毎年暮れに郷里に帰り、年老いた母親と大晦日と正月を過ごすのがここ数年の恒例行事になっている。コロナ禍の中で途切れた年もあったが、今年はゆっくりとした時間を母と過ごした。既に90歳になる母親はさすがに耳は遠くなったものの、頭はかなりしっかりしていて、いろいろな事柄に興味がある。趣味はAMラジオを聴くことで、特に時事問題に興味があっていろいろと質問される。今年はいきなり「半導体というのはお前が仕事にしていたものだろう。それが今になってなんでこんなに大きな問題になっているのだ?」、という質問を受けた。一瞬「さてどこから説明したらいいだろう」と答えに詰まった。
経済安全保障上の「重要物資」と半導体を位置づける日本政府
暮れも押し迫る12月20日、日本政府は経済安全保障推進法の「特定重要物資」に関し、半導体や蓄電池など11分野の指定を閣議決定した。これらの分野での国内での生産体制強化/備蓄と、それに必要な政府からの財政援助を含む内容である。指定された11分野は重要鉱物、工作機械、ロボット、クラウドプログラムなども含まれ、母親が慣れ親しんだオールドエコノミーでの重要物資である、「原油と鉄」というイメージからはかなり刷新された感は否めない。中でも半導体は一般人が普段目にしないものなので、一部の政治家がこぞって話題にする半導体とはいかなるものか、という前述の母親の質問となったのであろう。
確かに半導体とクラウドはこの数十年で飛躍的に発展し、その重要度を拡大させ、今や一般人の社会インフラを支える重要技術であるが、その発展過程は国境を超える形で急拡大した印象がある。たまたまその発展過程と自身の仕事人生が重なる私としては、ある意味では誇らしい気持ちにはなるが、その重要性が「国家安全保障」という非常に厳めしい文脈で語られる事実にはある種の違和感と危なっかしさを感じてしまうのも正直な感想だ。
米中の技術覇権争いをめぐって大きく世界が動く今日
今日、国家という文脈で一番重要視される世界問題の1つに米中の技術覇権争いがある。
昨年以来、中国に対し厳しい先端技術の輸出規制へと大きくステップを踏み出した米国バイデン政権が最も注目しているのが半導体技術である。かつて、半導体分野で米国の対抗軸となったのは日本であったが、現在では世界の半導体生産の多くの部分を担う台湾と、それを取り込もうとする中国がそれに代わる。
急激にファブレス化が進んだ米国半導体産業にとって、台湾は常にその影響下でともに成長する重要なパートナーであった。しかし、その重要パートナーに中国の台頭という地政学的リスクが迫る中、台湾を挟んで対峙する両国の動きは一触即発的な危険を感じさせるレベルとなった。そうした世界の現状とは別に、半導体技術は驚異的なスピードで発展し続け、その技術と生産の条件が世界に与える影響は増すばかりだ。日本政府も重い腰を上げて半導体国内生産のための動きを見せた。TSMCの熊本工場に続いて、国策で先端ロジック半導体生産を目指すRapidus社が設立された。IBMとの協業で2nm超のプロセス開発を目指すという。
米国主導の半導体経済圏のブロック化はインドやベトナム、メキシコにも広がる気配を見せている。国連が2022年7月に発表した「世界人口推計(22年版)」によれば、インドの人口は今年にも中国を抜く見通しで、国民の平均年齢も29歳前後と、38歳の中国と(統計によって多少異なる)比較して非常に若い。若い労働人口を抱えたインドが将来成長を目指すためには、半導体の国内生産は重要課題である。インド政府は先ずは後工程をサポートする国内拠点を充実するための政府補助金を決定した。最初は後工程、その先にはより付加価値の高い前工程を射程にするというのは半導体業界の発展過程ではよく見られるものである。しかし、今後の展開は過去の発展過程よりはるかに速いスピードで進むに違いない。
サプライチェーンの確保を考慮し、世界情勢に対応する各ブランド
国家の主導によりブロック化する半導体技術の急激な動きは各半導体ブランドに大きな変化を強いている。昨年末に報道された、中国の国策メモリー半導体メーカーYMTCの動向は衝撃的であった。
米国安全保障局(BIS)が新たに発表した米国からの技術輸出規制エンティティリストにYMTCが加えられた。これによってYMTCは米国の技術を使用した製造装置の購入が不可能になった。YMTC社の企業としての存続にかかわる問題である。
世界最大のファウンドリ企業TSMCは、現在、米アリゾナ州に建設中の新工場の計画に追加投資を行う決定を下した。かねてよりコストの高い米国工場について否定的だった半導体業界のレジェンド、Morris Chang自らの発表は、この急変する世界情勢に対応した戦略的判断だったと思う。
ごく最近の報道では、DELLは中国製半導体の使用停止を決定したと伝えられる。世界市場で多くの顧客を抱えるコンピューター市場での最大ブランドがサプライチェーンの確保に動いた結果だ。これらの大手ブランドの素早い動きは、国家安全保障の枠内で決定される矢継ぎ早の措置に対応するべく、各ブランドがあの手この手で対応しようとする状況を示している。やはり高度にグローバル化した半導体サプライチェーンの現状と、ひたすら政治的アジェンダで動いていく世界の現状が生み出すひずみが拡大している印象がある。
シリコンウェハをはじめ、半導体サプライチェーンの上流で重要な役割を果たしている日本ブランドへの大きな影響も予想される。
冒頭に述べた、正月で放たれた母の質問に簡単に答えることが非常に難しいことを実感した。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を機に引退を決意し、一線から退いた。
・連載「巨人Intelに挑め!」を含む吉川明日論の記事一覧へ