先ごろ、米中の半導体貿易摩擦を話題として取り上げたら、マイナビニュースの編集担当から米国半導体業界で活発化するロビー活動に関していくつかの非常に興味深い記事を紹介されたので、今回はその件について書いてみようと思う。
ロビー活動とはなにか?
私は以前にも取り上げたように1980年後半の日米半導体貿易摩擦の際にその場に居合わした経験があるので、この種の話には多少予備知識がある。一般的に「ロビー活動」などと言われてもピンとこない方のために、そもそも「ロビー活動とは何か?」、について少々述べたい。
議会制民主主義の国では、民意の実現は地方から選出される議員たちが代表して中央政府の政策に反映させることによって行われる。その一番の例が国会議員である。地方から選出された国会議員は、選挙民の信託を受け国会において民意の実現のために働く。しかし国会議員は基本的に政治家で、個々の事情に明るいわけではない。そこで「ロビー活動」が必要となる。ロビー活動とは利益を共有する団体などが代議士に働きかけて、政府がその団体の利益に沿った政策を実現させようとする行為をいう。
ロビー活動は多くの場合それを専門としたプロの人材である「ロビースト」を雇って行う。ロビーストは利益団体の希望する政策を代議士に対して働きかけるために、その政策に同調しそうな代議士を割り出し、啓蒙活動、情報提供などを通して政策実現に向けて全力を尽くす。利益団体とか圧力団体などというと日本では汚職などの犯罪と結び付けて考えられがちで、ともするとネガティブな想像をする人もいるかもしれないが、議会制民主主義の枠ではごく当たり前の行為である。
米中の半導体貿易摩擦の中で活発化するロビー活動
最近の米国の報道記事で、私が注目した半導体業界におけるロビー活動は以下のようなものである。
- コロナ禍で明らかとなった世界のサプライチェーンでのリスクの低減を背景に、SIA(米国半導体協会)は現在、米国政府に対し370憶ドル(日本円にして約4兆円)の資金提供の働きかけを行っており、これにはIntelとペンタゴン(国防総省)が共同で建設する半導体工場の計画も含まれる。その他の資金の使途ははっきりしないが、SIAによれば半導体に関する研究開発、先端技術を採用した工場の建設も含まれると言う。対象は米国籍の企業には限られない。
- 米中の半導体をめぐる貿易摩擦に翻弄される世界最大のファウンドリ会社であるTSMCが最近敏腕ロビーストの採用を発表。かつてIntelで渉外担当のVPであったピーター・クリーブランド氏と、米国商工会議所の幹部であったニコラス・モンテッラ氏である。
- 米国商務省は台湾のTSMCに対し中国企業ファーウェイに対する先端半導体の輸出をやめるように働きかけ、現在TSMCは最大の顧客ファーウェイとの取引を停止している。TSMCはまた米国アリゾナ州に5nmの最先端プロセスノードを採用した工場の建設を発表している。
- 米政府から圧力を受けるファーウェイもワシントンでのロビー活動を活発化させている。
何やら大きなことが起こる前兆のような動きである。非常に断片的なこれらの情報からは実際に何が起こっているかはわからないが、台湾半導体産業の代表的企業であるTSMCを巻き込んだ米中の半導体貿易摩擦の中で、ロビーストが活発に動き回っていることは確かである。
日米半導体貿易摩擦とロビー活動を盛んに行ったSIA
以前、解説したように、1980年代後半は日米の半導体を含む貿易摩擦の真っ最中であった。その中でもSIA(米国半導体協会)の活動は目覚ましく、当時は日米の貿易交渉の報道の中で「半導体」という言葉を聞かない日はないほどで、一般人が半導体を「産業の米」と認識するきっかけになったと思う。
もともとシリコンバレーに半導体企業が集まったのは、政治とは無関係の技術で勝負したい純粋なエンジニアたちが、米国政治のメッカであるワシントンDCがある東海岸と正反対の西海岸に自由の地を求めたからだ、というのを誰かの自伝で読んだ気がする。
しかし、その半導体も「産業の米」に発展すると国際情勢に大きく左右されることとなり、SIAはしまいにはすべての産業の中でも強力な圧力団体の1つとなった。SIAは貿易障壁が高いとやり玉に挙がった日本の半導体市場をこじ開けるために強力なロビーストを雇った。私はこれらのロビーストと一緒に政府・業界間の会議に何度も出たことがあるが、彼らはイメージしていた「厳つい顔をした凄腕のやり手集団」とは違い、物腰の柔らかいソフトな感じの人たちが多かったのは意外であった。出身母体も私企業、業界団体、弁護士、政府関係者などさまざまであったが、共通して言えることは人の懐にすっと入る術と、明晰な論理性、文化・歴史についての広い教養、食らいついたら離さない忍耐力を備えていることであった。
物腰はソフトでも論点を明らかにするときには非常にストレートな物言いができるというのはあらゆるビジネス局面で要求される資質である。いろいろな会議に出て印象に残っているのは、日米の正式な会議でのやり取りというよりは、むしろそうした会議に臨む前の米国側のチームでの内部ミーティングでのやり取りである。
最終の内部ミーティングには各企業の代表、SIA、ロビーストなどで構成される米半導体業界チームと、USTR(米国通商代表)の官僚チームらが集まり、日本側との正式会議の前にどう会議を進めるかについて内部で同期をとることを目的とする。私にとって非常に新鮮だったのは、皆がファーストネームで呼び合う米国流のカジュアルさもさることながら、米国官僚チームのしかもかなり高位な人物までもが「こういう感じでいいかな?」などと業界チームに真摯に質問する態度だった。これが日本であったら難しい顔をした官僚チームがふんぞり返って企業側がかしこまっている間合いであるが、米国では「誰が誰を雇って、何をしようとしているのか」という点が非常にはっきりしていて、米国流民主主義の神髄を見た思いがした。
複雑化する米中半導体貿易摩擦と今後
さて、本題に戻るが米中のみでなく台湾を巻き込んだ半導体貿易摩擦は今後もますます複雑化し、その中でのロビーストの役割はさらに重要となる。現在の状況をまとめると以下のような主要因が複雑に絡まっている。
- 米中は覇権争いの度合いを増していて、その中でも技術の中枢を握る半導体は戦略上の最重要課題となっている。
- 世界最大のファウンドリTSMCを挟んで米中がにらみ合う現在の状況で、台湾の動きは同じ中華系民族としての中台と、同じ自由主義経済陣営の米台というねじれが付きまとう。
- 米国が最も警戒する中国の通信世界最大企業のファーウェイは、同じく世界最大の台湾のファウンドリ企業の1、2位を争う大口顧客である(もう一方の大口顧客はApple)。
- 米中の指導者は特有の国内問題を抱えていて、外交では譲れない立場にある。
これだけ複雑な状況を政府・企業の間を巧みに泳ぎ回り、微妙な調整を行うロビーストたちはまさにプロの集団なのである。この余波は周辺国の韓国と日本にももちろん及ぶと見てよい。