昨年あたりから始まった消費財の値上げラッシュは今年になって本格化しそうだという。引退後は基本的に年金生活者になったので、毎日買い物をする度に消費財、特に食品などの生活必需品の値上げが大変に気になる。もとより、年金生活者には「賃上げ」などというありがたいものはないので、限られた財政条件で節約し続けるしかなく、自然とモノの値段に対する感覚は研ぎ澄まされたものになる。かつては半導体のマーケッターとして働いた私であるが、消費財と半導体の価格事情の違いに大いに興味を惹かれる。

消費財の値上げに慎重な供給側

原油や原材料の価格高騰に加えて円安が重なり、資源の多くを輸入品に頼らざるを得ない日本では、加工品の供給側は膨れ上がるコストを売値へ転嫁せざるを得ない状況にある。しかし、多くの供給者は値上げには非常に慎重である。永年のデフレに慣れてしまっている消費者が値上げに大きな抵抗感があるからである。

デフレ真っ最中の2-3年前までは、値下げや増し盛りでの顧客獲得に熱心であった供給側は、次第に原材料のダウングレードや商品の小型化でなんとか自社でのコストの吸収を図ってきたが、現在ではコスト上昇に耐えきれず恐る恐る値上げに踏み切るケースが増えてきた。日本の文化的特徴なのか、消費財での慣習なのか、値上げについては「心苦しい」とか「申し訳ない」と言った枕詞が多く使われる。

  • 日本では値上げをする場合、お詫び的な表現がよく使われる

    日本では値上げをする場合、お詫び的な表現がよく使われる

消費者側は今までの品質・満足度を犠牲にしたくないので値上げに同意するか、値上げは受け入れられないのであくまでもコストの安いもので何とか済ますかの選択を迫られている。賃上げと値上げがセットになって推移すれば理想的であるが、賃上げは大手企業の一部のみに限られるので、今後、消費者は「松竹梅」のグレードを意識的に選んで、生活スタイルそのものを現実に沿ったものに変えてゆく事になるだろう。値上げをすれば客足が遠のくという恐れを持ちながら、大量に消費される牛丼・ハンバーガーなどのチャンピオンブランドはPOSデータをにらみながらの値上げに踏み切っている。長引いたデフレ基調は、日本と海外の大きな価格差も生んだ。海外出張・旅行でのもっぱらの土産話は、海外での物価のバカ高さである。デフレが長期化した日本と海外での物価の差に加えて、一時、対ドル150円まで下がった円で物価を換算すれば、日米の価格差は感覚的には2.5倍位の印象がある。

習熟曲線でのコスト低減を技術の世代交代でヘッジする独特の半導体の価格事情

半導体産業も消費財と同じように、高度にグローバル化したサプライチェーンの基盤のもとに成り立っているので、原材料・エネルギーなどの経済要因でのコスト変化の影響を受けるが、半導体産業には業界特有な価格変動要因がある。習熟曲線に沿った価格低減トレンドと技術革新でもたらされる世代交代による価格低下へのヘッジである。

同じ製品を売り続ければ、顧客は当然ながら半導体製造での習熟曲線に沿った価格低減を要求する。コモディティー化製品領域では競合どうしの激しい価格競争で、利益は否応なしに圧縮される。こうしたチキンレースの状況に陥ったら、ビジネスの選択は市況の変化までひたすら耐え続けるか、撤退するかのどちらかである。しかし、半導体にはその原動力の根源である技術革新がある。微細加工技術の発展で常に集積度が上がり性能も上がるので、新製品による世代交代をすることによって習熟曲線に沿って下落する価格を維持する、あるいは上昇させることができる。以前に作成したCPUの四半期ごとのモデルチェンジの概念図を掲載しておく。

  • CPUマーケティングにおけるモデルチェンジ・サイクルの例

    CPUマーケティングにおけるモデルチェンジ・サイクルの例 (著者作成)

技術革新の継続には巨額の研究開発費と設備投資が必要となるので、半導体メーカーは顧客に対しロードマップを伝えて顧客の期待通りに新製品を繰り出せば、値付けについて顧客と議論をする余地はない。議論が発生するとすれば強力な競合が現れてビジネスを奪うための「戦略的価格」を提示してきた場合だ。こうした事態では、営業担当の情報と顧客とのリレーションが重要なカギを握る。「競合が提示しているのは本当にそんなに低い価格なのか?」、「値段と性能が競合と均衡しているなら自分から買ってくれるのか?」などの条件がビジネスを獲得する重要な要件となる。

半導体におけるもう1つ重要な価格変動要件は市況である。2022年後半から悪化した半導体市況は、昨年の11月ころにメモリー製品の価格が上昇に転じたあたりからはっきりとした好転の兆しが出てきた。今年は多くの市場予測で二桁成長が見込まれている。3-4年の周期でシリコンサイクルを繰り返す半導体業界においては値上げ・値下げは日常茶飯事で、営業は顧客との価格交渉に大きなエネルギーを使うことになる。しかし世界市場での供給がタイトになって値上げ基調になる時、「心苦しい」とか「申し訳ない」という表現はあくまでも社交辞令で、「値上げを受け付けないなら商品の提供はできない」というのが本心である。

もちろん、値上げが理由で顧客が買わないなら、その商品は他の顧客に提供されるわけで、売り負けた営業マンとしては自分に「心苦しい」状況に陥る。世界中が空前の半導体不足に陥った3年前には、自動車業界をはじめとする日本の大手顧客が市況変化への対応が遅く買い負けて痛い思いをした。その結果が昨年から顕著になった政府主導のサプライチェーン強化策であるが、国内での新たなファブ建設の成果は今年には見込めない。市況の変化は始まったら加速するので、日本のユーザーが同じ轍を踏まないことを祈るばかりだ。

それにしても、技術革新と市況のポジティブなトレンドを自ら創造し、それに見事に乗って売り上げを倍増した昨年のNVIDIAは“あっぱれ”という言葉がぴったりくる。しかし、この結果世界最大の半導体メーカーとなったNVIDIAには、今年は強力な競合が現れる。もっとも、市場自体が急拡大を続けるのでNVIDIAの売り上げには盤石なものを感じるが、AMDやテンストレントなどの新興の競合がチャレンジを繰り出す今年は大きな波乱が予想される。

こんなコラムを考えながら買い物に行くと、巷では食材の値上がりが止まらない状況である。現実は常に厳しいものだ。