ロシアによるウクライナ侵攻以降、各国が戦略物資として認識する半導体サプライチェーンの自国確保強化への動きが目立っている。ロシアからの原油・LPGの調達制限はすでに世界経済に大きな影響を与えている。ロシアは半導体生産国ではないが、EV社会を見据えた最先端半導体・蓄電池などに欠かせないパラジウムなどの希少金属の輸出国でもあり、これらの調達に与える影響も懸念される。
こうした不穏な状況の中、この半年ほどで先進各国は巨額の補助金をベースとした自国での半導体生産能力の強化へと方向性をはっきり打ち出し始めた。これらの動きはロシアのウクライナ侵攻に呼応するものではなく、最先端半導体生産基地が台湾に集中している点についての懸念からだ。特に最先端ロジック半導体プロセスによる生産能力で他を寄せ付けないTSMCの本拠地が、世界最大の半導体市場を抱える中国と海峡を隔てた位置にあるという事実が、米国を中心とした世界覇権の現体制に挑戦姿勢を露わにしている中国によってもたらされる地政学的リスクをますます増大させているからだ。ロシアによるウクライナ侵攻がもたらす世界的影響が図らずも半導体をめぐる各国の動きを裏付ける形となった。
神出鬼没のゲルシンガーと半導体サプライチェーンの自国強化に走る各国
最近の報道で興味深かったのはIntelのCEO、ゲルシンガーがお忍びで台湾のTSMCを訪問し、最先端半導体の生産増量を求めたというニュースである。プレスへのコンタクトは一切なかったので正式発表ではないが、自社での最先端品の生産に問題を抱えるIntelが供給問題を少しでも解消するためにTSMCに生産の上増しを訴えたというのはうなずける話である。
そのゲルシンガーは訪台の直前、インドを訪問、Modi首相との会談後、両者がツイッターで「半導体開発分野でのさらなる協力体制について話し合った」と言及し、Intelが半導体の国内生産誘致に積極的な姿勢を見せるインドに接近していることが明らかになった。まさに神出鬼没のゲルシンガーの動きは、各国がこの分野で活発な動きを見せている事を印象付けた。この半年の報道をざっと見ただけでも、下記のような各国の動きがあり、日本で報道されなかったものも含め非常に活発化している。
日本
TSMCは熊本での工場建設を決定。今後の計画の概略発表とともに優秀な人員の確保のための採用活動を開始している。この工場ではCMOSイメージセンサー、アナログ、マイコンなどの製品の生産が計画されている。
米国
米国内での最先端半導体の生産拠点を強化するための巨額予算をサポートするCHIPS法案は上院・下院の主要な議論を終え、本格的な成立に動き始めている。米国内ではすでにIntelやTSMCが生産能力の強化を目指す積極的な投資を開始しており、この財源としてもCHIPS法案は業界にとっても重要な法案となっている。
ドイツ
Intelが2.2兆円を投じてザクセン・アンハルト州に工場建設を発表。この計画は発表されただけでも2つの工場建設が含まれ、Intelによる欧州各国への巨大投資の一部と考えられる。
EU
半導体の安定供給を確保するためにその経済圏内での半導体生産強化を目指すEuropean Chips Act(欧州半導体法)を発表。この法案によりEUは56兆円にのぼる投資を呼び込む。時を同じくして、イタリア政府が半導体分野で2030年までに5兆円の予算を組むことを発表。
カナダ
技術革新省は半導体およびフォトニクス分野における研究開発の強化策として、200億円超の予算を発表。カナダ国内に展開する外資を含む100社の半導体関連企業の研究開発・製造の促進をはかる。
サウジアラビア
3月末にリャドで開かれたフォーラムで半導体の研究開発分野での国力強化の方向性を発表。この方向性は“Saudi Vision 2030”と呼ばれるハイテク分野での国家プロジェクトの最重要課題となっている。
サウジアラビアはかねてより半導体、自動運転、スマートシティでの将来計画について外資を呼び込む積極姿勢を前面に打ち出しており、化石燃料後の影響力維持のための世界戦略に巨額の予算を計上している。時を同じくして、AppleのOEM生産で筆頭の台湾Foxconnがサウジアラビアに巨額投資案件を提示しているとの報道もあった。
こうした巨額の資金提供を伴う各国の積極的な動きとコントラストをなすように、自国内の技術・タレントの流出に「待った」をかける囲い込みの動きも見られる。
中国資本による米系企業の買収はCFIUS(対米外国投資委員会)の審査により許可を取ることが殆んど不可能となっているし、最近発表されたNVIDIAによるArm買収失敗の一因には英国政府当局の反対があった。デバイス業界以外でも、台湾系の半導体ウェハ大手GlobalWafersによるドイツの老舗企業Siltronics買収の失敗にはドイツ政府当局の動きが関係していたというケースもある。
半導体のサプライチェーン全体で各国の動きが活発化している現状は、巨額の政府資金を基に経済安全保障を担保しようとする各国政府の思惑を反映している。
高度にグローバル化した半導体サプライチェーンと各国事情の2重構造
当初、半導体を自前で用意しようとする動きはAppleやGoogleなどのグローバル巨大企業から始まった。今やその主要製品のCPUをほぼ100%自前で設計しているAppleから生産のほぼ100%を請け負うのがTSMCだ。このTSMCがその最先端品の生産を集中させているのが台湾で、その台湾は米中の覇権争いの真っただ中にあることが地政学上のリスクを増大させている。
かたや、半導体を戦略上の重要要件としてとらえる各国が自国での半導体確保のための囲い込みに走る2重構造が生まれている。
もともと高度にグローバル化した半導体サプライチェーンのすべてを各国が国単位で囲い込むことは不可能であるが、サプライチェーンの重要部分を自国に持つことで、半導体確保のための交渉能力は格段に高まる。表面的には半導体デバイス生産の前工程の取り込みに各国が躍起になっている印象があるが、集積度の飛躍的向上とともに後工程にも大きな技術的価値があって、今後の各国の動きはサプライチェーン全体を視野に入れた動きに展開する可能性がある。