年明け早々、米国で開催されたCES 2022では相変わらず未来予想のような技術や各社の発表が相次いだ。それらの記事をざっと読みながら、ふと10年後となる2032年はどのような世界になっているのだろうと思った。
2020年には多くの出版物が「10年後の未来」、「2030年の世界」などのタイトルで未来予想をしていたが、この2年の間、世界の喫緊の問題となった新型コロナのパンデミックについては誰も予想していなかった。不確実性が高まる現代には未来に大きく影響を与える変動要因が、その規模を拡大しながら増えていることをあらためて思い知らされる。
私は未来学者でも何でもないが、「明日論」という名前にあやかって、一個人としてテクノロジー界隈の10年後の姿を夢想してみる。
紙の新聞からデジタルの新聞へ
2032年、75歳になった吉川明日論の一日は相も変わらず複数の新聞に目を通す事から始まる。紙の新聞は数年ほど前に「最終号」を発行して消滅した。
そのため2032年現在ではタブレットか、テーブルに埋め込まれた超薄型ディスプレーやテーブルの上に照らされた立体ディスプレイに記事が映し出される。新聞、Webメディア、雑誌などのプロのジャーナリストたちによって提供されていた既存メディアは、2020年前半にはSNS系のニュースソースの勢いに完全に押され、絶滅寸前となったが、SNSプラットフォーマー各社の顧客獲得競争の過熱化は、世界中に極端なフェイクニュースの洪水を現出させた結果、さすがに人々の信頼を失い、現在では少しでも「信頼に足るできるだけ客観的なニュース」を求める大多数の人々により支持されている。
その日の「新聞」にも相変わらず、テクノロジー関連の記事がヘッドラインを飾っている。
2032年、TSMCの1nmプロセスの量産がピークに
2020年ごろに顕著となったTSMCの半導体製造での技術的な優位性はその後も衰えを見せることなく、2030年ごろにはついに1nmを切る微細プロセスでの量産を達成。2032年の今では1nmプロセスでの量産がピークを迎え、その他を寄せ付けない大規模な生産能力を武器に半導体市場の支配的存在となっている。
2020年の中盤、度重なる先端プロセス技術開発の躓きにより、ついにTSMC以外の大手半導体メーカーは先端プロセスでの半導体製造からそのほとんどが脱落し、残されたそれらの製造拠点を統合したTSMCは、文字通り、ロジック半導体の世界の工場としての立場を確立した。
2020年代に入りx86 CPUで存在感を増したAMDはその後も成長を続け、世界最大と言われた競合ブランドの設計部門を取り込み、2032年の現在ではx86以外のコアを用いた高性能CPUの開発でも存在感を増し、PC以外の分野での採用数も増加している。
かつてあったコンピュータのエッジ/サーバという概念は崩つつあり、分散処理によって現存する大小のコンピューティングパワーは、各タスクに最適化された集合的なリソースとしてダイナミックに運用され、全体のスループットは格段に上がっている。分散処理により、今まで散らばっていた余剰計算能力がより効率よく統合された結果、2020年中盤に限界に近づいた急増するデータセンターの電力消費は、その際限のない急増トレンドにストップがかかった。
今となってはデータセンター事業者の電力ソースとしては、「再生エネルギー100%」が条件となっている。技術の発展で変換効率が40%を超える高性能太陽光パネルが安価に提供されるようになり、環境意識の高まりから新築物件での太陽光発電の活用がほぼ必須といった状況となっている。30年前に設置した我が家の太陽光パネルも今だに機能しているものの、変換効率の劇的な向上は無視しようのないレベルまで高まっているので、替え時を逃していた私としては、「新聞」に掲載される新製品の広告に自然と目が行く。最近ではシリコンベースのものよりも、化合物色素増感など、多種多様な製品が手軽に購入することができるようになってきた。
EVが圧倒的に普及し、自動運転が主流に
2020年初頭に猛威を振るった新型コロナのパンデミックの影響で車での移動が常態化した私も、2032年で75歳を迎えることとなった。10年前であればそろそろ運転免許の返納することも考える必要があったが、2020年代中ごろから急激に電気自動車(EV)の普及が世界的に加速。それに相まったエレクトロニクス化の進展で、ほとんどのEVで自動運転が可能となったことで、移動は依然として車を利用している。
しかし、自動車の概念は10年前から激変した。2020年の初頭には「エンジン車とEVの出荷台数のクロスオーバーは2035年ころ」という予想もあったが、各ブランドが競い合ってEVに力を入れた結果、2032年の今日では街を走る車の80%がEVになったと言われている。
今では10年ほど前に購入した私のハイブリッド車はすでに少数派に位置づけられ、肩身が狭い思いをしている。というのも、自動運転車が多数となった今では、交通法整備の大改変も手伝って、高性能センサーと超高速ネットワーク技術を活用した通信によって、自動運転車同士の事故は極端に減少し、人が運転する必要がある“アンティーク”な車による事故が圧倒的に多い結果となったからだ。
新車購入のために情報を集めてみると、そのブランドもかつての「アンティーク車」の時代とかなり違っている。最近は性能もよくコストの低い「無印EV」が人気である。それにしても自動車の概念の変化は劇的だった。「自動車を運転する」という行為は以前は多くの人にとって「ブランド、性能、外観」などで表現される一種のステータスとなっていたが、こういった「自動車を持つ、運転する」こと自体についての楽しさやこだわりは、今や一部の愛好者だけのものとなった。多くの人は、EVをシェアし、必要なときに活用し、ある人は余暇を楽しむ格好の時間/空間を提供する場として、またある人にとってはリアル世界での読書、音楽鑑賞などといった趣味を楽しむ場として、そしてまたある人にとってはVR技術を駆使したメタバース世界に没入するための場となるなど、まったく違う存在となった。古典となった50年前の偉大な漫画家による子供向けの人気漫画に登場した「どこでもドア」に近づいた印象がある。
ちょい飲みの世界もデジタル化
私は2032年になっても相変わらず夕方になると、近くの飲み屋に出かけていってちょい飲みを続けている。加速的に展開される技術の進歩を目の当たりにする毎日で、かつて自身が半導体業界で現役として働いていたころを追想する時間が持てる、一日で一番ほっとする時間である。
だが、最近では無人居酒屋も当たり前で、VR空間で安価に高級料亭の経験ができるチェーン店なども流行っている。しかし、私にはやはりなじみのオヤジやおばちゃんたちがやっている一杯飲み屋の方が断然気に入っている。とはいえ、こうした個人経営の飲み屋は高齢化や後継者問題でどんどん減ってきている。そういえばさっきから店のオヤジがなじみ客の1人と調理/ホール係兼用の多目的型ロボットの導入の話をしている様子も見える……
3杯目の酒もコップ半分くらいになったころ、ふと我に返った。テーブルに置いてあるスポーツ新聞の日付を見ると“2022年1月27日”とある。さっきまで私の頭をめぐっていたさまざまな10年後の世界のイメージは私の単なる妄想であったらしい。