米国バイデン政権が10月に打ち出した半導体技術の対中輸出規制は今までになく厳しいものとなり、サプライチェーンの各重要部分を占める各社がその対応に頭を悩ませている。「国家安全保障の防衛」が錦の御旗となっていて、対象となっているのは半導体の先端技術分野であり、そのアプリケーションとして最も意識されているのが兵器である。
私がAMDに現役勤務したひと昔前では、軍需向けの半導体は“Military Spec(軍需仕様)”と呼ばれ、多くの場合、誤動作などの危険を極力抑えるために最先端の技術から2-3世代前のいわゆる「枯れた技術」の製品を選別した非常に単価が高い製品を中心として事業部が成り立っていたが、半導体製造技術の飛躍的な発展により品質が向上し、AI制御の導入もあり軍需と民間の「共通仕様(Dual Use)」のトレンドが当たり前になった。
ロシアのウクライナ侵攻によって明らかになったのは、戦争の前線では最新技術を使用した最新兵器の優劣が重要なファクターとなっている点である。極端な話をすれば戦争の最前線で使われるドローン兵器をコントロールする半導体部品と同じものが自動運転車にも使われる場合があるということだ。こうした新たな状況を受けて、対中貿易規制を強化する米国政府の出方に半導体各社は頭を悩ませつつも、ビジネスへの影響を最小限に食い止めるべくいろいろな工夫をしている。
A100をダウングレードさせたA800を中国向けに出荷開始したNVIDIA
NVIDIAは、米国政府の規制により、中国への輸出が禁止されたデータセンターのAIアクセラレーター用チップ“A100”GPUの代替品として、A100をダウングレードしたA800を中国向けに輸出していることを明らかにした。
詳細は明らかではないが、A800はA100のデータの転送速度を抑えることによって性能面で米国政府の規制をクリアし、A100とソケット互換のチップとなった模様だ。
通常、半導体デバイスのアップグレードは製造プロセスのチューンアップや、コア数やキャッシュメモリーの増量、オーバークロックなど、いろいろな工夫をしなけければならないが、ダウングレードは比較的容易である。動作周波数に制限をかける、I/Oの帯域を抑える、キャッシュの一部を使用不能にする、元々のターゲット・スペックに届かなかった「フォールアウト品(不合格品)」を再測定してダウングレード仕様に収めるなど、いろいろな方法がある。
今回のNVIDIAのA800はこうした工夫をして、輸出規制をきちんと回避した製品である印象がある。製造・販売ボリュームが重要な半導体ビジネスにおいて、政治的な制限を技術の工夫で回避したともいえる。NVIDIAの競合でやはり中国に大きな市場を持っているAMDや、他分野の半導体各社もこれに追従する可能性がある。半導体メーカーとしてはいかにもありそうなケースだ。
中国市場でのビジネス拡大を目指す、RISC-V命令セットCPUのSiFive
低電力でスケーラブルなArmの対抗アーキテクチャーとしてグローバル活動を活発化させているRISC-V陣営で広範囲なアプリケーションに対応するCPUを開発したSiFiveは、中国での拠点を増やし、ビジネスの拡大を目指している。
カリフォルニア州に本社を構えるSiFiveであるが、その技術のベースはRISC-Vという公開されているオープンソースなので自由主義国陣営という枠を超えてグローバルに自由に活動できるのは他社にない大きな優位性だ。x86やArmと言った自由主義国圏の代表的CPU技術とまったく異なったアプローチで、技術的に無国籍な点で政治的影響を受けない強さがある。Huaweiなど中国を代表するIT企業は、CPUのプラットフォームとしてArmアーキテクチャーにベースを置いている企業が多いが、今後の成り行きではSiFiveなどのRISC-Vアーキテクチャーに移行する可能性も否定できない。
中国のAIチップのベンチャー企業Birenへのサポートを停止したTSMC
非常に微妙な立場に置かれているのが世界最大のファウンドリ会社TSMCである。まさに米中の覇権争いの真ん中に位置する台湾にベースを置くTSMCは、Apple、AMD、NVIDIAといった先端ファブレスチップ企業の主力工場であるが、その立場は地政学的リスクの観点からすれば世界で最も不安定な立場にあると言える。
TSMCは最近中国に本拠地を置くBiren Technology社への製造サポートを停止したと言われている。Birenは2019年に設立されたスタートアップで、クラウド・コンピューティングやAIアクセラレーションに特化したソフト/ハードの開発を行うファブレス企業であるが、先端AIチップの製造をTSMCに委託している。TSMCの先端7nmプロセスを使用するチップの生産は今回の輸出規制にもろに抵触する技術で、TSMCはBirenへの製造サポートを停止した。急成長する中国クラウド市場での注目度が高いBirenへのサポートを停止せざるを得なかったTSMCであるが、その損失分はNVIDIAなどの例でも明らかなように、規制回避の工夫を施した他社のチップ生産で補われる事になるので、短期的なビジネス上のインパクトは限定的であるが、TSMCの顧客は大半が自由主義国陣営である事実を十分認識している。
ごく最近、創業者で半導体業界のレジェンドであるMorris Chang自らが出席した記者会見でアリゾナ州で3nmプロセスの最先端品製造の新工場建設について言及した。TSMCは現在同州で5nmプロセスの工場を建設中で、2024年からの量産を目指す。その先にある3nmプロセスという超最先端技術を移植した工場建設を米国に建設というのは、TSMCがファウンドリ市場で引き続き主導的立場を取るといういう非常に明確な意思表示であり、その発表を業界のレジェンドが自ら行ったことには大きな決意を感じる。
影響が最も深刻な製造装置ブランド
こうした半導体サプライチェーンの主要プレーヤーの動きの中で、今後最も深刻な影響を受けることが懸念されるのが製造装置ブランドである。その代表格企業AMAT(Applied Materials)の最近の決算発表(8-10月期)は最高額の売り上げを記録したが、その地域別の増減をみると中国市場での売り上げの急激な落ち込みを、台湾をはじめとする自由主義国圏の顧客の売り上げ増で補完した事が明らかに見て取れる。
米国政府は各製造装置メーカーに対し、中国の拠点に配置しているサポート要員の引き上げを要求していて、このプロセスは現在進行中である。装置ビジネスはそのライフスパンが非常に長期なのが特徴で、いったん決めた方向性を一朝一夕には変更できない。製造装置ブランドの多くが加盟している業界団体「SEMI」は「国家安全保障上の政府の措置は理解する。現在、規制に関する商務省によるBIS文書(BIS:Bureau of Industry and Security:アメリカ合衆国商務省産業安全保障局)を精査している状態で、その評価を経たのちに公開のコメントを発表するつもり」と答えている。
今回の商務省の輸出規制の目的は全ての技術流入をシャットダウンさせることではなく、中国の半導体開発のペースを鈍らせることなのは明らかで、サプライチェーンの上流にある製造装置分野での規制を厳しくすることで、大きな効果が期待できる。
日本の官僚組織と違い、米国の商務省などには実務経験者が多く働いており、サプライチェーン全体を視野に入れたかなり効果的な規制が発出されている印象だが、その限界はある。半導体各社はその間隙を突き、ビジネスへの影響を最小限にするという両者の駆け引きが日々行われている。