書いてもらって経費計上する」というのが、問題を起こりづらくする方法なのです。

課税の趣旨からして本来支払うべき税額はいくらか、これから逸脱していないのなら課税道徳上多少の操作は認容されるのではないか - これが今回、私が申し上げたかったことです。先の例で言えば、領収書に書く金額を12万円としたら、もちろん課税道徳上許されないこととなります。こうした行為を仮に続けたとしたら必ず自分の中に大きな罪悪感が残るはずです。

「いや、いやこれぐらいの金額大丈夫」「みんなやっていることだから気にしなくていいんだよ」-- こうした考えは、罪悪感を感じている自分を正当化するために過ぎません。自分の心の奥に後ろめたい感じがずっと残ることになり、経営上間違いなくマイナスとなるのです。

「12万と書いてもいいじゃない? どうせ見つかりゃしないよ」という悪魔のささやきに迷いそうになったなら、自分の心に訊いてみてください。そしてイヤな感じがしたのなら、決して選択しないことです。

迷ったら自分の心に聞け!

これが正解です。

「誰にもわからないからいいだろう」という考えは、いつか必ず良くない形となって経営に跳ね返ってくる。迷うくらいならやらないほうが無難かも