平成が終わり、令和となった。大型連休中は、時節柄昭和・平成を振り返るテレビ番組、記事がたくさん出ていた。本来時間は不連続に流れるのであるから、歴史区分というのは人為的である以外のものはないはずであるが、昭和を戦争の世紀、平成を経済バブルの世紀と振り返るものなど、歴史的考察を加えながら解説される記事の数々は歴史を学ぶ身としては大変に興味深いが、新しい時代、令和を平成と区別するものは何かと私なりに考えてみた。

リアルとバーチャル

平成の歴史を振り返る映像がいくつも登場するバラエティー番組を漫然と見ていたら、若い女の子が昔白黒映像を見た時に「昔って世界が白黒だったんですね」、と言っていたのを見て仰天したという嘘のような話を先日友人がしていたことを思い出した。

ここで友人が仰天したのはこの女の子の発言の意図はどうやら、当時のテレビ画像がカラーか白黒だったかという事ではなく、昔の世界が実際に白黒の世界であったと考えたらしいという点である。

生まれた時からすでにスマートフォンがあり、情報のすべてをネットの世界に求めるこれからの若い世代の人たちにとっては、ディスプレイの向こう側にある世界は自分の周りの物理的な世界と同じくらいに現実なのであると考えてもおかしくはない。

電車に乗っている大半の乗客がスマートフォンの画面を食い入るように見つめる姿を見ていると、生活の中のリアルとバーチャルの比率は限りなくバーチャルに向かうと考えられる。

そう考えると、平成はリアルの世界であったが、スマートフォンが登場したころからバーチャルの世界が急速に広がっていき、令和はリアルとバーチャルが完全に混在する世界であるともいえるだろう。

少し前に大変にはやった映画「マトリックス」はこの来るべき世界を見事に描いていた(実に15年以上前の作品である)。映画「マトリックス」の主人公ネオ(キアヌ・リーブス)はリアルとバーチャルの世界を自由に行き来する能力を持っていて、AIに支配された世界から人間を解放する救世主として丁々発止の活躍をするというのが大筋だ。映画公開当時、初めて見た時には俄かに内容がつかめなかったが、今もう一度観てみるとずっとわかりやすいという事は、私自身もかなりバーチャルの世界に足を踏み込んでいる証拠であろう。令和の時代は今まで想像の世界でしかなかったバーチャルの世界が、現実世界と同様に存在するもう1つの世界として認識されることになる。

  • マトリックス

    キアヌ・リーブス主演の映画"マトリックス" (このパッケージは2003年公開の第2作)では主人公の"ネオ"がリアル、バーチャルの世界を自由に行き来して人類の敵と戦う (著者所蔵イメージ)

5Gの到来によって激変する世界

5Gの到来によってもたらされる世界の変化を予測することは、現在の私には最早無理であると感じる。

かつてIntelの創立者の1人であり技術者であったゴードン・ムーアは、「半導体の集積度は18か月で2倍になる」というムーアの法則の提唱者として知られているが、その回顧インタビューで「パソコンの出現と普及はある程度予測できたが、インターネットに接続されるスマートフォンの世界が来ることはまったく予測できなかった」と語っていたのを思い出す。

ムーアの法則が発表されたのが1965年、初代iPhoneが登場したのは42年後の2007年であった。このスマートフォンの登場により令和を迎える現在までの12年間に、人間の日常行動はネット情報に依存する方向に急激に変化した。

ネットに常時つながるスマートフォンが人間の生活にもたらした変化は、5Gの到来によって決定的な変化を迎えると予想される。私のマクロ的な予想範囲は下記のようなものだが、各領域からどのようなアプリケーションが出現するのかまではまったく考えが及ばない。

  • 5G

    5Gの到来は世の中を根本的に変えるポテンシャルを持っている (著者所蔵イメージ)

  • リアルとバーチャルはさらに混在化し、人間はリアルとバーチャルの価値を同列として評価するようになる。例えばVR機器を装着して遠く離れた場所を訪れ、その経験を疑似体験することができるようになり、実際に行くかどうかはそれらのVR経験の良しあしで決めることになる。そして実際にその場に行った後で「やっぱり現地に来てよかった」と感じる人がいる一方で、「VRの方がよかった」とがっかりする人もいるかもしれない。
  • 「物」を物理的に所有することと、それを所有して得られる「経験」を同列に考えることになる。例えばAI/IOT/5Gの組み合わせで可能となる自動運転は、人間がある地点から他の地点に移動するための手段である"自動車"の運転を人間に意識させずに場所の移動を可能とする。そうなると、人間にとって自動車を所有することはあまり重要でなくなり、必要な時にカーシェアリングで自動運転車を予約すればよいことになる。もっともV8エンジンのフェラーリを爆音響かせながら運転したい人たちの価値観は変わらないと思うが。
  • 半導体の発展とともに世の中に存在するコンピューティング・パワー、ネットワーク・パワーと記憶スペースはとてつもなく拡大した。これらはさらに加速的拡大を続けるが、これらの現有のリソースを隅々まで使い切ろうという動きが出てくる。ネットワークの仮想化を前提とした5Gのインフラ構築などはその例である。
  • 情報のセキュリティーと公正性が非常に重要となるので、果てしなく公開することによって公正性を担保するシステムに移る。平成がソースコードを開示しないWindowsの世界だとすれば、令和はオープンソース(例えばLinux)の世界だ。重要なデータの記録を分散台帳で行うブロックチェーンはこの考え方にのっとっている。

半導体開発の主導権は使う側に移る

いずれにせよ半導体が社会インフラの肝となることには変わりはない。しかしその産業構造は激変することが予想される。

設計と製造は完全に分かれて、TSMCが世界の製造を一手に引き受ける可能性がある。Samsungが製造部門を切り出すことも考えられる。その反面、設計の主導権は半導体を実際に使う側に移っていく。

Googleが開発したAIチップは設計段階ではバーチャルであるが、TSMCで製造されてリアルになり、そのチップはバーチャルの世界を支えるビルディングブロックになるという具合だ。

偶然ではあるが、AMDで大半を過ごした私の半導体業界の人生は平成の時代にすっぽりはまり、引退してからの時代は令和で過ごすことになる。今後も半導体での経験を通して世の中の動きを眺めていきたい。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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