私が30年にわたる半導体業界での経験の中で見聞きした業界用語とそれにまつわる思い出を絡ませたコラムをしばらく続けている。これはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。今回はマーケティングに関するものとして「Product Marketing」を取り上げてみたい。なお、これらはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。
Product Marketingの仕事内容と実際
マーケティング用語を取り上げる今回は「Product Marketing」の話である。
いわゆる「マーケティング」と言えばこのProduct Marketingを指すくらい「プロマネ」は幾種類もあるマーケティング業務の中でも花形の職業である。
私はAMD入社時には正規のマーケティング教育などは一切受けていなかった。私のAMDでの経験は言ってみればスタンフォード大のMBAなどの優秀な人材に囲まれて勤務するうちに最先端のマーケティングの教育を、実際のケーススタディーの中で受けていたようなもので、これは大変に幸運なことであった。引退した後に大学に入り直しマーケティングの授業を受けてみたが、私のAMDでの経験はマーケティングの実践そのもので、いろいろな専門用語などもほとんどがすでに見聞きしたものであったというのが正直な感想である。私の経験ではProduct Marketingの仕事の内容とその要件は以下のものであると思う。
- 自社製品の総合的な価値を具体的なメッセージに込めて消費者に伝える
- メッセージは単純明快であるに越したことはないが、オリジナルである必要がある
- そのメッセージの発信によって期待される成果は、より多くの自社の製品がより多くの利益が出る形で売れることである
- それぞれの製品が世代交代を繰り返すことにより発展してゆくことで、ビジネス全体が成長することが最終目的なので、「プロマネ」は当該製品の誕生から終息までのすべてに責任を持ち、次世代製品の開発に資する必要がある
製品の総合的な価値を表すのが「ブランド」であるが、実際のビジネスで高付加価値のブランドを打ち立てるのは簡単ではない。AMDブランドには常にIntelの「二番煎じ」のイメージがついて回ったのでマーケティングの主眼は常にIntel製品との比較においてAMD製品の付加価値をどうやって顧客に伝えるかであり、AMD製品を売るためには同じくらいIntelブランドを連呼することとなり、これは非常に骨の折れる仕事である。特に常にIntelを追いかける形であった初期のAMD製品では、その付加価値を説明するためには長々とした説明が必要であったり、極端な場合ではこれといった付加価値がないものでもビジネス継続のために「売りさばく」必要性が出てくるのが現実である。そういった苦しいお家事情を抱えた状況下で行ったマーケティングであればあるほど思い出深く価値のある経験であったと思えてくるのは興味深い事実である。
例えばAMDのK5プロジェクトが失敗し、第四世代486の延命でIntelの第五世代Pentiumを追いかけなければならなかった1995年頃に登場した「Am5x86」がある。中身はキャッシュメモリーを増強した486コアであったが、実際にベンチマークをしてみると対抗のIntel第五世代Pentiumといい勝負をする。それでAMDのプロマネチームはおきて破りとも思われるような「5x86」のナンバリングを考え出したが、これは出してみると非常によく売れた。もっとも、AMDにはその他の選択はなく、AMDが起死回生のK6で完全復帰するまでビジネスを支えたのはこの製品しかなかった。それまで技術オタク集団であったAMDがマーケティングに目覚める契機となった。
CompaqからAMDに乗り込んで来た風変わりなマーケッター
マーケティングは正に科学である。そこには基本となる経済学の他にも心理学、社会学、統計学など人間がかかわるすべての学問の知見を総合したものであると思う。
Product Marketingは繁華街の一杯飲み屋でも実践されている一番身近な行動科学として、すべての商業活動の基本となっている。
しかし、人間が経験則として持っているものを体系化した近代マーケティングが技術集約的な半導体ビジネスに取り入れらるまでにはかなり時間がかかった。というのも、半導体はエンジニアが作りエンジニアに売るものなので、「デバイス→それを組み込んだシステム」というサプライチェーンの一部だけを切り取った場合にはマーケティングはあまり効果を発揮しない。マーケティングが効果を発揮するのは「組み込みシステム→最終製品の販売」までその視野を広げた時である。
半導体ビジネスの中でいち早くこの点に気付いたのはIntelである。今でもIntelが多額を投じて展開している「インテル・インサイド」キャンペーンはその代表的成功例であるが、こうしたマーケティングの効力をAMDが受け入れるには時間がかかった。
頭の固いエンジニアにとってはマーケティングは「まがい物」として映るが、実際にはエンジニアリングとマーケティングはまったく異なるものである。こうした頭の固いエンジニア集団に先進的なマーケティングの考えを持ち込もうと、AMDは盛んとシステムのブランドから優秀なマーケッターを引き抜いてきていた。その中でも私の一番印象に残る人物はPCブランドCompaqからマーケティングのトップとしてやってきたパット・ムアヘッドである。パットがAMDで取り掛かったプロジェクトで一番成功したのは「モデルナンバー」のキャンペーンである。
プロセッサーのマルチコア化が当たり前となった現在でも動作周波数は重要なスペックの1つであるが、それ自体が唯一の性能基準ではないのは皆様がよくご存じのことであろう。しかしその当時のプロセッサーはシングルコアのみであって、Intelが主導した動作周波数をそのまま性能指標とする「メガヘルツ・マーケティング」が支配的なルールであった。K7で華々しく技術の主導権をIntelから奪取したAMDはIntelが対抗のPentium 4を発表すると、下記のような大きな悩みを抱えることとなった。
- 先進のアーキテクチャーで登場したAMDのK7 Athlonではあったが、Intelはさらに深いパイプラインを搭載した新製品Pentium 4の動作周波数でAthlonを凌駕した。
- Intelがプロセス技術を0.13μmに移行するとプロセスで一世代遅れるAMDのAthlonはPentium 4の2-3GHz帯には到底追いつかなくなった。
- とはいえ、AMDのバランスの取れた低周波数のAthlon XPは実アプリの性能では周波数が高いPentium 4ともかなり良い勝負をする。しかも低価格である。
そこでパットが考案したのは実周波数の代わりに「モデルナンバー」を導入して、対抗製品の構成を変えることであった。例えば、1.8MHzのAthlon XPにPentium 4の2GHz品を想定させるようなモデルナンバーとなる2000を充てるような具合である。当時、AMDの営業・マーケティングではそれまでのMHzマーケティングの考えに凝り固まっていて、モデルナンバーはなかなか受け入れがたいものであった。陰ではパットを技術音痴とからかい、「そのうちパットはマイクロプロセッサーのパッケージに色を塗り始めるのではないか?」などと揶揄された。しかし、このパットのモデルナンバーは多少浸透に時間がかかったが、次期製品の64ビットK8の発表まで見事にAMDの屋台骨を支えたのである。このモデルナンバーの考え方はマルチコアの現在では当たり前の手法である。マーケティングにはユーザー目線で考える柔軟性と創造力が必要である。