半導体分野で効果的マーケティング活動をするのは非常に難しい。というのも、半導体部品はPC自作ユーザーでもなければほとんどの消費者は目にすることのない“部品”であり、爪先ほどのシリコン片にどれだけのシステムが集積されているかなどについて気にする人はいないからである。
半導体分野のマーケティングで唯一成功したブランドは「Intel Inside」キャンペーンでそのブランド名が広く知られるようになったIntelのみである。しかしIntelはこの3年間、屋台骨のCPU製品の設計・製造技術の両分野で競合に後れを取り、その立て直しのためにかつてIntelの絶頂期を技術で支えたパット・ゲルシンガーがCEOとして復帰した。ゲルシンガーは最近開催されたオンライン会見「Intel Accelerates」で2025年までの製造技術に関する新たなロードマップを発表した。長年強大なIntelに劣勢を強いられてきたAMDに勤務したことがある私としては、王者復活の狼煙のようなその発表の報道を興味深く読んだ。
第2四半期の決算を発表、依然と厳しい現実にあるIntel
新ロードマップの発表会見に先立つ7月22日にIntelは第2四半期(4-6月期)の決算発表をしたが、発表で示された数字は現在のIntelの厳しい現実を突き付けるものとなった。
半導体市場全体が空前の好調を報告する中、Intelは4半期連続の減収減益を記録した。PCを主体とするCCG(Client Computing Group)では好成績を記録したが、これはIntelの功績というよりはコロナ禍によるリモートワークが普及したための市場全体の伸びに起因するものと思われる。Intelの厳しい現実をはっきり示すのはサーバー用CPU主体のDCG(Data Center Group)の不調である。売上高が9%減、営業利益の37%減という惨憺たる結果は、多種多様な半導体ビジネスの中でもひときわ突出して利益率が高いサーバーCPUの市場で競合のAMD/TSMCチームに大きくシェアを奪われている証拠である。これを受けてIntelの株価は急落した。
こうした非常に厳しい足元の現実を受けてCEOゲルシンガー自らが登壇した今回の会見には当然衆目が集まるものとなった。
製造技術の指標でTSMCを意識せざるを得なくなったIntel
自らがシリコン委託生産を請け負うIFS(Intel Foundry Service)を立ち上げ、TSMCに代表されるファウンドリ会社の対抗軸を打ち立てると高らかに宣言したゲルシンガーの現在の悩みは、先端プロセス技術で業界をリードするTSMCに対するブランド価値の低下である。
Intelは10nm以下のプロセスノード(トランジスタのゲート長)での量産技術を持つTSMCとの競争で少なくとも3年間は足踏みした。その結果、決算発表でも明らかなように、AMD/TSMCの強力なチームに大きく差をつけられた。今回の製造技術ロードマップ発表は、ファウンドリの新規顧客開拓や株主に対し「IntelはTSMCに真っ向勝負をかける」というゲルシンガーの決意表明にも見える。
今回のロードマップで目立ったのは、FinFETトランジスタ構造がもたらす性能上の優位性を自社が主張する指標を捨てて、競合の指標に合わせたより分かりやすいマーケティング的アプローチをとったことである。その代表例は現在Intelが保有する最先端プロセスを「Intel7」と命名したことである。簡単に言えば「実際のゲート長は10nmであるが、Intel独自のFinFET技術をもってTSMCが7nmと呼ぶ技術と同等の能力を有している」、という意味であろう。
過去にAMDなどの競合を相手にして、Intelはあくまでも業界唯一のIntelスタンダードでの指標に固執した。AMD製品を「まがい物」として頑として無視し続け、AMDが仕掛ける比較マーケティングには決して乗ってこなかった。今回の「Intel7」はIntelが初めてTSMCという業界のリーダーに真っ向勝負をかける捨て身の姿勢で、この唐突とも思える命名にはゲルシンガー率いる新生Intelの決意が感じられる。こういう態勢になったIntelはかなり手ごわい。
マーケティングで技術をカバーしたAMD
私がAMDに勤務した時代はまさに横綱Intelに対する平幕AMDの飽くなき挑戦のような24年間だった。巨額の開発・設備投資を継続して業界をリードするIntelに対し、AMDは多くの分野で後れを取っていた。しかもIntelは「Intel Inside」という強力な広告キャンペーンを展開し、「パソコン=Intel」という図式を消費者に刷り込んでいた。
技術的なことがよくわからない一般消費者に対して「Intelが入っているパソコンなら安心です」、という分かりやすいメッセージを多額のマーケティング投資で展開していた。
しかし、AMDが独自アーキテクチャーのK7コアのAthlonでPentium IIIに対抗したあたりから、IntelはAMDを意識せざるを得なくなった。Intelがとった対抗策は、非常に深いパイプライン構造を持つネットバースト・アーキテクチャーの採用でひたすらクロックスピードを上げてAMDを振り切ろうというものであった。このアーキテクチャーを実装した製品Pentium 4でIntelが提示した性能指標は「CPUのクロックスピードが高ければ高いほどパソコンの性能が良い」、という単純なものある。同じアーキテクチャーのCPUを比べれば、この指標は正しいが、実際のアプリケーションでの性能は“IPC(Instruction Per Cycle)×クロック周波数”であり、比較的バランスの良いAMDのK7アーキテクチャーは、IPCの部分でIntelを上回る場合があり、実性能では低いクロックスピードでもPentium 4に十分対抗できる状況であったが、市場ではIntelのクロックスピード重視の強力なマーケティングの前には分が悪かった。実際、当時CTOであったパット・ゲルシンガーはネットバーストが10GHzに到達するロードマップ公開していた。
この事態に直面し、新製品Athlon XPでAMDがとった対抗策はクロックスピードの表示を全面に出すのではなく、独自に規定した“モデルナンバー”で性能を表示する方法である。
実際にはPentium 4の2GHz相当品に当たる1.8GHz動作のAthlon XPを「モデル2000」とする(その際に参考値として実際の周波数とベンチマークの実測結果も公表する)というものだった。AMDとしては他の対抗策は考えられず、窮余の策のマーケティングであった。発表当時はいろいろな方面から抵抗を受けたが、Pentium 4が周波数向上による物理的な限界に近づいた事や、CPUのデュアルコア化などの経緯を経た今では当たり前の事となっている。エンジニア出身の人たちには半導体におけるマーケティングを何か「嘘くさいもの」と受け取る向きもあるが、実際のビジネスでは非常に大きな効果を上げる場合が多々ある。
Intelのマーケティングは成功するか?
さて、復帰したゲルシンガーが打ち出した製造技術ロードマップでのマーケティングは成功するだろうか? このカギを握るのはまずはIntelが「Intel 7」を実装した量産体制をしっかり打ち立てることである。
すでにQualcommやAmazonがIntelの新たな技術の採用を決定しているという報道もあった。この2大顧客での実績は将来の顧客獲得にも大きく影響する重大プロジェクトである。王者としてのプライドをひとまず脇によけて、CEO自らが前面に打ち出した「Intel 7」を起点とするマーケティングでブランド回復ができれば、その後のロードマップの実行でさらに力をつけることが期待される。こういった時のIntelは強い。しかし、競合TSMCも立ち止まっているわけではない。デッドヒートはまだまだ続く。