IT企業が半導体チップ開発に乗りだすわけ
最近ITあるいはシステムの大手企業が独自の半導体チップに乗り出すというニュースが目立つ。ざっと見渡しただけでも下記のようなものがある。
- 中国の巨大インターネット企業Alibabaのジャック・マー氏Oが独自の半導体開発を宣言。この4年間にすでに5社の半導体設計会社に投資しているという
- HuaweiがバルセロナのMWC(Mobile World Congress)で独自設計の5Gチップを発表。QualcommとIntelに対抗
- Googleが年次イベントGoogle I/Oにてディープ・ラーニング用の独自開発TPU(Tensor Processing Unit)3.0を発表
- Microsoftがセキュリティ機能を搭載した独自の半導体チップの開発を発表
- GMOインターネットが仮想通貨のマイニング用の独自仕様の半導体チップ、およびそれを使用したコンピュータボードの開発を発表。
すでにiPhoneに独自開発のマイクロプロセッサを搭載しているAppleはチップを外販していないので市場統計などには現れてこないが(Appleのチップ生産量はファウンドリ先のTSMCなどの統計に含まれている)、独自設計CPUで先行し、開発・生産では事実上の半導体大手企業になっている。噂レベルであるがFacebookも独自のAIチップを開発中であるという。半導体のサプライチェーンにいったい何が起きているのだろうか? 大手IT企業が独自の半導体チップ設計に乗り出す要因には以下のような環境の変化が考えられる。
- 半導体のアプリケーションが従来のコンピュータ、PCからAI、クラウド、IoT,自動運転などに拡大され、半導体チップに要求される機能・仕様が多様化した。その結果、半導体市場は(メモリを除いて)たくさんのセグメントに分かれてきている
- 半導体集積技術の飛躍的な発展で何十億個のトランジスタを集積する半導体チップは最早パーツではなくシステムそのものである。CPUなどのキーデバイスは自社のアプリケーションに特化した専用チップで置き換えられればそれに越したことはない。こうしたチップはもちろん外販せずに自社のシステムのみに使用する
- 今までのように汎用チップを使用してサービスで差別化するのにも限界が来ている。これらの独自仕様の半導体を使用することで、それぞれの企業はサービスの差別化を強化する
- 巨大IT企業の関心はデータセンターとAIにある。特にAIは自社が目指す方向性によって半導体チップというハードウェアにやらせるタスクは各社それぞれに違ってくる。しかし多くは特定なタスクを高速で動かすマシンが望まれる。この方向性は半導体設計にも都合がよい点が多い。アーキテクチャを簡素化することにより設計がよりシンプルになり、コストが低減できるからである。汎用CPUの命令セットの中には、自社のアプリケーションではまったく不要のものも沢山ある。それらをそぎ落とした専用チップの設計が可能であればそれをやらない手はない
- 限定されたタスクをやるために開発されたマシンは自社の特定のアプリケーションに最適になるようにチューンアップすることができるし、実際にターゲット・アプリケーションを走らせて検証も集中してできるので開発期間は短縮できる。自社が唯一の顧客なので問題があっても内部で対応すればよい
- 専用チップを開発する場合に一番問題となるのは開発・製造コストとそれに見合うボリュームが見込めるかどうかである。これらのIT大手は買収を繰り返し巨大化し、それぞれがすでに10年ほど前の市場と比べ物にならないほどのビジネス規模を手にしている。もはや小国を上回る独自の経済圏を形成しつつあると言っても多言ではない。こうした経済圏を形成すれば自社で使用するだけで十分な量を期待できるので、開発投資リスクは低減する
- 半導体回路設計の技術(EDA)がどんどん発達した結果、セル1つひとつの中身を知る必要もなくなってきている。その機能ブロックがどういうファンクションを提供するのかがわかれば、極端な話、各ファンクション・ブロックをライブラリから選んで、ドラッグ・アンド・ドロップで全体の回路設計ができる。肝心なのはどういうチップを作るかではなく、そのチップにどういうタスクをどれだけ高速にさせるかという点である
- 製造に関してはTSMCなどのファウンドリ会社が請け負ってくれる。10nmレベルの先端プロセス技術でも金さえ払えば独自開発せずに手が届くようになっている。
こうした事情を考えると巨大IT企業が専用の半導体開発に乗り出すのは十分にうなずけるであろう。半導体はIPとボリュームのビジネスである。製造キャパシティに必要な莫大な投資をファウンドリに任せてリスクをとる必要がなければ、後は開発コストとエンジニアリングに必要な人材の問題となる。
仮想通貨市場の到来とGMOの試み
私は仮想通貨(クリプト・カレンシー)という言葉には大きな違和感を持っている。というのも、現在の仮想通貨と呼ばれているもののほとんどが「通貨」たるに絶対必要な要件である「信用」という価値を提供していないからである(これは多くの金融専門家も口をそろえて言っている)。
しかし、それまで物々交換であった状況に「貨幣」という共通の通貨が考案され、これほどまでに普及した歴史もたいして長いものではないし、インターネット内で完結してしまう経済活動がどんどん増殖する中で、新しい形の「通貨」が普及することであろうことはだれにでも容易に想像できる。
ただし、現在の仮想通貨は実際には「通貨」の機能というよりは、かなり投機的な「仮想資産」と呼ぶべきであろう。ともあれ、仮想通貨を支えているブロック・チェーンのシステムにはマイニングに必要な非常に複雑な暗号化のタスクが不可欠である。
しかもそれは高速であるほど価値がある。GMOインターネットの試みは巨大ITプラットフォーマーがAIを念頭に独自半導体を開発するのとは多少違っているかもしれない。
GMOが開発しているのは「マイニング=採掘」の道具としての専用GPUである。ここでは便宜的にGPUと呼んでいるが、その目的を考えるとGMOが開発しようとしているものをGPUと呼ぶのは間違っているだろう。現在ではマイニング用のチップの多くがAMDとNVIDIAの2社が提供する汎用GPUに頼っているのでそう呼ばれているだけである。
マイニングを手掛ける企業が求めているのはGPUに実装されている並列計算能力である。シングル・タスクを高速で作動させるための専用チップをもってすれば、マイニングの効率を飛躍的に向上することができる。汎用GPUにはマイニングには必要ないグラフィクス処理用の余計な回路がついていて、それがチップサイズを大きくしている。大きいチップサイズ→単価の高止まり→需要の急増による品薄→マイニングの機会損失、という負の連鎖は専用チップの開発で解決される。あとは開発コストの金勘定の問題となる。
タスクが単純なだけ計算アルゴリズムは比較的簡単であるし、製造はファウンドリに任せれば最先端の10nmレベルのプロセスを使った製品も可能となる。GMOはいわば高速に採掘を可能とする「つるはし」を独自に開発しようとしているわけである。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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