モノの値段が一斉に上がってる。原油をはじめとする原材料の値上がりと円安が賃金デフレ状態の日本全体を一気に襲い国民生活を圧迫する。このところ常に耳にするのが値上がりを嘆く消費者の声である。しかし、売る側もしたくて値上げしているわけではない。原材料の値上がりを売値にどう転嫁するかは、日本中の大小飲食店が頭を悩ます問題だ。値上げを嫌う消費者と上昇する仕入れ値という厳しい環境にあって、消費者と飲食店の駆け引きはいたるところで展開されている。経済全体が成長しているのであれば、経済活動で生み出される利益はサプライチェーンの各層にいきわたるが、ゼロサム状態の日本では、圧縮された利益を誰が手にするのかは深刻な問題だ。

家の近所の一杯飲み屋であまり客がいない早い時間から飲みながら、店を切り盛りする店主との世間話を楽しみとしているが、最近のもっぱらの話題はご多分に漏れず「値上げ」についてだ。つい最近のことである、私が毎日変わるメニューを眺めながら「この店は値上げをしないで頑張ってるね」と話しかけたら、にやっと笑った店主が「上げてますよ。お客さんが気が付かないだけです」と返された。営業・マーケティングの経験が長かった私はモノの値段については厳しい目を持っていると自認していたが、店主の方が一枚も二枚も上手だったことが判明した。

ハンバーガーに学ぶ値上げのテクニック

少し前のことであるが、あるビジネス誌でハンバーガー全国チェーン店の価格の変化と、日本全体の物価の関係を論じた面白い記事を見かけた。取り上げられたハンバーガーチェーンの価格の推移と総合物価を比較すると、ハンバーガーの値上げは総合物価をかなり上回るペースで上がっている状況だ。ハンバーガーという商品の特徴から輸入材料に大きく頼らざるを得ない厳しい条件の中で、巧みなテクニックを駆使して値上げしながらも客離れを起こさず売り上げを堅調に伸ばしているという。

その裏には近代マーケティングの手法がいかんなく発揮されていることが読み取れる。店の改装などでの新たな雰囲気創造、セットメニューの充実、プレミア商品の絶え間ない開発、ポイントキャンペーンの目まぐるしい展開など、放っておいたら下降するだけの状況を不断の努力で逆転する様はさすがにマーケティング発祥の地である米国仕込みの底力を見せつける。値上げはしているものの顧客満足度を上げることによって、客離れを防ぐ方法は豊富にある。しかしこれらの積極的なマーケティング活動にはそれ相当のコストが係るのも厳しい現実だ。

  • ハンバーガーはプレミアム商品の開発など多様なマーケティングを展開する

    ハンバーガーはプレミアム商品の開発など多様なマーケティングを展開する

燃料費と材料費の高騰に喘ぐ中小飲食店は、価格転嫁で客離れを起こさないように涙ぐましい努力をしている。より安い材料を仕入れる、値段は据え置いて量を減らす、メニューを減らす、酒類などの衆知の値上げに便乗して値段を微調整する、など現在のところは古典的な方策で凌いでいるが、原材料・燃料費の上昇は更に継続する様相を呈していて、値上げやむなしとなる状況である。世知辛いとはこのことだ。

半導体の値上げテクニック

一般消費財とはかなり異なる値動きをする半導体であるが、その製品や業界によってもかなり異なる動きを見せる。

CPU

新アーキテクチャーの導入によるCPUコアデザインの刷新、より先進的な微細加工への移行、新たな機能の取り込みなどで世代交代を絶え間なく続けるCPU市場の値上げ要因はなんといっても「性能」である。古い世代は新世代にとって代わり、値上げの機会は製品サイクルごとに訪れる。今や一般消費財の大きな部分を占めるPCや携帯電話用のCPUの値段は年々コモディティー化しているので需要/供給の市況に大きく左右されるが、サーバーやAIなどの先端分野でのCPUの値段を決定づけるのは先進技術である。技術力は停滞したら最後、値段を下げながら売り上げを確保しなければならない負のスパイラルに入ることを強いられる厳しい世界だ。

  • CPUの価格は絶え間のない新商品開発によって支えられている

    CPUの価格は絶え間のない新商品開発によって支えられている

メモリ

DRAMやNANDフラッシュメモリデバイスのビジネスも大変に厳しい世界である。価格決定の主な指標は「容量」だが、この容量を増加させる技術開発と製造設備への投資にはべらぼうなコストがかかる。この分野での半導体技術は、従来の微細加工の追及による2次元面での集積度の向上から、多層化へと技術の発展軸が変わってきている。乱立する都市部のタワーマンションのように、価格の上昇は縦方向にベクトルをとる技術とともに移行している。

シリコンウェハ

超平坦度を均一に保つ表面加工品質、抵抗値/酸素濃度などのシリコン物性の均一度など技術的要求度が高い割には、「毎期の価格低減」が不文律のようになっているシリコンウェハは究極のコモディティ・ビジネスである。

ここでの価格決定要因は需給状態(いわゆる市況)である。業界全体の利益率が押しなべて低いので各社とも供給能力を高めるための設備投資には非常に慎重である。しかし、この業界ではシリコンサイクルを契機とした業界全体の一斉値上げが起こる。その様はさながら江戸時代の「農民一揆」の様相を呈する。それが明らかになったのが昨年まで続いた極端な半導体供給不足である。現在では需要が緩んでいる状態だが、殆んどのウェハメーカーは顧客との長期契約を結んでいるので大きな価格変動は見られない。

製造装置

現在この業界のもっぱらの関心事は米中の技術覇権争いによる政治・地政学的な影響である。最先端のEUV露光技術などは、完全にASMLの独占状態にあるが、ASMLの企業努力だけでは解決できない問題を孕んでいる。また、ここ数年顕著となってきているのが8インチウェハ対応の製造装置の中古市場が活況であることだ。小口径ウェハの製造装置は閉鎖する工場から放出されるが、パワーデバイス市場の活性化で高値で取引されるという。これにはパワーデバイスに注力する中国市場の事情がある。

買う側も売る側も緊張状態が続くが、これを生き抜くためにはモノの適正価格を見極める目が重要となる。世の中の動きに疎くなったお年寄りに付け込む「オレオレ詐欺」のようなルール無視の蛮行は許しがたいが、価格上昇が続く状況の中にも顧客満足度を維持しつつ強かに生きぬく知恵はいくらでもある。