スーパーサイクルと呼ばれ昨年まで右肩上がりだった半導体市場は、中国経済の減速、スマートフォン市場の調整時期を迎え軟調である。しかし巨額投資をして大きなキャパシティーを抱える半導体産業はそんなに簡単に生産調整することができないのが特徴である。「市況が軟調なのに製品はどんどん出てくる→単価が下落する→余計軟調になる」、という負のサイクルが現出しそれを脱するには、需要が回復し在庫が一掃されるまで待たないとならない。
半導体市況のサイクルは「シリコンサイクル」と呼ばれ、以前は一定のパターンで約4年周期でやってきた。マクロ経済との相関関係はある程度見られるものの、「売れるとき」と「売れない時」が極端に振れるのは常で、業界人はそれを乗り越えて何とか生きているのである。 今回は私がAMDで幾度も経験した「売れない時」のマーケティングの例をご紹介したい。
AMDの"SWAT"
私がAMDに入社したのは1986年であった。それまで半導体については全くの素人だった私は、まさか入社翌年に大規模な半導体不況がやってくるなどとは思っていなかった。
1987年はそれまで隆盛を極めたシリコンサイクルの大きな結節点となる大不況の年であった。そこで本社肝いりで展開された社内キャンペーンが"SWAT"である。特殊部隊SWATの語呂合わせで、社内の営業部隊をSWAT(Sell What's Available Today)チームと名付けた。結局のところ、「何でもいいから今あるものを売れ」という意味である。言葉そのもののキャンペーンで「とにかく売ってこい」、と毎日本社から叱咤された。成績のいい営業には気前よく多額のボーナスも出ていた。同じ時期に、AMDは外部に向かっても「Product A Week」キャンペーンを大々的に宣伝した。「AMDはこれから1年間毎週1つの新製品を発表します」という無茶苦茶なキャンペーンで、当時CEOのサンダースが業界に誇った「AMDは総売り上げの35%をR&Dに投資します」という宣言を新製品発表でアピールしようという事であった。
業界の常識では全く考えられない「毎週新製品を発表する」という発想は、当時としてもかなり斬新で大きな話題となったが、実際に毎週発表された製品が本当に新製品であったかと言うと、そうとは言えなかった。以前に発表した製品の少々のスペックアップ、パッケージの違いなどを最大限に材料としながら、その年AMDは一年間でなんとか52新製品を発表し、本社からは「新製品なんだからどんどん売ってこい」と言われ続けた思い出がある。「売れない時」は営業は"気合"で売ってくることも必要なのである。
Am5x86の登場
時は下って1993年。AMDは独自開発の新型マイクロプロセッサー「K5」を発表した。スーパースケーラー技術を取り入れたこの全く新しいアーキテクチャーは、当時IntelがPC市場のCPU独占状態を決定的にしたPentiumとピン互換でありながら30%以上の性能的優位性を持つ、という大変に野心的なプロジェクトであった。
しかしこの野心的なK5は設計・製造で幾多の大きな問題に直面し、なかなか市場投入がされない。やっと1996年に最初の製品のリリースがされたが、性能は前評判を大きく下回る結果となり、AMDは窮地に立たされた。このピンチが結局大ヒット作K6の誕生のきっかけとなるのだが(この辺の詳細については過去記事「K5の挫折とK6の登場」をご参照)、1993年からK6が登場する1997年までの4年間は「頼みのK5は売れず、K6はまだ出てこない」という状況でAMDにとっては大きなピンチであった。
この時にAMDのマーケティング部が思いついたアイディアがAm5x86である。当時第5世代のPentiumに対抗するためには製品番号に何とか"5"の番号を使う必要があった。そこで、それまでAMDを支えたAm486(Intel80486互換CPU)の内部キャッシュサイズを16KBに倍増したCPUをAm5x86として売り出すことにしたわけである。
実アプリケーションの総合性能は倍増キャッシュのおかげでPentiumに引けを取らない。それで第4世代ではなく第5世代の製品として売り出そうという苦肉の策である。しかし嘘をついてはいけないのでマーキングの下には「Am486-DX-133」と明記している。この製品は低価格パソコンの市場ニーズにうまくはまり、非常に売れ行きが良く、K6が登場する1997年までのAMDの屋台骨を一手に支えた貴重な製品であった。まさに"SWAT"のAMD精神そのもの製品であった
トリプル・コアPhenomの登場
さらに時は下って2009年。AMDは業界初の4コア統合型の新型CPUであるPhenomの発表を控えていた。Intelとのマルチコア競争は2(デュアル)コアに始まり4(クアッド)コア時代に差し掛かっていた。AMDはこのPhenomの発表でIntelを技術的に突き放す計画であった。
しかし4コアすべてが全部きちんと動作するダイは大変に歩留まりが悪いという製造上の問題にぶち当たった。そこでAMDのマーケティング部が考え出したのが3コアのPhenomである。4コアではなく3コアであれば歩留まりも比較的良かったので「2よりも3、しかも4コアよりも消費電力は低い」というメッセージで「Phenom X3」として売り出すという。半導体は基本的にバイナリーの世界で、いきなり3(トリプル)という奇数コアの製品が提示された時には正直かなり戸惑ったが、ないものねだりをしても仕方がない。当時製品差別化に汲々としていたパソコンメーカーに持って行くと、「ちょっと唐突だが値段次第ではあり」という反応で、ある臨時のラインアップに加えていただいた覚えがある。
その後サーバーを含むAMDのクアッドコアCPUには、ある条件でCPUが内部キャッシュを読みに行くとハングしてしまうというかなり致命的なバグが発見され、2回のマスク変更を余儀なくされた。この不具合を修正したPhenomが発表された時点で3コアのCPUも消滅したと記憶している。
市況が悪いときは「何でもいいから売ってこい」、市況が回復すると「値段を上げてこい」、需給がひっ迫してくると「断ってこい」と、どんな状況でも半導体営業はとかく辛いものである。しかしどんな時代でも半導体は産業の米である。最先端品だけがマーケットではない。市場には必ず隙間があって顧客は存在する。売れない時の後には必ず売れる時が来ることを信じて、多少は格好悪くても雑草のようなマーケティングを展開しながらなんとかやっていきたい。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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