最近よく聞く"エバンジェリスト(evangelist)"という肩書き、巷では「よくわからないけど、なんだかスゴそう」という印象を与えるらしい。ある技術や概念を世に普及させるための伝道師的役割を果たす人々のことをこう呼び、とくにIT系企業には多い存在である。だが、およそ彼ほどこの称号がふさわしく、また、そう呼ばれ続けてきた期間が長いエグゼクティブはまずいないだろう。

ミコ・マツムラ -- 現在、ドイツ・ダルムシュタッドに本社を置くSoftware AGにおいてwebMethodsビジネス事業部のバイスプレジデントを務める。そして、いまから10年以上前、"Javaエバンジェリスト"としてジェームス・ゴスリングやジョン・ゲージらとともに、Javaテクノロジの普及に力を注いでいた人物でもある。当時、Sun Microsystemsの"ポニーテール・ガイ"と言えば、現CEOのジョナサン・シュワルツではなく、ミコのことを指していた。ときにはJavaのマスコット・Dukeの着ぐるみをまとったまま、バンジージャンプ(!)をしたこともある。体を張ったアグレッシブなパフォーマンスも、すべてはJavaという、まだ生まれたばかりのプログラミング言語を世界に広めるためだった。

そこまでJavaの啓蒙活動に尽力したのは、もちろんミコ自身がJavaに深く惹かれたからだ。 「Javaのソウル(魂)は、ピュアで、美しく、そしてエレガント」、そしてJavaを含む「オブジェクト指向という世界は、単一の"意志"を実現するのに最適な環境」 -- 誕生から10年以上が経過した今も、Javaへの愛情は深い。

Sunにまだ在籍していたころ、Javaベースのオープンネットワーク技術「Jini」の開発に深く関わった。結局、同社ではうまく製品化することがかなわなかったが、「すべてのデバイスをネットワークでつなぐ」という考え方は、その後の彼の方向性を決定づけたと言ってもいい。

Sunを去った後、SOAという世界に身を投じたミコは、いまや「SOAガバナンス」の伝道師(エバンジェリスト)として、東京、NY、ストックホルム…と講演のために世界を飛び回る毎日を送っている。愛するテクノロジを広めるためなら、どこへでも足を運ぶその姿はJavaエバンジェリストと呼ばれていたころと何ら変わらない(ポニーテールは卒業したが)。

Javaの次に選んだ技術がなぜSOAだったのか? 「PureなJavaに対して、SOAはとてもinpure - "混ざりモノ"の多い世界。そこが面白いと思った。サービスのレベルも粒度もみんなばらばら。これらをうまくつなぐことができれば、どんなことができるんだろうって」 -- そして多種多様なサービスをつなぐには"ルール = ガバナンス"が非常に重要、いや重要と言うよりは「必須」だと彼は断言する。「テクニックとガバナンスはSOAの両輪。どちらが欠けてもSOAの導入は成功しない」- 多くの経営層にその考えを広めることを使命とし、今日もミコは世界を駆ける。

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プロフィール

Miko Matsumura --- Deputy CTO and Vice President, Software AG
1990年代後半よりSun Microsystemsにてチーフテクニカルエバンジェリスト(Chief Technical Evangelist)としてJava言語の開発/普及に携わった後、シリコンバレーにてKalepa Networks、The Middleware Companyなどいくつかのスタートアップ企業の設立に関わる。また、このころからOASIS(Organization for the Advancement of Structured Information Standards)のボードメンバーとしても活動を始め、SOAブループリント策定の先頭に立つ。

2000年、SOAレジストリ/ガバナンスツールをメインプロダクトとするベンチャー企業・Infravioの創業メンバーのひとりとなり、Worldwide Marketing部門のVPに就任する。2006年12月、InfravioがwebMethodsに3,800万ドルで買収されたのと同時にwebMethodsに移籍する。当時、Infravioはわずか65人の従業員しかいなかったが、メインプロダクトの「X-Registry」はwebMethodsのようなWebサービス事業を営む企業にとって注目の製品だった。この後、しばらくシリコンバレーではInfravioのような小さなSOA関連企業を買収する動きが続く。

翌2007年4月、webMethodsがドイツのSoftware AGに5億4,300万ドルで買収され、同社に移籍。現在に至る。

サンフランシスコ州立大学MBA、エール大学修士号を取得。