“錬金術”とは「他の物質から化学的手段を用いて金や銀などの貴金属を生成すること」であるが、現在までにこの挑戦に成功した例はない。
歴史を紐解くと、古代エジプト、イスラム世界、古代インドから古代中国に至るまで、多くの人々がこれに挑戦し続けた記録がある。“不老不死”とともに人間にとっての永遠のテーマであるが、「錬金術師」という言葉について回る“うさん臭さ”と裏腹に、錬金術の飽くなき探求の過程では幾多の派生的な化学的発見があった。特に現代化学の最先端に至るまでには、錬金術師たちの数限りない失敗の歴史が大きく貢献したことは事実である。
さて、コロナ禍に喘ぐ世界の現実経済と乖離した形で仮想通貨の市場が高騰している。ビットコインの登場以来いろいろなブランドが乱立する現在の状況であるが、市場は投機的なキャピタルゲインを狙う人々で大いに盛り上がっている。その市場を支える“道具”がマイニング用のハードウェアである。暗号化されたデータをブロックチェーン上で最初に解読した採掘者が報酬を受け取るこの仕組みは、電気代などのコストを抑えてどれだけ速く仕事を終えるかが試される。採掘者達が使う“道具”には高性能の半導体部品が使われる。その中で一番手ごろに手に入るデバイスがGPU(グラフィックプロセッサー)である。
マイニングの需要にGPUの供給が追い付かない現状
マイニングのような限られたタスクを高速計算するには並列計算能力に特化した専用チップをASICで起こす方法もあるが、これには大きなコストがかかる。そこで注目されているのが汎用GPUである。
GPUは高性能CPUで構成されたシステムのグラフィック・アクセラレーターとしてハイエンドのゲーマーやグラフィック制作のプロユーザーの間で根強い人気がある。GPUチップの歴史は意外と長く1980年代にCPUを補佐するグラフィック・コントローラーの機能を専門に行うチップの出現をはじめとして、CPUのタスクをどんどん吸収していって、現在ではそれ自体が高性能Discrete GPUサブシステムとして、かなりの高額にもかかわらず新製品の発表は大きな注目を集める。私がAMD現役の頃はグラフィック関連のチップブランドが乱立していたが、現在ではAMDとNVIDIAが市場を二分している。インテルも参入はしているがまだ注目に値する製品はないのが現状だ。本来はグラフィック処理用のアクセラレーターとして発展したGPUであるが、その並列計算のパフォーマンスが注目され、仮想通貨の高騰で沸くマイニング需要が増加し、汎用GPUの供給がまったく追い付かない状況が続いている。
ハイエンドGPUの機能を制限するNVIDIA
本来、グラフィック・アクセラレーター用にDiscrete GPUを使用するのは個人のパワーユーザーが圧倒的だが、マイニング目的でGPUを購入するユーザーは大きな金額が動く投資家グループなどが関係していることもあって、強力な購買力を持つ場合がある。
顧客管理の見地から言えば、GPUベンダー側ではグラフィクス使用目的以外のマイニングユーザーに対する供給は、本来のコアユーザーへの供給がいきわたった後にしたいところだ。しかし、コロナ禍によるパワーゲーマーたちの巣ごもり需要の増加に加えて、仮想通貨市場の高騰が重なった現在の状態では、工場から製品が出荷された後では再販業者が群がってきてベンダーが市場をコントロールするのは不可能となる。
この事態を受けてNVIDIAはハイエンドGPU製品に機能制限をかけてマイニング環境下での性能を抑制する方策に出た。GPUのマーケットリーダーとしては大変に潔い行為だと思うが、メーカー側が設定する技術的な制約を克服して無理やりスペック以上の仕様を目指すオーバークロッカーの例にもある通り、この方策がどれだけ効力を持つかについては今後を見守りたい。NVIDIAは仮想通貨用の製品も準備するという。NVIDIAと熾烈な競争を繰り広げるAMDの今後の出方も注目される。どちらにしてもAMD・NVIDIAの業績は記録的な数字を達成した模様である。
シリコン錬金術は結局成功しないという例
半導体は“産業の米”と言われるくらい高い“コモディティー性”を持っている。どういう意味かと言うと、市場での需給の不均衡によって必然的に生み出される投機的な取引の対象になりやすいという意味である。AMDで長年勤務した私はグレーマーケットなどを通しての一攫千金を狙った行為に手を染めてしまって結局去っていった人たちを何人も見てきた。
私はAMDを退職後にシリコンウェハ業界にも数年間お世話になったが、こちらでもそういった行為があるのは承知していた。最初に入社した米系の大手半導体ウェハ企業(現在では買収されてそのブランドはもはや存在しない)での経験は今でも強く記憶に残っている。
その事件は私が営業職としてその企業X社に入社する直前に起こった。それは多分2009年後半の第一次太陽光バブルの時期だと記憶している。
X社はシリコンインゴットの引き上げからウェハ加工までを一貫して生産する体制を持っていて、半導体・太陽光両方のビジネスを世界的に展開していた。半導体用と太陽光発電用のシリコンのスペック上の大きな違いはその純度である。半導体デバイス用のセミグレードのシリコンが11N(10の11乗)以上という高純度が要求されるのに対し、太陽光パネル用のソーラーグレードの純度は6N(10の6乗)程度である。
通常では当然その分半導体用シリコンの方が高価である。ところが、この市場構造が世界的に起こった第一次ソーラーバブルの時に大きく逆転した。ソーラーグレード・シリコンの市場価格は一気に高騰し、ポリシリコンやシリコンインゴットを手掛けるメーカーにはシリコン材料を求める多くの顧客が殺到した。メーカー側の生産能力は限られているので、にわかに増産することはできない。私が入社したX社も、その当時工場はフル回転で営業部には問い合わせが殺到する状態であったらしい。
そこでCEOが大きな、しかし、とんでもない決断をした。あろうことか半導体の顧客用に製造したシリコンを高騰するソーラー市場に全数振り向けたのだ。半導体営業部が顧客からの非難の集中砲火を浴びたのはもちろんのことである。すでに受けてしまった既存の注文書の多くにはとんでもなく長い納品日が設定され、事実上自らが抱える半導体顧客にたいして「出荷しません」と言っているのと同じ状態になったのだ。
しかし、バブルはいつか弾ける運命である。程なくしてソーラーグレード・シリコンの値段は暴落し、バブル前の価格よりも下がってしまった。このとんでもない決断をしたCEOはバブル時期に高騰したX社の株を売り抜けて大儲けしてさっさと辞めてしまい、新しいCEOが就任した。
私がX社に入社したのはそのころである。今から思えばそのような事情もろくに知らず、営業部に入社した私もとんでもないのんびり屋であったと思う。入社した後に言われたのは「君の最初の仕事はズタズタになった半導体カスタマーとの関係を修復することである」、と言われた時にはこれは腕の見せ所だと思ったが、実際に顧客訪問をした時の顧客の反応は推して図るべきである。「君が新任の人? 今更よくここに来られたね。X社にどれだけ痛い目に合ったか教えてあげよう」、などと言ってくれるお客様は、それでもかなりいいケースで、ほとんどがいわゆる“出禁”(出入り禁止)の状態が続き、その関係を修復するのには大変な時間がかかった。
幸か不幸か私自身は30年の業界経験でシリコン錬金術の現場に居合わせたことはなかった。
シリコン錬金術は結局短期的な利益しか生まないビジネスの邪道である。