山中教授と会った話
のっけからいかにも自慢げに聞こえると思うが、私はiPS細胞の開発者でノーベル賞を受賞した山中伸弥 教授と実際にお会いして短い時間ながらもお話をさせていただいた経験がある。こう書くと立派な自慢話だ。携帯電話に保存されている昔の写真を何気なく見ていたら、その時のことを思い出した。写真の日付が2012年となっているのでもう6年以上前の話だ。
私はAMDで24年の勤務を終えると半導体ウェハの会社2社に通算6年ほど勤務したが、その2番目の会社が、結局、現役最後の仕事場となった。その会社は北欧系の非常に小さい会社で、パワー半導体、MEMSセンサーなどの限られた用途に特別仕様のウェハを供給する大変に興味深い会社であった。
それまでデバイスの経験しかなかった私にとって、半導体材料という全く違う世界を垣間見るという非常に貴重な経験であったと思う。また、それまで米国系外資一辺倒であった私にヨーロッパ企業、ひいてはヨーロッパ全般についての興味を喚起してくれた点でも非常に貴重だったと思う。
前置きが長くなったが、私がひょんなことから山中教授とお会いするという恵まれた機会に至った経緯は以下の通りである。
- 山中教授は2012年にノーベル賞を受賞したが、その直前にフィンランド政府が主催する"ミレニアム技術賞"という賞を受賞している。この賞は「生活の質を高めて持続可能な発展を目指す研究開発」などに実績のあった技術者に贈られる賞である。
- 山中教授は2012年にリナックスの開発者リーナス・トーバルズと一緒にこの賞を受賞した。過去の受賞者には青色発光ダイオードの開発で2014年にノーベル賞を受賞した中村修二氏もいる(中村氏の同賞の受賞は2006年)。いずれもノーベル賞に先駆けて優秀な科学者に賞を贈っていて、かなり先見の明がある賞といえよう。
- ノーベル賞とは違い、かなり小規模な賞なので、その授賞式は東京にあるフィンランド大使館で行うことになった。授賞式には大使夫妻をはじめ、フィンランド関連企業のトップも招待され、授賞式の後には夕食会も予定されていた。
- すると私のところにフィンランドの本社から連絡があった。それによると、フィンランド政府は賞と一緒に何か記念品を贈ることになっていて、今回の記念品の選定を任されたアーティストが我々の会社が製造しているシリコンインゴットのトップ・ヘッドを加工したものを贈ることになったという。ついては私も授賞式にアテンドし、シリコンインゴットなるものが何なのか説明員も兼ねて参加してほしいという。
- 下の写真が授賞式で山中教授に贈られたシリコンインゴットのトップ・ヘッドの写真である。いつも商売で目にしているインゴットを記念品として贈るというあまりにも突飛なアイディアに私はかなり面食らったが、そのおかげで授賞式に参加して山中教授と会話を交わすという貴重な機会に恵まれたということである。
山中教授との短い会話で感じた事
夕食会の前にカクテルの時間があり、「それでは教授に説明してください」と山中教授にフィンランド大使から贈呈されたインゴット・ヘッドいうことで山中夫妻の前でつたない説明をしたが、その時の事は昨日のように鮮明に覚えている。
私は正直な話、「教授はこんなものに興味がわくのだろうか?」、と思っていたが、教授は目を輝かしていろいろな質問をしてくる。「半導体用のインゴットの純度はどれほどのものか?」、「どうやってそのような高純度のものができるのか?」、「純度を一定に保つにはどのような手段があるのか?」、といったかなり本質的な点について突いてきたが、私がエンジニアではないということを素早く察知すると、穏やかな表情で半導体デバイスの医学分野でのアプリケーションについての質問をしてきた。
その時の教授の質問の仕方から察するに教授は明らかにこれらのことを知りたくて質問しているのであって、贈呈されたことへの義理で質問しているのではないということであった。しかも、その物腰はあくまで謙虚で、私の目をしっかり見て興味深くお聞きになっていたのが非常に印象深い。何事についても興味を持ち、何が知りたいかを認識していて曖昧さを残さない教授の研究姿勢がその短い会話の中で感じられた。奥様も物腰の優しい方で、教授と一緒に私のつたない説明に耳を傾けられていたことも印象深い。
その後の夕食会は山中教授の独壇場であった。流ちょうな英語で冗談を多分に交えての歓談で2時間があっという間に過ぎていった。教授の話でよく覚えているのは、「私は下手ですが、ゴルフを時々やります。ゴルフは非常に難しいスポーツです。私が科学者としてどうしても納得できないのは、静止している球を棒でひっぱたくだけのに、なぜあんなに難しいのか。なぜ我々はこんなにフラストレーションが大きいスポーツに熱中してしまうのか?」、などのいかにもスポーツマンらしい教授の機知に富んだ話であった。
教授はその2か月後の12月にノーベル賞を受賞され、スウェーデンでの授賞式に参加された。
iPS細胞の応用分野にあくまでもこだわる山中教授
教授が話で何度も熱心に語っていたのは、iPS細胞の実際の応用分野への早期の移行の重要性についてである。
半導体のようにデジタルの世界だと技術革新はものすごいスピードで進んでいく。しかし医療分野はあくまでも生体・人間が相手である。「いくら万能細胞といっても応用分野への移行が進まないのであれば研究の意味はない」、ということを熱っぽく語っておられた。
応用分野への早期移行にはきちんとした資金調達が必要であり、人材リソースの確保にも十分に気を配る必要があると理解していて、教授は専門分野があくまでも基礎研究であるのに、超多忙なスケジュールでも世界を飛び回り講演会にも積極的に参加している。必要なリソース集めに奔走する山中教授は私にはまさに現代のスーパーマンのように映る。
生体医学には全くの門外漢の私であるが、iPS細胞・山中教授のニュースが出るたびに注目してしまうのである。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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