国際研究チーム「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)・コラボレーション」は2022年5月12日、天の川銀河の中心にある巨大ブラックホール「いて座A*(エースター)」の撮影に初めて成功したと発表した。天の川銀河の中心に巨大ブラックホールが存在することを示す、視覚的かつ直接的な証拠となる。
いて座A*の画像が得られたことは、決してゴールではない。研究者たちは一様に、「新たな研究課題の扉が開いた」、「いて座A*研究の新しい時代の幕開け」と次への期待を語る。そして、新たな謎に挑むため、EHTも発展を続けている。
生まれた新たな謎
いて座A*の画像からは、わかったことも多いが、新たに生まれた謎もある。
たとえば、いて座A*とM87中心の巨大ブラックホールは、見かけは似通っているものの、周囲のリングに沿った光の明るさの分布には、多少の違いが見られたとしている。
ただ、いて座A*のリングに沿った光の明るさ分布は、時間変動による不定性が大きいため、本当に違いがあるのかはわからないのだという。本当に違いがあるのか、観測時のばらつきによるものなのかを調べるためには、さらなる観測、研究が必要としている。
また、いて座A*に「ジェット」と呼ばれる構造、活動が見られないという謎もある。ジェットとは、ブラックホールのすぐそばにある物質の一部が、宇宙空間に超高速噴出するように飛んでいく現象のことである。従来の理論シミュレーションでは、いて座A*はジェットを生成しやすいと予測されていたが、今回撮影された画像には写っていなかった。実際にジェットがなく、つまり理論シミュレーションが間違っているのか、それとも現在のEHTの性能ではジェットを捉えられないだけなのか、その検証も新たな研究課題のひとつとなった。
さらに、天の川銀河は「棒渦巻銀河」、一方のM87は「楕円銀河」と、銀河の種類が異なる。また、いて座A*は活動性が低い一方で、M87中心の巨大ブラックホールはジェットが激しく起こっていることが知られている。
銀河中心の巨大ブラックホールは、こうした銀河中心で起こる高エネルギー現象の駆動源になっていると考えられており、そして銀河の形成や進化に影響を及ぼしているとも考えられている。
M87の巨大ブラックホールといて座A*、2つの異なる種類の巨大ブラックホールの周辺の画像が得られたことで、今後ジェットの生成機構やブラックホールに物質が降着する様子を明らかにでき、そこから銀河やブラックホールの多様性の理解につながると期待されている。
なにより、いて座A*の素晴らしいところは、天の川銀河の中心にある天体、言葉を変えれば地球に一番近い巨大ブラックホールであるため、地球からの距離や、大きさや質量が正確にわかっているということにある。このことから、まだEHTがなかったころから巨大ブラックホールの存在を示唆する研究が進み、2020年のノーベル物理学賞につながった。
今後、EHTの性能と、この地球に近いというメリットを生かすことで、時空や量子宇宙論、一般相対性理論やその拡張理論など、重力理論の検証を行うための実験材料、実験場として、いて座A*は大いに活用されることだろう。
また、私たちが住む天の川銀河の中心にある巨大ブラックホールということは、天の川銀河、太陽系、そして地球がいまの姿になるまでに、いて座A*はなんらかの役割を担っていたと考えられる。たとえば生命や人類の誕生にも、その歴史のどこかで間接的に絡んでいたかもしれず、「人類はどこからやってきたのか」という究極の問いに迫ることができるかもしれない。
次世代のEHT「ngEHT」
こうした新たな謎に挑むため、EHTも発展を続けている。
今回のいて座A*が撮影された2017年の翌年、2018年にはグリーンランド望遠鏡(グリーンランド)が観測網に追加。2021年には、NOEMA観測所(フランス)、アリゾナ大学キットピーク12m望遠鏡(米国アリゾナ)も加わった。また、記録できるデータ量の増加とそれによる画像の高画質化も行われ、さらにより短い波長での観測による性能の向上で“視力”が1.5倍にもなっている。
これにより、研究者たちは「いて座A*の動画を撮りたい」と意気込む。連載第2回で触れたように、いて座A*は周囲のガスの明るさや模様がめまぐるしく変化しているため、画像化が難しかった。しかし動画で撮影できれば、変化している様子そのものを捉えることができ、さらなる理解につながる。
また、前述した「理論シミュレーションではあるはずのジェットが観測できなかった」という謎についても、視力が上がったEHTなら観測できるのではと期待されている。
すでに2022年3月には、これまでで最も多くの望遠鏡が参加した観測キャンペーンを実施。研究チームは「近い将来、さらに素晴らしい画像やブラックホールの動画を近い将来公開できるでしょう」と語っている。
研究チームはまた、「Next Generation Event Horizon Telescope(ngEHT)」と呼ばれる次世代のEHTの構築も進めている。これまでに参加している電波望遠鏡に加え、北米、南米、アフリカなどにある他の電波望遠鏡や、宇宙望遠鏡なども加え、観測に参加する望遠鏡の数を約2倍に拡張。これによって撮影できる画像と動画は、アインシュタインの一般相対性理論の検証、ブラックホールを取り巻く磁場の構造のマッピング、ブラックホール・ジェットの起源の解明などが可能になると期待されている。
研究チームのひとり、ゲーテ大学フランクフルト ポストドクター研究員の森山小太郎氏は「現在のEHTは、仮想的な地球サイズの望遠鏡とはいえ、(参加している望遠鏡の数や位置の都合で)ところどころ歯抜けがあります。しかしngEHTは、地球上をほとんどすべてを埋めることができるだけの数の望遠鏡が参加しますので、真の意味で地球サイズの望遠鏡と呼ぶにふさわしい性能を目指せると思います」と語る。
「(映画『インターステラー』で描かれたような)ブラックホールに周囲の物質が滝のように落ちているような映像までは難しいかもしれませんが、それをぼやかしたような感じの動画であれば、もしかしたらngEHTで撮れるかもしれません。もちろん、究極的な話で、そこまで見えたらものすごいことですけどね」。
若手研究者の課題、クラウドファンディング
今回の研究成果の発表で、いて座A*の画像や研究内容以外で印象深かったのは、登壇した3人をはじめ、若手研究者の活躍が光ったことだった。
本間希樹教授も「このプロジェクトで若手がたくさん活躍したことはとても重要なことです。登壇した3人以外にも、日本、世界中の若手研究者が参加しました」と強調した。
その一方で、「ただ、若手研究者をめぐる状況は難しいところにあります。任期付きだったり、研究費に制約があったり……」と、窮状も吐露された。
こうした中、国立天文台では改善に向け、民間企業と連携して研究者の雇用、生活の安定を図ったり、クラウドファンディングで研究資金を募ったりといった活動を行っている。クラウドファンディングに関しては、5月12日の時点ですでに当初の目標金額を超え、上乗せを目指してさらなる募集が行われているなど、順調に集まりつつある。
しかし、そもそもこうした問題は、本来なら国が責任をもって解決すべきことである。天文学の分野に限らず、ポスドク問題、科研費問題、そして国の科学・技術予算の問題が話題になって久しい。国もさまざまな策を打ち出しているが十分ではなく、問題解決には至っていない。
このままではブラックホール研究だけでなく、日本の科学・技術はブラックホールに落ちるかのように没落し、そして抜け出すことはできなくなるかもしれない。こうした状況が一日も早く改善され、すべての科学者が後顧の憂いなく、のびのびと研究できるようになることを、そしてそれによる新たな、まだ見ぬ未知の研究成果がもたらされることを願いたい。
参考文献
・天の川銀河中心のブラックホールの撮影に初めて成功 | 国立天文台(NAOJ)
・天の川銀河中心のブラックホール「いて座A* 」の撮影に初めて成功 イベント・ホライズン・テレスコープ 研究成果発表会見 国立天文台 - YouTube
・(プレスキット)天の川銀河中心のブラックホールの撮影に初めて成功 | 国立天文台(NAOJ)
・ngEHT
・クラウドファンディング実施のご案内 | 国立天文台 水沢