2025年までに、127万もの中小企業が黒字のまま廃業を迎えるといわれている。その理由は、優良な中小企業の経営者の多くが高齢で後継者がいないためだ。仮に127万の中小企業が廃業したとすると、日本全体で650万人の雇用と22兆円のGDPが失われると予測されている。
若手自らが個人で企業を買収して経営するアメリカで生まれた仕組み「サーチファンド」を活用し、この大廃業時代を食い止める存在として活躍することが期待されているのが「ネクストプレナー」という存在である。本稿は「ネクストプレナー」として事業承継した河本和真氏が、自身の経験やそれから得られた知見をまとめたものである。
オーナーの体調不良により舞い込んだ譲渡相談
「実は、体調不良が続いており、経営している保育園を譲渡することを検討しているんです」と、相談を受けたことがすべての始まりだ。
私は当時、M&Aの仲介コンサルティングを行う会社(Growthix Capital)にて取締役CFOという役職を担いながらも、創業期であったためプレイングマネージャーとして現場で実際にディールをさばいていた。
そんな時、とある保育園の経営者から運営している保育園施設の譲渡を検討しているという相談を受けた。案件責任者として、どのような形であれば事業承継がスムーズに進められだろうかと考え、アメリカ発祥の企業買収モデルである「サーチファンド」を適用することを選択した。
少子高齢化に伴い、後継者不在企業が127万社存在するという社会課題を解決するために、それらの企業の受け皿となる何かを新しく創出していく仕組みが必要だと考えた。その受け皿として「サーチファンド」を日本に順応させていくことが良いだろうという仮説を持っていた。
後継者にMBA卒業生を起用
サーチファンドモデルを実現するには、2つの重要なピースをそろえる必要がある。1つ目は、プロ経営者(ネクストプレナー)だ。今回のケースでいうと、事業承継の対象となっている保育園施設の経営者が必要だ。そして2つ目は、対象企業(事業)を買収するために必要な資金だ。これら2つの要素がそろって初めて、サーチファンドのモデルが完成するというわけだ。
一般的なプロの経営者は、ある程度の役員報酬を確保することができないと請け負ってもらえないケースが多いため、比較的大きな企業でしか条件がかみ合わないということは分かっていた。そこで、経営経験はないものの経営者を志すためにMBAを取得し、契機を探している層にアプローチすることが得策だろうと仮説を立てた。
その結果、とある経営大学院卒業生の母集団にアクセスできるきっかけをもらった。その母集団にアプローチをかけたところ、幼児教育に強い興味があり、かつサーチファンドの仕組みをすでに理解している方(ここではAさんと呼ぶ)と巡り合うことができた。この出会いから、Aさんを軸にファンドを組成して、この保育園事業を買収するスキームの構築を始めた。
困難を極めた資金調達
しかし、ファンドを組成する資金調達のフェーズでつまずいた。サーチファンドの仕組みが浸透しておらず、未上場株への投資や個人への投資が一般的でない日本において、機関投資家などから資金調達を行うことは困難を極めた。中小企業を対象とする投資であることから、案件の規模が小さいことはもちろん、国内において投資の前例がないサーチファンドに対して投資すべきかを判断ができないことは非常に大きなハードルだった。
そこで個人投資家にターゲットを変えて、ファンドという仕組みで資金調達を行うのではなく、少人数私募債を発行して資金を集める方針に切り替えた。私自身もともと野村證券のリテール部門出身であることから当時の顧客に本件の概要を持ち込み、投資方針の合う関係者などを紹介してもらうなど、がむしゃらに投資家のアポイントを取っては本件の概要を説明しプレゼンを実施した。
結果として、買収予算となる資金を調達しきることに成功した。サーチファンドの組成という本来の形とは少し形態を変えることとになったものの、買収に向けた準備買収ビークル を整えることができた。そこからはM&Aの通常のエグゼキューション業務と遜色なくディールを進め、クロージングを迎えることとなり、新しいモデルでの事業承継を実行することに成功したのだ。
後継者Aさんを待ち構えた現実
しかし、一番大きな問題はこの先にあった。Aさんは承継後にその対象企業(事業)を経営していかなければならないわけだが、当然経営者としての経験はないため、すべてが初めてのことばかりであり引継ぎがうまく進められていなかった。
また、不運なことに世間では新型コロナウィルスの蔓延に伴い、緊急事態宣言の発令など、世の中が混乱の渦に巻き込まれている状態にあった。当保育園においても通常営業ができなかった。在宅ワークが日本中で実施され始め、徐々にライフスタイルが変化している中で、当初想定していた売上が確保されず、承継後早速キャッシュフローに苦しむ局面を迎えていた。
加えて、従業員や保護者の方々との関係構築にもそれなりの工数をかけなくてはならず、当時の状況下も相まってじっくり時間を設けて関係性を築き上げていくことも非常に困難を極めていた。
そんなある日、さまざまな問題が重なり、Aさんは心身ともに疲弊してしまい、最終的に保育園を経営していくことを断念してしまった。今当時の状況を振り返ると、経営経験のないAさんが一からすべてを全うすることは容易ではなく、経営をスタートしていくにあたり外部からフォローする体制を整えておくべきであったと猛省している。
このような状況になり、当然従業員の方の不安は増大し、それが保護者にも波及していくこととなる。その結果、このディールを描いた人間は誰だという事態になり私に一本の電話が入った。そこで状況を把握した私は、まずは従業員への説明と、保護者に向けた説明会を設け、すべての責任は自分にあると一から説明をした。
その時点で、私も何かしらの責任は取らなければならないと考えていたわけだが、責任を取る方法は何度考えても自分自身がAさんに代わって保育園を承継しなおして経営していくことだった。従業員の雇用を守り、保護者に安心して子供たちを預けてもらえる環境を提供することしかないと考えた。これが、私がネクストプレナーとして保育園を事業承継した経緯である。
この経験から学んだこと
私はこの経験から多くの学びを得た。ネクストプレナーを目指す人が経営者になるにあたり、心得ておかなければならないマインドセットや、最低限のスキルといった経営者としての資質、実際に経営者となった際の意思決定の壁あて役となる存在の重要性。似たような経験をしたことがある、もしくは今まさに同じ経験を積んでいる仲間の重要性も学んだ。そして、特にサーチファンドを活用した承継の場合、すでに出来上がった組織と取るべきコミュニケーションやその順序を事前把握する重要性など、さまざまな事を学んだ。
そこで私は、事前に心得るべきマインドセットやスキル、知識を得ることができる場所や、ネクストプレナーとして事業承継した後に経営を執行していくうえでのサポート体制を準備しておくことが非常に重要だと感じ、「ネクストプレナー大学」という、それらの環境を整備するためのコンテンツを作り上げることとなった。
私が保育園を事業承継することによりネクストプレナーになって肌身で体験したすべてのことをノウハウに転換させて、ネクストプレナー大学のカリキュラムに落とし込み、ネクストプレナーを目指す志の高い方々へ還元していくことを私自身のミッションと掲げている。
今後、このモデルと環境が世の中に浸透し、より多くの方にネクストプレナーとして経営者となるチャンスを与えたい。未来のネクストプレナーが後継者不在問題を抱える日本の中小企業の受け皿となることで、雇用を守り、GDPの下支えができるような仕組みになっていくことで「失われた30年」からの脱却の一助となる事を切実に願っている。