私が30年にわたる半導体業界での経験の中で見聞きした業界用語とそれにまつわる思い出を絡ませたコラムをしばらく続けている。これはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。今回はマーケティングに関するものとして「Strategic Marketing(戦略マーケティング)」を取り上げてみたい。なお、これらはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。
Strategic Marketingの仕事内容と実際
私は30歳になるちょっと前の1986年日本AMDにフィールド側のマーケッターとして入社した。フィールド側のマーケッターは市場に一番近い立場なので、市場デマンドをいち早く察知し本社にフィードバックするのと、本社マーケティングが策定したマーケティングの方向性をその市場に合わせて実施する役目を担っている。こうした仕事はすべてTactics(戦術)の分野であるが、今回はStrategy(戦略)の話である。
「戦術」はあらかじめ決められた大きなフレームワーク/基本目標の下でどうやって戦い、確実に勝利するかに注力するのに対し、「戦略」はより高い視点に立って将来的な会社の成長に必要なフレームワークを策定することに注力する。本社の奥の院にいて本社幹部(特にCEO)との直接の関係を持ち、会社全体の将来的な方向性を策定するのがStrategic Marketingである。
日本で言えば「経営戦略室」などとも呼ばれる。目まぐるしく変化する市場にあって、その状況に合わせて、あるいはその状況変化に先んじてその会社の将来の方向性を策定し、CEOをはじめとする本社幹部に進言するのが主な役目である。その名称はいかにもかっこよく、就職活動をする若い人たちには憧れのポジションであるが、求められる要件は下記のようにかなり高いものばかりである。
- 市場と自社の現在のポジションをマクロ経済の中でとらえて、将来的にどういった手を打っていくかを策定する「高度なセンス」が何よりも要求される。
- 多分に先天的な「センス」に加えて、後天的に獲得された十分な知識も必要である。その分野は経済、財務、国際関係、技術分野と広範囲にわたる。
- 多くの場合、将来像の策定には現在の自社のポジションの延長で考えられることでは十分ではなく、既存の枠にとらわれない「Out-of-Box」的な考え方が要求されるので、かなりの洞察力が必要となる。
- 会社のVision(将来図)はCEOから直接降りてくる場合が多いが、そのVisionの現実化については、各担当部門に対し具現化のための達成目標を設定し適切に伝達しなければならない。
- 提携先など社外の重要人物とCEOの名代として会うこともあるので、高度なコミュニケーション力も要求される。
Strategic Marketingのポジションは通常小さな所帯で、VP/Directorレベルの人間が一人と秘書だけで隠密の行動をとることが多い。
インド出身の明晰な頭脳ランガラジャン
私が30年過ごした半導体業のビジネスでも、たくさんのあっと驚く方向転換の瞬間に立ち会う経験を持てたことは幸運であったと思う。AMDでの経験だけに限っても、下記のような大きな記憶に残るイベントがあった。
- K5の失敗とNexGen買収によるK6の誕生
- ATI社の買収
- 独禁法におけるIntelに対する訴訟
- ドレスデン工場のスピンオフとファブレス化
これらの過去の重要な方向転換が現在のAMDの基礎を作っている事は明白である。一歩踏み外せば会社自体が消滅しかねないような大きな決定の陰には、綿密な調査に基づいた想像力にあふれたVisionを産み出す力が必要である。大型案件の発表ではCEOが脚光を浴びるが、そうした案件を立案から締結までに持って行く裏方がいる。それがStrategic Marketingである。
私には本社出張の際には必ず訪ねるStrategic MarketingのVPがいた。私は、巨人Intelを相手取って独禁法を根拠に訴訟を仕掛けたAMDの極秘プロジェクト「Slingshot」のメンバーの一人であったが、そのプロジェクトのリーダーだったAMD法務担当SVPトム・マッコイから紹介されたのがインド出身のバラート・ランガラジャンである。
幹部が集まるフロアーの一室を与えられているランガラジャンは、一見するとどこかの大学の数学の教授とか、哲学者を思わせる物静かな紳士である。部屋の書棚にはたくさんの本がぎっしり詰まっている。まるで大学教授の研究室のような(しかし非常に小奇麗な)ランガラジャンの部屋に通された私は、ひとしきり日本におけるビジネスの状況について話した。
私の話を興味深そうに聞いていたランガラジャンは、自分が話す番になると突然歴史の話をし始めた。産業革命以降の鉄鋼、自動車、通信などの社会インフラの過去50年の変遷を語った後、シリコンバレーの新興企業のAMDの立ち位置について話し始めた。半導体産業ではプロセッサーとメモリーデバイスの趨勢がこれからの社会インフラを形作るという話の後で、それぞれの分野における技術動向をひとしきり概観した。そのうえで独占企業Intelがどれだけ市場から搾取しているのかを具体的な数字を交えて説明し、最後に市場におけるAMDのポジションの重要さを強調した。
まさに流れるような論理の展開だった。ランガラジャンがIntelの所業について証拠集めに日々没頭している私に伝えたかったことは、「Slingshot」プロジェクトには真義があるという事であった。その時に私は「この人はこの部屋で静かに過ごしながら、こんな考えを頭の中で巡らせていたのか」、と思った。各分野の話は掘り下げればもっと詳しく説明できる人はいくらでもいるが、これらの複数の事象を総合的に理解し、それから導き出されるAMDのこれからのVisionについて彼の頭の中ではきちんと整理されていていたのである。その際はIntelに対する訴訟についての話で終わったが、彼の頭の中ではもう一つのアイディアが醸成されつつあった。その件について、私は後に知ることとなる。
その後もランガラジャンとは酒を酌み交わす間柄になって何度も会ったが、会う度にいろいろな新鮮な学びがあった。
営業の前線での仕事に日々没頭していると、仕事は既存のフレームワークの延長上でしか考えられなくなりがちだ。しかし市場は日々変化し続けていて、いつかは既存路線の継続では行きつかなくなる時が来る。そうした事態をいち早く察知して、早めに手を打つためには既存の手法にとらわれない「Out-of-Box」の考え方を常に意識する事は非常に大事だ、というのがランガラジャンから私が受け取った大きな学びだったと思う。
とは言え、本職の営業現場に戻ればどんどん回していかなければならないことが山積していた。Intelを相手取った訴訟もいよいよ最終段階になっていて、ランガラジャンとはしばらく会う機会がなかった。Intelに対する訴訟は両社の和解で2009年に終結をみた。裁判が始まれば不利と判断したIntelが、独占的な商習慣を認めたうえでAMDに多額の和解金を支払うことに合意するというAMD側の大勝利に終わった。
これと前後してAMDはアブダビの投資会社と協力して、主力のドレスデン工場をスピンアウトして独立のファウンドリ会社を設立するという話が持ち上がった。「半導体の男ならファブを持て」、と豪語した創業者サンダースの考えを180度転換する大きな決定だった。後にヘクター・ルイズ(AMD CEO、2002-2008)が著した自伝を読んだ時、このAMDの大きな方向転換の裏にはランガラジャンの活躍があったと記されていた。いつも穏やかな笑みを絶やさないもの静かな戦略家は今日のAMDのポジションの基礎となる大改革を見事にやってのけたのだ。