日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げからちょうど50年となる2020年2月11日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)・宇宙科学研究所(ISAS)は「宇宙科学・探査と『おおすみ』シンポジウム」を開催した。

これまでの50年を振り返るとともに、宇宙科学・探査の現状を踏まえ、今後の50年はどうあるべきかを考えるという内容で、刺激的な話題や発言がたくさん飛び出し、会場は大きな盛り上がりをみせた。

連載の第1回では、「おおすみ」打ち上げのあらましについて紹介した 今回は、「おおすみ」打ち上げにおいて、検討時から深く関わっていた秋葉鐐二郎氏と、50年後の現在大活躍中の小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクト・マネージャーを務める津田雄一氏の講演について取り上げる。

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    講演する秋葉鐐二郎氏。「おおすみ」打ち上げにおいて、検討時から深く関わっていた経歴を持つ

「すべてが失敗、すべてが成功」だった「おおすみ」

シンポジウムではまず、L-4Sによる「おおすみ」打ち上げにおいて、検討時から深く関わっていた秋葉鐐二郎氏が登壇。当時の状況や思い出を振り返った。

Lロケットの開発が進んでいた1961年、渡米した秋葉氏は、当時アポロ計画を進めていたウェルナー・フォン・ブラウンと面会。当時、サターンVロケットの最初の打ち上げの直前だったこともあり、その意気込みについて聞いたところ、フォン・ブラウンは「打ち上げ結果は神様しか知らないよ」と答えたという。

また、フォン・ブラウンから「日本はいつ衛星を打ち上げるのか」と聞かれ、秋葉氏が「5年くらいかかる」と答えたら、「そんなにかかるのか」と言われたというエピソードも披露した。なお、実際には9年かかることになる。

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    秋葉氏が披露した、1960年当時の衛星打ち上げ用ロケットの概念図

その後、話は「おおすみ」打ち上げのエピソードに。打ち上げられた「おおすみ」からの最初の信号は、南アフリカのヨハネスブルグで受信することになっていた。日本から見て地球のほぼ裏側にあるため、ここで予定どおり信号が捉えられれば、ほぼ軌道に乗ったことがわかる。

そして、実際にヨハネスブルグの地上局から信号を受信したという知らせが届いたものの、関係者は皆、本当かどうか半信半疑だったという。軌道を一周して日本のアンテナで受信して確かめるまで、不安そうな顔で待ち続けたというエピソードが、その表情をしっかり捉えた当時の写真とともに語られた。

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    秋葉氏が披露した、ヨハネスブルグから「おおすみ」の信号を受信したと伝えられるも、半信半疑な関係者たちの写真

また、L-4Sが1号機から4号機まで連続して失敗したこと、また3号機と4号機の間に打ち上げた試験機「L-4T-1」でもトラブルがあり、そして「おおすみ」も打ち上げ直後に故障したことを踏まえ、これら一連の打ち上げは「すべてが失敗、すべてが成功」であったと総括。ネガティブな意味ではなく、これらは学習過程での出来事であり、その経験が後に活かされ、そして現在の日本の宇宙開発につながっているのだと語られた。

50年を経た日本の宇宙開発の大いなる忘れ物

さらに後半では、今後の宇宙開発のあり方についても言及。「我々は『おおすみ』から50年、さまざまな衛星を打ち上げ、応用や夢を叶えることになったが、大いなる忘れ物をしているのではないか」と問題提起した。

まず、ロケットや衛星の仕組みは本当にいまのままでいいのかとし、たとえば、ロケットを地上から打ち上げるのは無駄が大きく、環境に悪影響も与えることから、成層圏など高い上空から発射すべきであると語られた。さらに、衛星などを地上で組み立て、試験して打ち上げるのも無駄が多いとし、宇宙に工場を造り、最初から宇宙で組み立てれば試験を簡略化できるというアイディアも披露した。

また、民間による宇宙開発が活発になった現代、国と民間がさらに協調して宇宙開発を進めていくべきだと主張。そのためには「いまの経済システムはだめだ」とし、宇宙開発のための専用通貨を作り、日本の国家予算などを再利用できるようにすることで、宇宙開発の予算に充てるべきとした。

そして、近年問題になっているスペース・デブリ問題はもっと積極的に対策すべきであるとし、これからは地球のことも宇宙のことも、人類が大いに責任をもってやっていくべきであると語られた。

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    秋葉氏は、「おおすみ」にまつわる一連の打ち上げは「すべてが失敗、すべてが成功」であったと総括した

「おおすみ」から「はやぶさ2」、そして自由自在な探査へ

続いて、小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクト・マネージャーを務める津田雄一氏が登壇した。

津田氏はまず、宇宙開発において世界から遅れを取っていた当時の日本が、「おおすみ」の打ち上げに成功し、そして「はやぶさ2」を始めとする現在に至る成果を残せたのには、「先人のたゆまぬ努力と情熱があった」とし、個人の技術力と、それを集めた組織力、そして宇宙科学スピリットがあったからこそ、技術力や実績、予算など、さまざまなビハインドがあるなかでも、人類に貢献できる宇宙科学を実現することができたと振り返った。

そして、「技術は紙の上ではなく、人によって受け継がれていくものだ」とし、「おおすみ」から現在に至る、人による技術の受け継ぎや発展を強調するとともに、そして一度失われた技術を取り戻すのは難しいことから、「いかなる事情があっても惑星探査を中断するということはあってはならない、むしろ『はやぶさ2』からどんな未来につながるのかを考えるべき」と訴えた。

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    講演する津田氏

その未来につながる話として、津田氏は「惑星探査の自在性」を挙げた。他国の惑星探査は、重力天体のフライバイ(接近・通過)、周回、そして着陸といった流れを取っているが、日本は「はやぶさ」と「はやぶさ2」で、重力の小さな天体(小天体)からサンプル・リターンできる能力を示し、他国とは違うアプローチを開拓した。

これにより、イトカワやリュウグウ以外の小惑星を探査できる可能性が生まれたとともに、同時に今後は、小天体から惑星のような大きい天体の探査へと技術を伸ばしていくこともできると強調。また、現在は「より遠くの天体を探査するか」と「より自在に探査するか」を天秤にかけ、どちらかを選ばないといけないが、「はやぶさ2」の技術を伸ばしていくことで、両立させることができる、少なくともいまから50年後には実現していないといけないとした。

そして、そのために現在、月にピンポイントで着陸できる「SLIM」や、火星の衛星からのサンプル・リターンを目指す「MMX」(2020年2月19日に「フォボス」を目指すことが正式決定された)、小惑星フェイトンをフライバイ探査する「DESTINY+」といった計画が進んでいることを紹介。さらに「まだまだ伸び代がある」とし、存在は知られているもののまだ直接探査されたことのない、たとえば二重になっている「バイナリ小惑星」や、木星の衛星のような大きな小天体の探査など、さまざまな可能性が広がっているとし、「世界と違う方法で、世界の目指すものを実現する。それが人類に役立つ科学に貢献するということ」と語った。

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    津田氏が示した、「はやぶさ3」技術の候補たち。なお、「はやぶさ3」という計画はまだ存在せず、あくまでいまある技術の延長線上にどのような次の計画が考えられるか、ということを示したものであることに注意

王道を進むのではなく、王道を作る

一方で課題も挙げた。「はやぶさ2」は、予算も期間もぎりぎりのなかで開発されるなど綱渡り状態であり、また技術試験機である「はやぶさ」の立ち上げから、本格的な小惑星探査機である「はやぶさ2」の成果まで30年もの年月がかかったとし、「いまの日本の宇宙科学ミッションの枠組みでは、制約のなかで工夫をこらしたミッションは可能だが、世界を変えるような科学を実現するのは限界がある」と主張。

さらに、宇宙科学ミッションの頻度も、規模も維持できない現状であることから、「こんなときこそ、さらにおもしろい工夫、アイディアが必要」と訴えた。

また、そうした探査機などを打ち上げる輸送系(ロケット)の研究についても、「近ごろ元気がない」と指摘。たとえば、「かつてのISASの輸送系は、イーロン・マスクがスペースXでロケットの再使用をするよりはるか以前に、再使用ロケットの研究をやっていた。さらに遠くの宇宙に行くためにも、こうした輸送技術を活かさないといけない」と語った。

そして、「(はやぶさ2のような)探査工学と宇宙輸送の組み合わせで、世界を変える探査は可能である」とし、「限られた日本の技術や予算のなかでは、教科書一冊を丸ごと書く力はないが、教科書の一章を書く力はある。『王道』を進むのではなく、『王道』を作ろう」と呼びかけた。

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(次回に続く)

参考文献

宇宙科学・探査と「おおすみ」シンポジウム - YouTube