InfineonがCypressを買収

先日、いきなり「ドイツのInfineonがCypressを買収」、というニュースが目に飛び込んできた。一兆円を超える大型買収計画の内容をみると、車載半導体での優位性を目指した補完的な関係ともなりそうで、独禁当局の審査を得て成立すれば、この分野でInfineonの影響力が増すことになる事は容易に想像できる。

ここ数年の車載半導体に関連する大型買収ケースを見てみると、NXPがFreescaleを買収、QualcommがNXP買収に失敗、RenesasがIDTを買収、とかなり急激な業界再編が起こっており、もうそろそろ落ち着いたかと思った矢先だったのでかなりびっくりした。しかし、これでまたシリコンバレーの老舗企業のブランドがなくなると思うと、少々寂しい気持ちになる。

買収する側のInfineon Technologiesは、実は源泉をたどるとドイツSiemensで、Siemensは1999年に半導体事業をInfineonとして分社。そこからさらに事業スピードが異なるDRAMビジネス部分をQimonda(2006年創立、2009年に事業破綻)として切り離し、パワー半導体とマイコンを中心とした事業体へと変貌を遂げ、現在に至る。その点Cypress Semiconductorは1982年にシリコンバレーに創立され、それ以後創立ブランドのままで頑張ってきた老舗企業である。

参考:巨人Intelに挑め! - 80286からAm486まで 第10回 番外編 - シリコンバレー企業の系譜

ノーベル賞受賞者のショックレーがそれまでサクランボ畑だったシリコンバレーに半導体会社を創設して、その後Fairchildが誕生し、それからAMD、Intelなどがスピンアウトした。これらの第三世代のシリコンバレー企業から見れば、AMDからスピンアウトしたCypressは第四世代にあたる。しかし今となっては創業37年のベテラン企業である。

私がAMDに勤務していた頃は高速SRAM、プログラマブル・ロジックなどの分野で競合関係にあったと記憶しているが、その後AMDがマイクロプロセッサーに注力するに至って、競合関係はほとんどなかったと言ってよいが、AMD社内では何かとCypressの名前を聞いていた。と言うのも、CypressはAMDからスピンアウトしたTJ・ロジャーズによって創業されたが、このTJ・ロジャーズとAMD創業者のWJ・サンダースは犬猿の仲で、この二人の関係はシリコンバレーのローカル紙"サンノゼ・マーキュリー紙"などにゴシップ的に度々取り上げられていたからである。

  • Cypress

    Cypressは第三世代のAMDからスピンアウトした今となっては数少ないシリコンバレー企業の一社である。ショックレー研究所から生まれたFairchildは現在、Motorola系の流れを汲むON Semiconductorの一事業部となり、LSI LogicはAvagoに買収され、National SemiconductorはTexas Instrumentsの一部となった (著者所蔵イメージ)

AMDのサンダースと犬猿の仲だったシリコンバレーの名士TJ・ロジャーズ

私がAMDに入社した1986年にはCypressはすでに独立した半導体ブランドとなっており、そのいきさつは社内で聞いた話でしか知らないが、ロジャーズはAMDに入社して間もなくの早い時期から創業者のサンダースと技術の方向性などで意見が合わず、良く衝突していたという。

業界でも有名なパワーボスであるサンダースとぶつかるというのだから、相当の自信家・野心家であろうと伺えるロジャーズはスタンフォード大学出身の優秀なエンジニアでもあった。

その後業界標準となったCMOSトランジスタの先駆けとも言える、VMOSトランジスタ("V"の形をしたMOSFETらしいが、技術者ではない私には詳細は分からない)の発明者で、この技術をAMDが採用するべきだと主張して、当時バイポーラ・トランジスタに注力していたAMDのサンダースと衝突したらしい。

AMD時代、その後も私はついぞTJ・ロジャースと面識はなかったが、小さいながらも、急成長したCypressは、1990年代のFORTUNE、BUSINESSWEEKなどの米国のビジネス誌によく取り上げられた。というのも、創業者のロジャーズが当時にはすでに大企業となっていたAMDやIntelなどのシリコンバレーの代表的企業を"官僚的だ"などと盛んに批判したからである。当時ロジャーズはシリコンバレーの"悪ガキ"として知られていた。

  • TJロジャーズ

    AMDの創業者サンダースと犬猿の仲だったTJ・ロジャーズ (著者所蔵イメージ)

ロジャーズは独特の企業哲学を持っていた。「シリコンバレーの半導体企業は規模が大きくなると開発スピードが遅くなる」と考え、Cypressの事業規模が大きくなってもあくまで独立採算の事業部制としていたという。

また、政府行政などとの関係も極端に嫌っていたので、多くの米半導体企業が加盟する業界団体SIA(Semiconductor Industry Association)には加盟せずに、「年寄りたちが集まるサロン」などと公に口撃してはばからなかった。こうした歯切れのよい言動が当時のビジネス誌では受けが良かったわけである。

しかし、ロジャーズ自身はかなりストイックな経営者としても知られていた。FORTUNE誌に掲載された記事によると、ロジャーズは毎日4時半ごろに起床、そのあとのジョギング、シリアルと果物の朝食を済ませると、7時前には出社。十分に資料を読み込んだロジャーズが毎週開くスタッフ・ミーティングでは"砲撃長席"なる椅子に陣取り、ちょっとでも曖昧な答えをするスタッフに対し"TJ魚雷"なる突込みを入れて納得がいくまで詰問するのだという。しかもロジャーズは最近は当たり前のようになった人事管理ソフトを1990年の当時から自ら開発し、マネージャー以上の従業員は毎日そのソフトへの日々の活動・成果についての入力が求められた。おまけにロジャーズ自らがその入力結果を毎日見ていて、いきなり「これはどういう意味だ?」、などというメールを繰り出してくるという話だった。

Cypressとロジャーズのその後

Cypressはその後AMDからスピンアウトしたNOR型フラッシュメモリメーカーのSpansionと合併したり、太陽電池の事業(2006年にSunPowerを子会社化)などにも手を出し多角化を図ってきたが、34年の長きにわたりCypressを主導してきたロジャーズも2016年に同社を去った。

現在では優秀な人材の育成に情熱を注いでいるようである。いかにもエゴの塊のようなロジャーズであるが、仕事以外では極めて紳士的であったと言われている。

ある時それをうかがわせるエピソードをAMD時代の友人から聞いたことがある。サンフランシスコでも有名な高級住宅が建ち並ぶSausalitoのしゃれたレストランでその友人が夕食をとっていた時の話である。その友人はレストランに着くなり、有名なロジャーズが来ていることに気が付いた。偶然ロジャーズ夫妻の隣のテーブルに通された友人であるが、先に来ていたTJ・ロジャーズが恥ずかしそうに話しかけてきて、「大変ぶしつけな話で恐縮だが、我々は夕食のためにこの赤ワインを注文したが半分くらいしか飲めない。無駄にするのも気が引けるのでこちらのテーブルで召し上がっていただけないだろうか?」、という至極丁寧な申し出であったという。友人は願ってもない話だと快諾して、ロジャーズ夫妻が去った後にその赤ワインのラベルを検索したところ、それはカリフォルニアの有名なナパ・ワイナリー産のかなり高額のワインで、ワイン好きのその友人がそれまで味わった中でも最高の味がしたという話であった。

その後、ロジャーズとサンダースは和解し、サンダースの80歳の誕生パーティーに招待されたという話も聞いた。

過去の名物経営者がいなくなったシリコンバレーであるが、相変わらずの旺盛なエネルギーで新しい技術を次々と繰り出しているが、Cypressブランドがなくなることには一抹の寂しさを感じる。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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