フィンランドの核廃棄物地層処分施設オンカロの衝撃
人類のテクノロジーへの関わり方についての議論が盛んになってきている。筆者が現在、通っている大学は人文科学系なので、人類とテクノロジーについて社会学的、歴史学的、哲学的、倫理学的、人類学的ないろいろな見方を中心の話題に据える授業も増えてきている。筆者が先立って通っていた40年前には考えも及ばなかった話題について、専門知識を持った先生たちが真剣に議論している様子を見ると隔世の感がある。従来、人文科学の研究対象は人間であったが、今やその対象は人間が生み出したテクノロジーと人間の関わり合い、あるいはテクノロジーそのものへと研究分野を拡大している。テクノロジーを非常に肯定的に捉えるアプローチがある一方、どちらかというとテクノロジーを人類の脅威と捉えるようなアプローチがあることも事実である。
今回の話しは、筆者が先学期に受けた歴史の授業で紹介されたドキュメンタリー・ビデオについてご紹介しようと思う。
ドキュメンタリーのタイトルは「地下 深く永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」(2011年 NHK BSドキュメンタリー)である。このドキュメンタリーは2009年にデンマークで製作された映画「10万年後の安全」(原題:Into Eternity, 監督Michael Madsen)がベースになっている。ドキュメンタリーの背景を要約すると以下の通りである。
- 世界中いたるところに建設された原子力発電所から出される大量の高レベル放射性廃棄物はそのほとんどが暫定的な集積所に蓄えられている。
- 北欧の国フィンランドは国策として原子力をエネルギー政策の大きな柱と据えたが、同時に放射性廃棄物の対策として、首都ヘルシンキの西方にあるオルキルオト島に世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地下処分場の建設を進めている。
- オンカロ(フィンランド語で「隠し場所」の意味)と呼ばれるこの巨大地下建造物は、18億年前に形成され世界一堅牢と言われるフィンランドの岩盤を地下500メートル掘り進み建造され、幾重にも安全策を講じた容器に格納された放射性廃棄物を放射能がゼロとなる10万年後まで地中に保管するという重大な使命を帯びている。
- 国民的な議論の末2009年から建設が開始され、核廃棄物の地層処分は2020年の開始を目指す計画である。
この施設は、日本の小泉純一郎 元首相が訪問して、かつて日本政府のトップとして原子力発電を推進した自身の責任について「原子力政策は間違っていた」と意見を180度転換し、今では再生可能エネルギー推進派の中心人物となったという多くの報道によって、日本でも何度か紹介されている。10万年という人体への放射能危険性持続期間に対して、真っ向から国を挙げて対策を講じるフィンランドという非常に真面目な国民性にも感心させられるが、このドキュメンタリーではこの国家プロジェクトについての学者たちの議論が非常に興味深い。
人類は人類をどれくらい信用しているか?
このドキュメンタリーでは各方面か集められた学者たちが登場し、プロジェクトについて盛んに議論するが、議論の前提条件となっているのは、下記の非常に単純ではあるが重大な事実である。
- この施設は放射能がゼロになる10万年間持ちこたえなければならない。
- 人類の歴史を考えると、ネアンデルタール人の出現は15万年前であるが、現代人の直接の先祖のクロマニヨン人の出現はせいぜい3万年前である。
- 「将来の子孫に負の遺産を残さないため」、という考えが根幹にあるがそのタイムスパンは経済問題で議論されている孫子の未来世代などというものとは比較にならないほど永い。
- この施設は完成後封印されて地下深く眠り続けることになるが、長い年月とともに地表は他の場所と見分けがつかなくなるはずである。10万年という途方もなく長い期間そのままで置いておかれるということをどう保証するのか? 学者たちがオンカロの安全性を脅かす最大の要因と考えているのは自然災害ではなく人類そのものである。
- ここに人類にとって非常に危険なものが埋蔵されていることをどう表示するのか?
オンカロの完成を数年後に控えたフィンランドでは、約500メートルの地下に設置されたこの施設についての情報を後世の人類(あるいはその代わりになる何か知的な存在)にどう伝えたらいいのか科学者のみでなく、歴史、宗教、倫理、人類学などの広い範囲の専門家を世界中から招聘して議論している。現在考えられているのは、象形文字のようなもので「危険物が埋蔵されているので絶対に近づかないこと、決して掘り返さないこと」というメッセージを考案し頑丈なモノリスのようなものに刻むというアイディアである(下記の図をご参照)。
学者たちの議論は多岐にわたるが、結局結論が出ない。
- 科学者たちは6万年のうちに氷河期が訪れて、地表は永久凍土に覆われることが予想される。そうすれば自然と誰も近づかなくなるだろう。いや、本当にそうだろうか? 人類は今他の惑星に行く計画を持っているくらいだからどこにでも行くのではないか?
- これを掘り返す能力がある人類(あるいは知的生物)は相当の技術を持っているはずなので、その危険性にも気付くであろう。しかしその危険性を悪用する者がいるかもしれない。
- そのころまでには放射性廃棄物の有効利用が解明されているのではないか? (これには原子物理学者が無理であろうと答えている)。
- 「ここを掘り返すな」と言えば掘り返す者が必ず出てくる。これはエジプトのピラミッドの例でも明らかだ。しかもその歴史はたった4000年である。
- いっそのこと「なんの標識も立てずに放っておく」、というのが一番いいのではないか?
ドキュメンタリーの最後に1つの質問がすべての学者に問われる。「あなたは未来の人類を信じていますか?」、この質問を受けた学者のほぼ全員が非常に気まずそうな顔をしながら明確な答えを保留するところが非常に印象的である。
因みにこの授業の最後に先生から出された課題は「あなたならメッセージを残しますか、しませんか? 残すならどういうメッセージですか?」、というものであったが、正解はもちろんない。
フランケンシュタイン・コンプレックス
核開発に限らず、AI、ロボット、生体科学などの先端テクノロジーを人類がどうコントロールするか、どう関わっていくかという議論が最近盛んになされている。筆者はそうした議論に多くの関心を持っているが、どちらかというとテクノロジーの進歩が加速的になって、人間がその行く末に不安を感じ始めているように感じる。
誰でも知っている空想小説「フランケンシュタイン博士と怪物」の結末は、科学の力で怪物を生み出した博士がその怪物に殺されてしまうという悲劇的なものであるが、この小説にヒントを得てSF作家のアイザック・アシモフが考えた「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉がある。「創造者たる人間が自ら生み出した被造物に対して恐れを抱く複雑な心理」であるが、我々が置かれている状況はもはやSFではなく厳然としたリアリティーであることがさらに不安を掻き立てる。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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