記録的な厳しい暑さが続くこの夏、読者の皆様はいかがお過ごしだろうか。3年にわたったコロナ禍による移動制限の反動で、多くの人が観光・帰郷に移動する中、私は長年の懸案であった広島県の呉市を訪問した。最大の目的は「戦艦大和ミュージアム」訪問と、かつて軍港として栄えた呉市探訪である。

元来、徹底した平和主義者である私であるが、実は「戦艦オタク」である。子供のころから戦艦や航空母艦のプラモデル製作に夢中になっているうちに、戦艦・空母の名前・形状・スペック・戦歴などを空で覚えてしまい、戦艦関係の雑誌や本を収集する「戦艦オタク」となってしまった。テレビ番組で紹介された「戦艦大和ミュージアム」にいつかは行ってみたいと思うようになり、この夏やっと敢行したというわけだ。もちろん一人旅だ。

かつて、日本海軍の軍港として栄えた呉

日本の軍港で代表的なものは佐世保(長崎県)、呉(広島県)、舞鶴(京都府)と横須賀(神奈川県)がある。これらの軍港は明治時代後半に国から指定され海軍の各種サポート機能を備えた特別な地区である。

水深の深い穏やかな入り江、外敵の侵入を阻む港湾地形、兵站に必要な輸送路の確保などの必要条件が多くあり、実際に行ってみると「選ばれた地」であることがよくわかる。その中でも呉はかつての連合艦隊の旗艦を務めた戦艦「長門」「大和」や主力空母「赤城」が建造された海軍工廠が置かれた特別な軍港で、現在では海上自衛隊が地方警務隊本部を置いている。東京から広島まで新幹線で約3時間、広島で安芸路ライナーに乗り換えて30分もすれば呉市に到着する。

巨大なハードウェアとしての戦艦の魅力と「大和」の雄姿

目指す「戦艦大和ミュージアム」は呉駅から徒歩15分の距離である。この博物館は呉市の数ある観光スポットの出発点となっている。

ミュージアムに入ってまず圧倒されるのは戦艦大和の1/10のモデルである。多くの資料を読み込んで細部まで精巧に造られた再現モデルであるが、モデルと呼ぶにはあまりにも大きい。全長が26メートルある。写真に映っている人との比較でそれがいかに大きいかがわかるだろう。世界最大級の戦艦大和の1/10のモデルは、世界最大級の戦艦モデルでもある。全長263メートルの実際の大和の主なスペックは以下の通り。

  • 全長263メートル、全幅38.9メートル
  • 排水量65,000トン、出力15万馬力
  • 最大速力27.46ノット(時速約50キロ)、時速16ノットで最大13,000km航行可能
  • 46センチ主砲3基9門、15.5センチ副砲2基6門搭載
  • 戦艦大和の1/10のモデル

    戦艦大和の1/10のモデル。それでも全長26メートルの圧倒的な大きさ (著者撮影)

船体の大きさもさることながら、主砲の46センチ砲はけた外れのスペックで、射程距離は40キロ以上になる。初速マッハ2.3で東京駅から八王子駅まで飛ぶ驚異的な威力だ。大和建造の目的はこの主砲の圧倒的な火力でもって対戦艦の海戦において敵艦隊をせん滅する事であったが、結局大和の46センチ主砲が戦艦を相手に火を噴くことはなかった。大和が長門の後任として旗艦として連合艦隊に組み入れられたころには、海上での戦い方が空母から飛び立った艦載機による艦上爆撃と潜水艦による魚雷攻撃に主眼が置かれるようになったからだ。

大和の最後の出撃は戦局が厳しさを極めた1945年4月「天一号作戦」で、山口県徳山湾沖を出港し沖縄に突入、沖縄海岸に座礁して砲台となり、劣勢を極めた沖縄戦を援護するというものであった。大和出撃の約半年前には、長崎県の佐世保で建造された大和の姉妹艦「武蔵」がレイテ沖決戦に向かう途中で米航空機の攻撃にあい、魚雷20本と直撃弾17発を受けて撃沈されていた。さらに激しい米軍による艦載機と潜水艦の攻撃は充分に予想されたが、護衛がほとんどないままの突入で、いわゆる「特攻」であった。3000人近くの乗員を載せた大和は奮戦虚しく鹿児島県坊ノ岬沖に沈没した。大和の誕生から悲劇的な最期までについては実に多くの記録・著作・映画などがあるがそのどれもが無謀な戦争で多くの命が失われた悲劇を物語ってる。

世界最大級の戦艦の建造に凝縮された技術

呉湾には大和が建造されたドックが現役で残っていて、大和ミュージアムの展望デッキから眺望することができる。現在もJMU(Japan Marine United)が貨物船やタンカーなどの建造を行っている。JMUは住友重機械工業、石川島播磨重工業(現IHI)、日立造船、日本鋼管などの海洋・船舶部門が経営統合されて生まれた造船技術に特化した企業である。その造船の歴史は200年に及ぶ。

  • 呉湾には戦艦大和が建造されたドックがまだ現役で残っている

    呉湾には戦艦大和が建造されたドックがまだ現役で残っている (著者撮影)

戦艦大和の建造については、当時の最新の技術が多く使われていた。海軍はこの最新鋭艦の建造については最高機密扱いとして全てを進めた。ドックは建造中、常に被い隠され、その方角に向く民家の窓はすべて閉じられ、要所要所には監視員が配置されたという。このドックは現在では呉湾の観光のハイライトともなっている「軍艦クルーズ」でかなり近くで見ることができる。呉湾を一通り巡ることができるこのクルーズでは、海上自衛隊の現役の潜水艦や駆逐艦も見ることができる。

戦艦大和ミュージアムでは2024年3月31日まで企画展「日本海軍と航空母艦」が開催されている。呉建造の空母「赤城」を始めとするかつての連合艦隊の主力空母のかなり精巧なモデルが展示されている。「赤城」の姉妹艦である「加賀」や「飛竜」、「蒼龍」、「瑞鶴」、「翔鶴」などのかつての主力空母の船体サイズ比較などもあって非常に興味深い。

  • 併設されている空母展

    期間限定の企画展として開催されている空母展。写真は「ア」の迷彩から「赤城」とわかる (著者撮影)

呉市にはこの他にも旧海軍ゆかりの名所旧跡が沢山残されていて、「戦艦オタク」でなくとも悲惨な戦争の歴史に思いを馳せるいい経験になると思う。

世界平和を切に希求しつつ。