今回の「ゲーム機とCPU」シリーズの最後はSCEのPlayStationである。PlayStationは1994年に日本でリリースされ、その後順次各国でもリリースされた。つい最近次世代機種PlayStation 5の仕様の一部が発表されたが、CPUは現行のPlayStation 4同様AMDのカスタムチップであるらしい。
インターネット上に飛び交う情報によるとPlayStationの命名の由来は科学技術用のWorkstation並みの性能を持つマシンを「遊ぶ」ために開発されたのでPlayStationとなったのだという。これは私的には腑に落ちる説明である。というのも、SCEの親会社であるソニーにはかつてNEWSというWorkstationのシリーズがあったからだ。NEWSのCPUは主にMIPSのR3000/4000シリーズが使われたが、当時Workstationの市場でかなり力をつけていたソニーのNEWSのCPUの選定の際には、さまざまなものを検討していた。すべてRISC(Reduced Instruction Set Computer)系のCPUでAMDのAm29000を始め、Intel、Motorolaなど多くの候補があった中で、結局MIPSアーキテクチャーに軍配が上がった。PlayStationのCPUの選定についてもいろいろな候補があったが、ソニーグループ内でのMIPSとの親和性は大きな要因であったと思う。
PlayStation (SCE、1994年発表)
PS、プレステなどとも呼ばれるこのゲーム機は、発表以来1億台を超す出荷を記録し、巨大なソニーグループのなかにおいてSCEの存在感を大きくした。PlayStationのCPUには当時高性能との評判が高かったMIPSのRISCプロセッサーR3000をカスタマイズしたものが使われた。このカスタムチップにはポリゴン処理などのための浮動小数点演算用にベクタープロセッサー部が内蔵されていた。という事は、前述したようにソニーがWorkstation製品のNEWSにも搭載してもいいようなかなり高性能なCPUであったと思われる。
PlayStation 2 (SCE、2000年発表)
初代プレステの後継機種PlayStation 2は2000年の発表以来1億5000万台以上を売り上げる「ゲーム市場で最も売れたゲーム機」となった。
使われていたCPUはSCEと東芝によって共同開発されたEE(Emotion Engine)である。CPUコアの基本形はMIPSのR5900で、これは128ビットのRISCプロセッサーである。この強力なカスタムCPUのおかげで、PlayStation2のグラフィック性能は格段に高くなり、ゲームコンソールの世界はグラフィック性能の競争という方向にどんどん傾いていった。
東芝との共同開発の背景には、当時の東芝ブランドの家電への応用も考えられていて、PlayStation 2だけでなく他の高性能デジタル機器への応用が当初から計画されていた。その後EE(Emotion Engine)の後継機種であるCELLプロセッサーは、SCEと東芝に加えてIBMが共同開発に参加するというかなりの規模で開発が行われた。
PlayStation 3 (SCE、2006年発表)
Xboxの回でも述べたように、IBMはx86 CPUでパソコン市場を主導するIntelに対する挑戦を諦めていなかった。PlayStation 3(PS3)のメインCPUはIBM、SCEと東芝で共同開発したCell Broadband Engineと呼ばれるカスタムCPUである。
異なるアーキテクチャーを同一ダイの中に集積する「ヘテロジニアス・マルチコア構成」と言われたこのプロセッサーは当時としては画期的であった。かなり贅沢な仕様で、PS3の総合性能は非常に高かったので、クラスター接続でスーパーコンピューターを組み上げる研究所も現れた。米国オハイオ州の米空軍研究所がPS3を1700台クラスター接続してスーパーコンピューターを組んだ例がある。「コンドルの群れ」と呼ばれたこのスパコンは2010年のスパコンTop500で35位のポジションを獲得したほどである。しかも制作コストは通常の同レベルのスパコンと比較して25分の1以下という驚くべきコストパフォーマンスであった。
このCELLプロセッサーは多方面での採用が期待され、東芝、SCE、ソニー・セミコンダクターが共同出資した特別製造ラインをソニーの長崎Fabに構え、最先端の90/65nmプロセスで製造された。しかし、IBM、東芝、ソニーの肝入りのこのプロジェクトも結局成功せず、その後ソニーの長崎FabはCMOSイメージセンサーの主力工場となり、現在ではソニーの半導体ビジネスの要となっている。
PlayStation 4 (SCE、2013年米国発表、日本では2014年)
さて、このシリーズも最後のマシンの話となった。XboxOne同様AMDのカスタムCPUを搭載した現行機PlayStation 4(PS4)である。最近の発表では次世代機種のPlayStation 5もAMDのCPUであるらしいので、今ではAMDは主要ゲーム機のCPUを一手に引き受ける企業となっている。
前述のPS4のCPUであるCELLプロセッサーの部分で述べた「ヘテロジニアス・マルチコア構成」という考え方は、AMDにもあって、特にAMDがカナダのグラフィック・プロセッサー(GPU)の雄ATIを買収してから、x86 CPUとATIのグラフィックコアを同一チップに統合集積するという考え方はごく自然な流れであったとも思える。今ではスマートフォンなどにも搭載されるAPU(Application Processor Unit)は正にこの「ヘテロジニアス・マルチコア構成」の発展形である。
PS4の発表が2013年であるから、SCEはそのメインプロセッサーについての検討は2008~2009年頃には始めていたことになる。この時期は私のAMDでのご奉公の最後の時期であった。AMDが「ヘテロジニアス」を語りだした頃の資料があったので掲載させていただく。
この資料は2007年のCES(Consumer Electronics Show:米ラスベガスで行われる展示会)でAMDが公式に発表した資料である。「Accelerated Computing」とあるが、内容はCPUとGPUを統合した統合型プロセッサーの方向性を示している。
PlayStation 4のプロジェクトはXboxと同様本社主導で行われたので日本法人の私は直接かかわっておらず、詳細は承知しないが、当時強力にSCEにアプローチしていたIntelはAMDの「ヘテロジニアス」とはまったく反対の方向性である「ホモジニアス」のアーキテクチャーである「Larrabeeアーキテクチャー」を売り込んでいた。
このアーキテクチャーの詳細はよく理解していないが、シンプルな無数のCPUコアを1チップに集積するという考え方で、SCEはIntelの試作チップを評価していたらしいが、性能が思うように出なかったので最終的にAMDの方向性に傾倒していったという記憶がある。
結局PlayStation 4のメインプロセッサーの仕様として決定されたのは、64ビットのカスタムCPUコア「Jaguar」を2基(計8コア)とATIから引き継いだ「Radeon」GPUがカスタマイズされて1チップに集積されるという、まさに最先端で大変に大掛かりなものであった(製造プロセスはTSMCの28nm)。実は、1度だけこのプロジェクトに私が唯一直接かかわったことがある。SCEがIntelとAMDとの係争問題についてかなり気にしていて、「このプロジェクトは何年にもわたる長期のものとなるが、Intelとの係争問題でAMD製品に影響が出ることはないか?」、という質問にきちんとした回答をしなければならず、当時のAMDの法務最高責任者のトム・マッコイSVPを米国本社から呼んでSCEの幹部に説明した記憶がある。
これで「ゲーム機とCPU」シリーズの話は完結である。最初はさらっと書くつもりであったのだが、記憶をたどっていろいろ盛り込んでいくうちに合計5回にわたった長いものになってしまった。
最後に、ここまで読んでいただいた読者の皆様とともに、過去のマシンの貴重な所蔵写真をご提供いただいた方々にもお礼を申し上げます。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」を含む吉川明日論の記事一覧へ