現在放映中のNHK朝ドラが話題となっている。日本で女性初の弁護士・裁判官となった実在の人物に基づく話であるが、舞台は昭和の初め頃と言うからそんなに昔ではない。ドラマの主人公は女性だという理由でいろいろな困難を経験するが、それを跳ね返す主人公の活躍は観ていて痛快である。「女性の社会進出」などという言葉自体は既に死語となった感があるが、全ての才能豊かな人材に社会貢献の機会が与えられている状態なのかと言うと、残念ながらそうとは言えないというのが日本の現状なのだという印象がある。
投資の神様として知られている米国の投資家ウォーレン・バフェットが「成功の秘訣は?」と聞かれ、「私が若かったころは、人口の半分である男性との競争だけを考えていればよかったからね」、とあっさりと答えたインタビュー記事を随分と昔に読んだ覚えがある。
世界最初のコンピューター誕生秘話、ENIACを支えた6人の女性プログラマー
少し前のコラムで世界初のコンピューター「ENIAC」について調べていたら面白い記事にたどり着いた。1946年、米ペンシルバニア大学において完成された世界最初の電子計算機ENIACの開発には、少なくとも6人の女性研究員の活躍があったという話である。
ENIACのアーキテクチャーはプログラム内蔵方式ではなく、プログラムはその都度配線を物理的に繋ぎ変える事によって生成された。その理由でプログラミングは大変に複雑な力仕事で、膨大な量のENIACのハードウェア構成図と配線図、微分方程式を解析したうえで適切な電子回路となるようにケーブルを配線するという作業だ。お披露目の日が迫る中、ハード/ソフトの両方のバグが多く検出され作業は困難を極めたが、この6人の女性の集中力と忍耐強さでENIACの公開デモンストレーションは大成功を収めた。しかし、その成功を祝う名士が集まるレセプションには彼女らは誰一人招待されず、結局、世界最初のコンピューターの開発には名を残せなかった。第二次世界大戦後間もなくの時期であったために、男性の技術者が絶対的に不足していた事が彼女らに声がかかった理由の一つであったらしいが、大変に残念な話である。
半導体業界での女性の存在
私がAMDに入社した時に、私の上司であった当時のAMD副社長Ben Anixterが私に言った言葉は、その後も私の職業観に大きく影響を与えるものであった。「AMDは優れた人材を必要としている。我々はその人材に投資するのであって、その人材の性別など全く問題ではない」とすっぱりと言ったのを今でもはっきりと記憶している。「さすがにシリコンバレーだな」、と実感する場面はいくつもあった。割合はそう高くはないものの、営業・マーケティング、エンジニアリング、法務部と女性は幅広く活躍していて、高いポジションについている人たちも多くいた。
AMDの後に勤務した欧州系のウェハ企業でも、本社の上司である副社長は女性で、その並外れた記憶力とそう簡単に妥協しない胆力と公正さには常々心腹させられた。
散々議論した後に「参りました……」とあっさり音を上げるのはいつも私だったような記憶がある。フィンランドは男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも毎年上位にあり、歴代の大統領、首相、閣僚にも女性が何人も就任している。とかく「女性はXXのような分野に向いている」、などと言われる事があるが、私の経験から判断するに女性は、記憶力、決断力、胆力、集中力、緻密さなど重要ポストに必要な能力において男性に勝るとも劣らないものであると感じる。競争が熾烈なコンピューター/半導体業界では優秀なタレントをどれだけ集められるかが優勝劣敗を決定づける。女性の社会進出の分野で国際比較で大きく立ち遅れている日本社会は今後相当なスピードでこの状況を改善する必要がある。
AMDを世界的な大企業に成長させたCEO、Lisa Suの活躍
私は1986年から2010年までAMDで24年間勤務した。そのほとんどの期間が、AMDのIntelに対する挑戦の歴史だったが、私が憶えているだけでも少なくとも3回は「これでAMDはおしまいだな」、と感じた時があった。
そのAMDも今年で創立55年を迎える。その歴史の最初の2/3位の期間、長きにわたりIntel相手の激しい競争を戦い抜くAMDを率いたのが創業者でCEOのJerry Sandersであった。その頃のAMDを経験した人で、現在のAMDの逞しさを想像できた人はまずいないだろうと思う。
ドレスデンFabを切り離し、ファブレス企業となったAMDの当時の製造パートナーはGlobalFoundries(GF)だった。工場への多額の設備投資が必要なくなり、身軽になったAMDは全ての資源をCPUの設計に集中させることができ、K8を始めとする現在のAMDの技術基盤となった製品を次々と繰り出したが、製造技術ではまだIntelには遅れを取っていた。製造技術でのハンディキャップを製品のデザインでカバーする状態であった。
CPUデザインでIntelからの激しい追い上げを食らっていたころ、TI、IBM、Freescaleなどで経験を積んでAMDに移籍したのがLisa Suであった。当初は製品担当の責任者であったが、2014年にAMD初の女性CEOに就任した。Lisaはここで大きな決断をする。まず、CPU設計の焦点をハイパフォーマンス分野に絞り、あくまでも高性能のアーキテクチャーにこだわった。そして、製造パートナーをその成り立ちから慣れ親しんできGFからTSMCに変更した。この大英断は見事に結実し、現在AMDはCPUのみならず急成長を続けるAI用の半導体分野でも、トップグループに付けるポジションを築いた。かつて、AMDのSandersは「ファブを持ってこそ男」と豪語したが、現在のAMDは、Lisa Suの類い稀なリーダシップで「常にトップグループで競合するファブレスの大企業」に変身した。女性CEOに率いられるAMDの進撃はまだまだ続く。