本連載の第5回で、JR東日本が開発した信号保安システム・ATACS(Advanced Train Administration and Communications System)を取り上げた。ところが、そのJR東日本が2013年12月20日に、以下のような発表をした。

CBTC導入検討の設計を委託するメーカー選定(内定)の結果

タレスってどんな会社

本題に入る前に、CBTC導入に際して設計作業委託先として内定対象になったタレスという会社について、簡単にまとめておこう。

元をたどると、フランスのトムソンCSF社やオランダのシグナール社、イギリスのショート・ミサイル・システムズ社、オーストラリアのADI社など、複数のメーカーに枝分かれしているのだが、それらが買収などの経緯を経てタレスという多国籍企業にまとまったものだ。

筆者は御存知の通り、鉄道やITに加えて防衛分野も執筆活動の柱にしているが、その防衛分野で電子機器やセンサーを手掛けている大手のひとつが、タレス社である。自衛隊でも導入実績があり、近年では「ひゅうが」型護衛艦のミサイル誘導レーダーがタレス製品である。

そのタレス社は一方で、交通関連の事業、特に鉄道用の信号保安システムの面でも存在感を示している。そこで出てくる製品のひとつが、今回のお題であるCBTC(Communications-Based Train Control)だ。

CBTCとは

CBTCをひとことでまとめると、「都市交通向けの、無線を使った列車制御システム」ということになる。

軌道回路を使用する従来方式と異なり、列車が自ら現在位置を検出して発信、その情報を利用することで、先行列車や対向列車と衝突せず、しかもできるだけ効率的に運行できるようにしようというものである。基本的な考え方はATACSと似ているので、得られるメリットも似てくる。

CBTCのキモは「連続的な位置計算による先行列車との間隔保持」にある。軌道回路と閉塞区間を使用する現行の信号保安システムでは、先行列車がいる閉塞区間の手前で後続列車を止める必要があるため、停止位置は固定的となる。相手が先行列車ではなく対向列車でも同じだ。

それに対してCBTCでは、時々刻々移動する先行列車の位置を基準として、その手前で停止させるように減速パターンを生成する。しかも位置計算を連続的に行うので、先行列車が離れたときに減速パターンを「アップ」にして速度上限を引き上げたり、先行列車が接近したときに減速パターンを「ダウン」にして速度上限を引き下げたり、といったことも、理屈の上では可能だろう。

それを実現するには、個々の列車が連続的に自己位置に関する情報を発信している必要がある。その情報を発信・伝達する部分の信頼性確保が肝要で、それが成り立たないとCBTCは使えない。いいかえれば、高い信頼性を備えた無線データ通信がなければ、こうしたシステムは成立し得ない。まさに、情報通信技術の進歩がもたらしたメリットのひとつだといえる。

軌道回路を使用せずに位置検出を行えれば、地上設備の簡略化が可能になる。また、車両が持つ加減速性能を最大限に発揮させられる減速パターンを設定できるので、車両の性能向上が無駄にならない。高性能の新型車両を導入すれば、それに合わせた減速パターンを使用でき、しかも地上側の施設はそのままでよい。

また、位置だけでなく編成長の情報を取り込むと、さらなる効率化を期待できそうだ。編成長が大きく異なる複数の列車が混在している場合、編成長に合わせて間隔をコントロールできると考えられるからだ。

こうした機能を活用することで、都市部の列車密度が高い線区において、線路容量を最大限に活用できるようになるだろう。

そしてタレスのCBTCは、すでに海外のモノレールや地下鉄などで少なからぬ導入実績がある。当初、列車と地上の間の通信には線路脇の誘導無線を使用するIL方式が多かったが、最近は空間波無線を使用するRF方式が増えてきているとのことだ(誘導無線と空間波無線については、本連載の第4回を参照されたい)。

CBTCの考え方は、冒頭でも触れたように、JR東日本が開発を進めてきたATACS、あるいはヨーロッパで導入構想があるが仕様未確定となっているERTMS(European Railway Traffic Management System)レベル3と共通している。ちなみに、そのERTMSのうち自動列車保安装置の部分をETCS(European Train Control System)といい、これもタレスが手掛けている製品分野のひとつだ。

ATACSとCBTCの両方を導入する狙いは?

JR東日本ではATACSを開発して、すでに仙石線で実地検証を実施、さらに埼京線で導入する話も決まっている。興味深いのは、それとは別に常磐緩行線でタレスのCBTCを導入することになった点だ。一見したところでは、ATACSとCBTCは競合関係にありそうである。それなのにどうして?

といったところで関係がありそうだと睨んだのが、移動閉塞システムの国際標準規格化をめぐる、日本や欧州諸国の動向である。その辺の話は、以下の記事に詳しい。

JR東日本テクニカルレビュー「列車制御・輸送管理と国際規格」

日本としては、CBTCやERTMS/ETCSベースで国際規格が固まってしまうのは具合が悪い。日本で開発したATACSを外国に輸出するのが難しくなるからだ。だからといって、そこでATACSをごり押ししても、立場が逆になるだけで、自己矛盾を引き起こしかねない。

そうなると、強引に単一の規格・使用にまとめるよりも、複数の選択肢を残せるような形にまとめられる方が好ましい、ということになるのだろうか。

そうした状況の中で、自社で開発したATACSとともに外国製のCBTCも試用してみるというのが、今回の件の狙いなのだろうか。そして、ATACSを基に国際標準化を進める、あるいはATACSの仕様や要素技術などを国際標準策定時に反映させるような場面で、CBTCの運用経験・運用実績を参考にする狙いがあるのだろうか。

この推測が正しければ、これは単に信号保安システムの問題というだけでなく、世界的な標準化仕様を策定する際のプロセスの進め方や、対外輸出に際して関わってくるハードルをどうクリアするか、といった問題でもあるわけだ。

あるいは、複数の技術を持っておく必要性という考えが背景にあるのかもしれない。そういえばJR東日本では過去に、国鉄型気動車が使用していた旧いディーゼル・エンジンを換装する際に一社限定とせず、新潟鉄工所(当時)・小松製作所・カミンズの3社からエンジンを調達したことがある。これについては立場上、単一のメーカーに絞り込むのが難しかった事情もあるらしいのだが、複数の技術を持っておきたいという考え方もあったと伝えられている。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。