このところ世界は重苦しい雰囲気にとらわれているので、今回はくだけた話題を取り上げたい。
私の職歴は主に営業・マーケティングである。半導体業界でのマーケティングの手法は他の業界とはかなり違っているとはいえ、競争が激しい市場において、自社製品の付加価値を明らかにして、ビジネスをより優位に展開しようという姿勢はどの業界においても同じである。自称“マーケティングおたく”の私が日頃感じた事柄を小話にまとめた。
防寒グッズの性能向上マーケティング
今年の冬は例年より日々の寒暖差が大きいと感じたのは、還暦をとうに過ぎた私だけではないと思う。しかし今日では多種多様な防寒グッズが手に入るようになって非常に便利である。その中でも、暖かい上に軽くて、しかも安価に手に入る防寒Tシャツ、タイツの類は私にとっては必須アイテムだ。
そこで日々感じるのがこうした防寒仕様肌着の性能の飛躍的向上だ。今年も某有名アパレルブランドの防寒Tシャツと靴下を新調したが、昨年までの商品と比較して明らかに“心地よさ”が向上したと感じた。
CPUの技術革新もさることながら、アパレル業界の研究開発の成果は文字通り“肌で感じる”明らかな性能向上が感じられ、いつも感心させられる。しかもその価格体系の構造は、CPUのそれと非常に似ている。以前にCPUのモデルチェンジのサイクルと価格体系の関係を書いたが、構造的には「価格帯は一定で新製品が一世代前の製品に取って替わる」という循環を繰り返す。アパレル業界のモデルチェンジは技術革新の結果生まれる新製品の投入サイクルに加えて、季節要因やファッション性などの他の要因が加味される非常に複雑なものであると察する。
パソコンのCPUの場合はかなりの演算能力を必要とするアプリを多用するプロユースでもない限り、その性能の違いを“肌で感じる”ことはあまりないと思うが、アパレルの場合は個々人の使用感がマーケティングの最も重要な要因となり、そのまま競争力と直結する。新製品開発のR&Dチームとマーケッターの連携はかなり密なものであろう。アパレルR&Dまさに恐るべしである。
花粉症の薬はジェネリックで
長かった冬も緩みつつある。春を迎えるこの時期は気分が高揚するが、厄介なのが花粉症である。ここ数年、花粉症を意識するようになったが、さすがに今年はひどい症状に悩まされて、飲み薬を服用することにした。
初めての経験なので、友人に推薦してもらったアレルギー専用鼻炎薬を買いに薬局へ走った。予想した通り薬局の棚の一番目立つところに花粉症対策の商品が所狭しと並べられている。薬局でどれにしようか迷うのが嫌な私は、友人から薦められたブランドを躊躇なく選び、さっそくレジに並んだ。
ここで思わぬことが起こった。レジの店員が「この薬とまったく同じ成分で、かなりお得な商品があります」、と言ってカウンターの下から待ってましたとばかりにジェネリック品を取り出した。手に取って成分表を見ると確かに同じである。値段がまったく同じだが2倍の錠数が入っている。
どこの製薬会社かとブランドを確かめて納得がいった。発売元はその薬局を展開する大手薬局チェーンであった。いわゆるショップブランドである。大方、元のブランドからのOEM供給であろうと解釈し、それを買うことにした。私の推測は以下のとおりである。
- 花粉症飲み薬の商戦はこの時期の2-3か月に集中している。各ブランドは新製品の投入で鎬を削る。自然と薬局では多くのブランドが自社の棚スペースを確保するべく激しい競争が繰り広げられる。棚スペースは市場シェアに直結する。
- 予備知識がない客は薬局での選択に困ることになる。私のように予備知識があったとしても、値段の関係から他商品に目が行くこともある。店員はショップブランド品をまず薦めるようにマニュアル化されている。ジェネリック品を望まない客には元のブランドを客の所望通り販売する。メーカーからはショップブランド品を含む商品群の販売について何らかの奨励金のようなものが出ていると察する。
- ショップブランドのヘッジを設けることにより、製造元は商品棚のスペースを最大化することができ、競合他社製品に客を取られるのを防ぐことができる。
POS(ポイント・オブ・セールス)での店員の推薦は客の購買行動に時として大きな影響をもたらす。私は、AMDがIntelのPentiumに対抗して発表したK-6プロセッサーを量販店で売ることになった時に、このPOSマーケティングの重要性を痛いほど経験した。
Pentiumが業界標準であった当時、認知度が低いK-6搭載のパソコンはいくらコストパフォーマンスに優れているとはいえ、販売当初はかなり苦戦した。そこで私はK-6とPentiumの性能比較、量販店員相手の勉強会、店頭でのデモンストレーションなど、販売の最終段階であるPOSを担う販売店員へのアプローチでまずは実績を積むことから始めた。結局それがAMD製品の認知度向上につながったと感じている。
古本チェーン店の秘密
文庫本で小説を読むのが趣味である。デジタルな半導体業界で大半の仕事人生を送った私ではあるが、どうも電子書籍に移行する気になれない。文庫本は安価で手軽に持ち運びができる利便性があるが、厄介なのは読み終えた本が山のように残ってしまう点である。最近、一念発起して文庫本をまとめて古本屋へ持ち込むことにした。かつての古本屋のイメージと言えば、かび臭い店舗に多種多様な本が乱雑に置いてあり、長居すると時折店の奥からオヤジが叩きを持って現れ、タダ読みの長居客を追い払うというものであるが、最近の古本屋はショッピングセンターに大型店舗を構えるチェーン店が主流になった。
自宅に積みあがった本を資源ごみに出すのも気が引けるので、とりあえず見繕った文庫本40冊を紙袋に入れ、初めて大型古本チェーン店に足を運んだ。かなりの重量である。「いくらで売れるのだろうか?」、というわくわく感とともに、「いったいどうやって値決めするのだろうか?」、という疑問がわいた。
ジャンル、作家、年代といった多種多様な要因を総合して値決めするのには相当な知識と経験が必要なのだろうと想像しながら、近所の古本チェーン店にやっとこさ40冊の文庫本を持ち込んだ。“買取”のカウンターにドカッと本を置くと、店員は「5分ほどかかります」、とすまし顔である。
見ているそばから本の裏表紙にあるバーコードをスキャンし始めた。皆さんも、お手元の本の裏表紙を確かめるとISBNと表記された後に15桁くらいの数字が並びそのあとにバーコードが付いているのにお気づきだろう。ISBNは“International Standard Book Number”の略で、1965年にイギリスで開発され、1970年に国際規格標準化機構で採用された世界規格である。そこで合点がいった。バーコードリーダーの先には巨大なデータセンターがあり、そこには日本中の店舗での売れ行き状況をリアルタイムでトラックするAIシステムが働いていて、店頭のバーコード読み込みによって瞬時に値決めが可能となるという仕組みだ。
ちなみに、私が持ち込んだ40冊の引き取り価格は総計で950円であった。少なくとも2000円くらいと皮算用していた私にとってはかなり残念な結果であったが、換金レシートにその内訳が記されていたのには大いに興味が惹かれた。結局、私が持ち込んだ40冊のうち2冊が70円でその他が35円か返却であった。70円の一冊は太平洋戦争80年の昨年、特集テレビ番組などで度々取り上げられた連合艦隊司令長官、山本五十六の伝記で、他の一冊は昨年残念ながら亡くなった女性作家の作品であった。返却分はバーコード部分が破損していたからである。
現代の古本屋オヤジAIは確かに世の中のトレンドをしっかりとらえている。