シリコンバレーの変貌:シリコンバレー風景の今昔

東京の街並みも年々加速的に変化しているように、15年ぶりのシリコンバレーの街並みも大きく変わっていた。

その中で、旧AMDの本社ビルを訪れることができて大変に懐かしい気持ちがしたが、その周辺はだいぶ変化していた。

かつてはAMDの周辺をドライブするだけでSignetics、National Semiconductor(NS)、Philips、Intersilなどの半導体メーカーの看板がずらりとにぎやかに並んでいたのが今はもうない。それらの企業は今では独立のブランドとしてはすでに姿を消しどこかに吸収されてしまったか、もしくは社名を変えているかしている。

今回の渡米の際にかつてAMDで大変にお世話になった日本人の先輩Tさんと会うことができた。Tさんは生粋の日本人のエンジニアであるが、日本でFairchild社(AMD、Intelなどがこの会社からスピンアウトしてできたシリコンバレーで超老舗半導体ブランド)に入社し、1974年に米国本社へ転勤、その後、1980年にAMDに入社した。1974年に日本を離れて以来ずっと米国暮らしの人で、まさにシリコンバレーの生き証人とも言うべき人である。私がAMDに入りたての時は、初めて経験する外資系企業で何もわからずまごついていた時に大変お世話になった。

今回の再会で、Tさんがランチの後で私を新築なったApple本社と旧AMD本社まで連れて行ってくれた。Apple訪問後、懐かしい旧AMD本社ビルの前で思い出に浸っている私に、Tさんがぽつりと「半導体の時代は短かったなあ。あっという間に急成長して、あっという間に終わってしまった。ほんの70年でね」としみじみと言う。

私は意外な感じがした、というのも半導体市場自体は現在でも恐るべきペースで成長しているし、その技術革新もとどまるところを知らない。Tさんが言う「終わってしまった」ということの意味が俄かにはわからなかった。そこでハタと気が付いた、そして私が昔に見たシリコンバレーの風景と今の状況を考えた。AMDの旧本社ビル界隈の様子と、その前に見たApple本社ビルがシリコンバレーの今昔を象徴しているように思えてきた。

どうもTさんが言っている半導体とは私が以前に経験したいくつもの半導体メーカーが生まれては消えていった百花繚乱の時代のことであるらしい。私よりも以前にすでに引退してしまったTさんにとっては、半導体はFairchildから独立した幾多の企業が切磋琢磨していた時代のそれであり、その業界全体で共有していたなんとも言えない強烈なエネルギーのことを指しているのを察した。

私がわざわざ15年ぶりにシリコンバレーにセンチメンタル・ジャーニーで舞い戻ったのも、その感じをもう一度少しでも経験したかったからだということに気が付いた。昔、そこかしこに軒を連ねていた数知れない半導体企業は急速なM&Aで巨大企業に飲み込まれ、ほとんどのブランドが消えていった。そういえばつい最近も老舗のIDT(Integrated Device Technologies)がルネサスに買収されたばかりだ。

  • 青い空とココナッツの木

    底抜けの青い空とココナッツの木は私にとってシリコンバレーの原風景である (著者所蔵写真)

ちょっとセンチメンタルになったところで、Tさんが"じゃあ、あそこに行ってみよう"ということで、AMDからそう遠くないところにあるFry's Electronicsに行った。Fry'sは昔のままの姿でそこにあった。ここはシリコンバレーの秋葉原パーツショップともいうべきところで、あらゆる電子部品、ケース、機構部品が揃っている。

私がこちらによく来ていた時期には、このエリアにはHDD専門店とか、技術オタク(ギーク)専門店のようなものが軒を並べていたが、今ではFry's一軒になってしまったようだ。しかし、さすがに昔のようにいくつものブランドの看板が並ぶという光景はなくなったものの、規模の小さなスタートアップ企業は減るどころか急増している。これらの企業は共同オフィスビルに間借りして、革新的な独自技術でもって急成長し一旗揚げるか、すでに大企業となった会社に良い条件で買収されるのを虎視眈々と狙っている。これらの企業にとって、試作品に必要な電子部品の供給地として、このパーツショップは大事な役割を担っているのである。

  • パーツショップのFry's

    パーツショップのFry's。アナログ信号をかたどったロゴが懐かしい (著者所蔵写真)

それでもここはシリコンバレー

懐かしいTさんとの再会後、ホテルに戻って中庭のプールでビールでも飲むことにした。その晩はこれまた懐かしいかつての同僚と夕飯の約束をしていたが、その時間までにはかなり間があったためだ。

プールに備え付きのジャクージ(ジェットバス付の浴槽)に浸って冷たいビールを飲んでいた。かつてAMDに勤務していた頃には、こういう施設はあってもそれを横目に見てミーティングに駆けずり回っていたものだ。そうすると間もなくヨーロッパ風の男性がジャクージに入ってきて、何となく会話が始まった。私がかつてこの辺の半導体企業に勤めていたことを言うと、俄然話が進んだ。聞くところによるとこのドイツ人紳士は大手自動車部品会社に勤める自動運転車のテストドライバーらしい。

ドイツの有名ブランドの自動運転車に乗り込み路上テスト中のデータを見ながら、エンジニアにいろいろとアドバイスするのだそうだ。彼によると、安全な自動運転が可能となるためにはとんでもない量のデータ、予期しなかったような変数、単一のアルゴリズムに落とせない計算が同時に行われる必要があり、それを完璧にこなすのは至難の業で、現在の技術では到底不可能であるという見立てだ。

自動運転車を開発している側の現場に務めている彼の意見は、非常に論理的で、技術的にも詳細で現実味があったので思わず聞き入ってしまった。そこでハタと気が付いた。「ここはシリコンバレーなんだ!」。こんな会話が何の気なしにあちこちで行われているのが日常であるシリコンバレーの強みは、この場に磁石のように吸い寄せられてくる優秀なタレントがいろいろなオープンな議論を戦わして創造的なアイディアを磨いてゆく場となっている事だろう。シリコンバレーのスピリットは健在なのである。

その晩、私は昔のAMDの同僚と夕食を共にした。彼女はドイツ出身のマーケッターであるが、すでにAMDは辞めていて、シリコンバレーの物価高騰に嫌気がさし2年後にドイツに帰るという。その晩はこちらの食事に飽きてしまった私を気遣ってか、焼き鳥屋を予約していてくれた(これがとんでもなくちゃんとした焼き鳥屋で、なんと本格的なもつ煮込みまで出てくる!! これも昔のシリコンバレーでは考えられないことだ)。

昔のことを沢山話してかなり日本酒(これも本格的なものが出てくる!!)を飲んでそろそろチェックアウトということになり、席を立った時に隣のテーブルの紳士たちと目が合った。どうやら日本人であるらしい。「日本からですか?」と声をかけると誰でも知っている日本の大手企業の人たちのテーブルであるらしい。その中の1人が私が着ていたポロシャツのロゴに気が付いて「Intelの人ですか?」と言う。昼間に寄ったIntel博物館で思わず買ってしまった私の生涯で最初で最後のIntelグッズである。

そこで私はすかさず返した、「いや、外はIntelですけど中身は"AMD Inside"です!!」。この一言で、一同大爆笑。やはりここはシリコンバレーなのだ。

私のシリコンバレーへのセンチメンタル・ジャーニーにとって完ぺきな落ちとなった。

  • Intelのポロシャツの下にAMDのTシャツ

    Intel博物館で買ったポロシャツの下には、しっかりAMDのTシャツを着ていた (著者所蔵写真)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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