私は半導体業界で30年もお世話になった。この業界に入る前にいくつか他業種の仕事もしたが、私の仕事人生の大半は半導体で、主に営業・マーケティングであった。

技術者でもない私が半導体業界に入ったのはほんの偶然であったが、現在の世の中の動きを考えると、この業界と関わることができて本当によかったと思っている。業界人の一部では自虐的に「士農工商半導体」などと揶揄する事もあるくらい熾烈な競争を展開する半導体業界で仕事をするのは楽なことではないが、その分仕事がうまくいった時には大きな達成感がある。

しかし、30年の仕事人生を振り返って今から思うのは、成功体験よりも圧倒的に失敗の連続だったということである。私が敬愛する黒澤明監督の傑作映画「七人の侍」は、七人の侍を率いて盗賊の略奪から農民の村を守る仕事を請け負い、見事その仕事をやり遂げた侍たちのリーダーが熾烈な戦いの末失った4人の侍を思い、「結局また負け戦だったな」という最後のセリフで終わるが、私の仕事人生も失敗の連続であった。しかし、私が幸運だったのは大きな失敗をする度に「諦めるな!!」と常に叱咤激励してくれる人々に恵まれた点である。こうした人たちのお陰で私の30年にわたる半導体業界での仕事人生は非常に充実したものになったと感じる。今回のコラムでは数ある中でも選りすぐりの失敗談を恥を忍んで披露しよう。

歩留まりが上がらず失速したK6-IIIプロセッサー

AMDはK5の失敗の後、会社存続の危機に陥ったが、起死回生のNexGen社買収によるK6の開発で見事に息を吹き返した。

1997年にIntelのPentiumの性能を上回るK6-233MHzを発表するとその後SIMD命令を装備した継機種K6-2を繰り出し、競合Intelを強力に追撃した。ある市場セグメントにおいてはIntelのシェアを凌駕する場合もあった。

そのようなAMDの快進撃はK6シリーズの最終モデルであるK6-IIIでさらに加速されるものと思われたが、実際に生産が始まると歩留りが上がらず深刻な供給不足を起こす事態に見舞われた。K6-2のデザインになかった256KBの2次キャッシュを追加・集積することで性能は飛躍的に上がったが、ダイサイズが大きくなりすぎて充分な量の生産ができなくなったのだ。AMDの営業部は旺盛な需要を抱える顧客への対応に苦慮していた。本社からは模範解答として「通常の生産プランをはるかに超える需要の急増に一時的に生産が追い付いていない状態で、現在生産量を積み増すべくあらゆる手を打っている」と答えるよう指示があり、営業はそれにしたがって顧客対応しているが供給はいっこうに改善されず、顧客の不満は高まるばかりである。

  • K6-III

    256KBの2次キャッシュを集積したK6-IIIは非常に人気があった

当時、私は営業の一部とPR/マーケティングを兼務していたので顧客とメディアの両方の対応に追われていた。重要顧客のキーパーソンからの電話で散々小言を言われて頭を抱えていた時に、絶妙なタイミングでいつも懇意にしている業界記者から電話があった。「最近AMDは調子いいみたいじゃないですか?」などと聞かれて思わず「調子なんか全然良くないよ。K6-IIIになって歩留りが下がって供給を問題を抱えている。客には怒られっぱなしだよ、また電話が入ったから切るよ」などと思わず言ってしまった。

その数時間後、重要顧客から次々と営業に電話が入りだした。当時はやりだしたその雑誌の電子版速報ページに名前こそなかったがAMD担当者の話として「K6-III生産に歩留り問題」と大きく記事が掲載されていたのだ。「しまった……」と思ったがもうすでに時は遅し、この問題は全営業部内でシェアされることになり、緊急の営業責任者会議が招集された。私も呼ばれたのは勿論のことである。そこで当時の社長から「これを言ったのは君?」と皆の前で聞かれて、私は「すみません、いつも懇意にしている記者なので気が緩んでつい……」と白状した。社長は「それはいつもの君らしくないミスだね。これで事実は判明したが、重要なのは顧客編対応だ。すぐに対応メッセージを考えて営業に連絡するように」という指示で会議はすぐ終わった。

その後私がどのような対応メッセージを考えたかは憶えていない。しかし、結局AMDはその後K6-IIIの生産を450MHzで打ち切り、K6-2の高速版を小刻みに発表しその後に控えるK7まで見事に継投した。今でも思い出す度に冷や汗ものの経験であるが、この経験で萎縮するのではなく攻めのPRを継続できたのはあの社長の一言だったと思う。

幻の15万枚の注文書

次なる失敗談は私がとある米系半導体ウェハメーカーZ社に勤めていた時の話である。Z社は300㎜ウェハを主力とした大手企業で、日系の信越/SUMCOに次ぐ大きな生産キャパシティーを持っていたので、日本でも大手半導体企業を相手にビジネスを展開していた。

その中でもフラッシュメモリーの世界的大手企業X社は四半期で数十万枚のウェハを消費してしまうダントツの存在なので、X社には大規模な注文書を求めてウェハの大手ベンダーが群がっていた。

大きなビジネスが期待できるとはいえ、仕様が決まってしまえば性能・品質等での差別化は非常に難しく、供給能力とコストがものをいうコモディティー・ビジネスの典型例で、各社の競争は自ずと熾烈を極める。X社に限らず、業界の通例として顧客は価格低減要求とともに使用量をベンダー側に提示し、ベンダーはそれに応えるべく熾烈な競争を繰り広げるがその過程で大きなリスクを背負うこともある。

一番の問題は、顧客は値段交渉の段階で“フォーキャスト”と呼ばれる具体的な使用量を提示するが、これは正規注文書ではない。実際問題、正式注文書を待っていては交渉から早々に脱落してしまう。何度となく繰り返された交渉の結果よい感触を得て、かなり高い角度でその期のビジネスを確信した私は本社工場に15万枚の大きなオーダーを入れた。過去にもこのクラスの注文は何度も獲得した事もあり、その期の営業目標はクリアしたと高をくくっていた。

  • 半導体ウェハ

    半導体ウェハ市場は熾烈なコモディティービジネスである

その瞬間は今でもはっきり覚えている。ある日営業の部下から電話があった。かなり言いずらそうな口調から私は嫌な予感がした。「注文は1万5000枚になりました……、競合に1ドルの価格差で残りを失注しました……」、その後の私の状況は推して測るべし、結構悲惨なことになった。

本社からは大目玉を食らって私はクビを覚悟した。しかし、その後何度もX社との交渉を重ねた結果、期末までに3万5000枚まで買ってもらうことができた。本社側ではすでに製造してしまった何万枚ものウェハを世界の営業責任者に働きかけモニター品などとして何とか売り捌く事が出来た。その期中にシンガポールで開催された世界の営業責任者の定期会議で始終俯く私に各国の営業連中は皆声をかけてくれた。工場の責任者に「来期は頑張れよ!」と肩を叩かれウィンクされた時には涙が出るほどうれしかった。

すでに引退した私はこのような「ハラハラドキドキ経験」はもうないが、今でも数ある失敗例をふと思い出しては一人で苦笑いしている。

現役で頑張る皆様には大きなエールをお送りする次第である。