本連載の第21回で、車体の構造設計に際してコンピュータと有限要素法を活用する話を取り上げたが、実はそれ以外にもコンピュータの出番はある。ということで今回は、外形の決定に関する話を取り上げてみよう。お題は新幹線である。

主として新幹線で問題になる空力設計

新幹線は走行速度が速い。そうなると当然のことながら、空気抵抗が問題になる。それなら、新幹線の空力設計とは空気抵抗の低減…と考えてしまいがちだが、実はそれほど単純な問題でもない。

もちろん、空気抵抗が少ないに越したことはない。0系新幹線の時点ですでに先頭車両の空気抵抗係数(Cd値)は0.29、続いて登場したとんがりノーズの100系では0.25に達していた。ところが、細長い新幹線電車では、全長が最大で400mに及ぶ車体の表面で発生する摩擦抵抗が大きく、先頭部で発生する形状抵抗が占める比率は、意外と小さい。車体断面を縮小して表面積を減らすと摩擦抵抗も減るが、それでは居住性や収容力に悪影響が出る。

空気抵抗がどうでもよいというわけではないが、それ以上に問題になるのがトンネル微気圧波である。高速で走る列車がトンネルに突入した際に、入口側から出口側に向かって「トンネル微気圧波」と呼ばれる空気の波のようなものが発生して、出口側で大きな騒音を立てる問題である。

なにしろ、幅3.38m×高さ3.6mのデカブツが270~320km/hの速度でトンネルに突っ込むのだから、それが前方に向けて引き起こす空気の動きが、小さかろうはずがない。

断面積変化と遺伝的アルゴリズム?

ということは、大断面の車体をいきなりトンネルに突っ込ませるからいけないので、少しずつ入れてやれば問題を緩和できそうである。というところから、500系新幹線電車の格好良さを決定づけた(?)、鋭く尖ったロングノーズができた。

ところが、15mに渡って車体断面を絞り込んだことと、もともと車体断面を小さくしていたことから、居住性や定員確保といったところでネガが生じたのは否めない。車体断面の縮小で居住性に影響が生じる事態は避けたいし、ノーズ部分の絞り込みは短くしたい。

しかも新幹線で難しいのは、先頭車になったときだけでなく、最後尾車になったときのことも考えないといけないこと。また、車両のサイズにも「枠」があり、むやみに変えられない。幅を広げればホームにぶつかるし、縮めれば定員は減る上にホームとの間に隙間ができる。長さを限界以上に伸ばせば、これもホームなどとぶつかる。高さも、床面高さと客室の所要高さは決まっているのだから、自ずから制約が生じる。

こういった、複雑で、ときには矛盾しそうな条件の間でバランスをとりつつ、トンネル微気圧波の発生を抑制できる先頭部形状を考えないといけない。考えただけで途方に暮れそうである。

そうこうしているうちに、問題は断面積の変化率にあるということが分かってきた。断面積を急激に変えるのではなく、できるだけ均等に増やす方が良いという話である。しかし、視界の確保を考えると運転台の窓は正面だけでなく、左右も見られる形状にする必要があり、必然的に突出する。その分だけ側面をえぐり、断面積の変化を調整して…という話になる。

また、側面に空気を押しのけると、それがトンネルの壁で反射して車体を揺らしそうだから、できるだけ空気を上に跳ね上げる方が良さそうである。と、これでまた制約条件がひとつ増えた。JR東日本の新幹線電車だと、連結器に加えてスノープロウ(雪かき)も必要になるので、ますます大変そうである。

700系新幹線電車の「エアロストリーム型」は、おおむね、こんな考え方に立脚して作られている。ところが、最高速度285km/hの700系では「断面積変化率一定」で切り抜けたが、最高速度300km/hのN700系では、さらなる高みが求められた。最高速度320km/hのE5系やE6系なら尚更である。

N700系の先頭部形状は、なんとも複雑

かたや、「魚雷型」と化したE5系の先頭部。これもかなり複雑な造形だ

格好良さという点で、近年では出色かと思われるE6系。造形の複雑さでは負けていない

コンピュータ・シミュレーションのおかげです

そこで、「断面積変化率一定」にこだわらず、かつ、トンネル微気圧波を抑制する形状を生み出すという、新しい課題ができた。それには風洞試験などによる試行錯誤が必須だが、ひとつの形状ごとに模型を作って試験にかけていたら、時間も費用もかかって仕方がない。

N700系が登場したときに、「遺伝的アルゴリズム」という言葉がやたらと喧伝された。このアルゴリズムの話自体は専門外なので措いておくとして、本題は、先頭部形状を決定する過程でコンピュータ・シミュレーションを活用したという話である。そこでようやく「鉄道とIT」という話になった。

航空機やレーシングカーなど、空力が関わる業界全体にいえることだが、風洞試験にかける前段階として、スーパーコンピュータで数値流体力学(CFD : Computational Fluid Dynamics)による解析を行うことが多くなった。シミュレーションはあくまでシミュレーションだから、最終的には現物での検証が必要だが、その前にCFDを活用することで、成算があると見込める対象を絞り込むわけだ。

そしてトンネル微気圧波対策においても、コンピュータ・シミュレーションを活用して数千パターンもの先頭部形状(N700系の場合)について検討したそうである。IT、とりわけコンピュータ・シミュレーション技術の進歩がなければ、N700系やE5系やE6系が果たして実現できたかどうか、という話である。

そして、風洞試験や実車での検証試験を経て最終決定する。JR東日本の高速試験車「FASTECH360S」が、両方の先頭車でそれぞれ異なる先頭部形状になっていたのも、現物を使って最終確認するためという理由であった。その結果が、E5系の「魚雷型」先頭部(これは筆者の命名)である。

おそらく、こうした空力設計の話以外でもさまざまな分野で、コンピュータ・シミュレーションを活用していることだろう。それによって事業者や利用者にメリットがあり、しかもそれを安価かつ迅速に実現できれば、皆が幸せになれる。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。