つい数年前まで、オフショア開発を行うほとんど唯一の目的は、相手国の安い人件費を活かしたコスト削減だった。ユーザ企業による大型の情報化投資案件は減ってきており、受託ソフトウェア開発の収益性は低いから、コスト削減は今でも大事である。だが、オフショア開発が当たり前となりつつある今、それはコスト削減というよりは、もはやコスト相場になりつつある。

むしろここ二、三年ほどの間に、人材不足解消という目的がオフショア開発に占めるウェイトを増してきているようだ。総務省の「平成19年情報通信白書」によると、オフショア開発の目的としてコスト削減を挙げた企業は93.8%であるだけでなく、人材不足解消を挙げたところも80.2%に及んでいる。

中国を活かしきれない日本のオフショア開発

もちろん、いくらオフショアに豊富な人材があるからといって、カスタム色の濃いソフトウェアの開発を、日本側のSE抜きでオフショア企業が直接請け負うということはあり得ない。であれば、オフショアの人材をどれくらい活用できるかは、日本側の担当者一人につきオフショアの人材を何人動かせるかで決まる。そして、その限度によって発注者企業のオフショア開発の規模の限界が決まってくるのである。

現在、中国では約6万人が日本向けオフショア開発に従事していると見られる。130万人いる中国のソフトウェア産業従事者の0.5%にも満たない。少なくとも数の上からは中国側にはまだまだオフショア開発を受け入れるキャパシティがある。現実に中国は日本向けのソフトウェア人材の供給力を上げようと国を挙げて取り組んでいるといってもよい。問題は日本がそれをどれだけ活用できるかだ。   今までの日中オフショア開発は、日中双方の現場同士の手探りで何とか回してきた側面があり、極端に言えばプロジェクトがうまくいくもいかないも運次第でコントロール仕切れていない。中国側には未成熟な管理プロセス、日本と比べて高い離職率、経験者不足、個人主義的な仕事の進め方、低い品質意識といった問題が往々にしてあるが、これは問題の半分を捉えているに過ぎない。残りの半分は、発注者である日本側の問題である。日本のソフトウェア産業はカスタムシステムの受託開発に偏っており、これと相互に補完しあうように垂直統合型の下請け構造をとっている。この構造の下では取引関係は長期・固定的となる傾向が強く、受注者は発注者の業務プロセスを熟知していることが重視される。そのため、オフショア開発に当たる際にも、日本側は下請けの延長として中国側に仕事を出そうとするのだが、これが海を隔てた国のパートナーに対してはなかなかうまくいかない。

中国(受注側)から見た日米企業の違い

ところで、中国で、日本向けと米国向けの両方のオフショア開発を手がける企業に聞くと、仕様変更が多いことでは日米で違いはないという。実際、ソフトウェア開発に仕様変更が付き物なのは中国人もよくわかっている。違いは、一種の権限委譲にあるという。つまり、日本の発注者は中国側の内部の開発プロセスまでコントロールし、発注仕様書の中では何を作るべきかだけでなく、それをどう作るかというところまで細かく指定してくる――この点が要件を満たすものさえ作れば開発プロセスも設計方法も不問とする米国の発注者と違うというのである。つまり"whatは求めるがhowはお任せ"というのが米国流の仕様書、"whatもhowも細かく指定"してくるのが日本流の仕様書という違いがある。当然後者は書き込む量が多くなるし、仕様書の読み手に要求する業務知識も多くなる。なぜなら書けば書くほど、読み取るべき「行間」も増えるからである。

受注者側が発注者側の開発プロセスに高度に組み込まれ、暗黙知としての業務知識を蓄積して初めて機能する垂直統合型の受託開発のままでは、発注者側の担当者一人が十分に動かせるオフショア側人材の数は10人程度が限界であろう。いままでのオフショア開発の問題点は、そのプロセスが開発規模を広げるスケーラビリティを備えていないことである。だから、オフショア開発の立ち上げ当初に無難な案件を選んで小規模なお試しプロジェクトからスタートしたときに問題が起こらなくても、取引規模を100、300人、1,000人と上げていく過程で何度も壁にぶつかるのである。

オフショア開発発注曲線

上の図を見てほしい。日中オフショア開発発注は典型的にはこの図にあるようなS字形の成長曲線を見せる(ただしこれは実際のデータを積み重ねこのような曲線が得られたというのではなくて、経験的なものである)。立ち上げ当初は細々とお試しプロジェクトが営まれ、小さな成功事例を積み重ねていく。この情報を元に経営者がオフショア開発拡大を決断すると、より多くの部門が参加し、急速に発注量が伸びるものの、おのおのの現場にはオフショア開発を回すノウハウがなく、「出せる案件から」ばらばらに出して何とか経営の要求に応える。が、「出せる案件」がなくなり、また現場のオフショア開発に対する負担感(疲労感)が蓄積すると、発注の伸びが止まって踊り場を迎えるのである。

この踊り場から先に進むにはどうしたらよいか。次回、この点をもうすこし詳しく見ていきたい。

著者プロフィール

細谷竜一。1995年、Temple University(米国)卒業。1997年、University of Illinois at Urbana-Champaign(米国)コンピュータ科学科修士課程修了。1998年~2007年総合電機メーカーを経て大連ソフトウェアパークにある某大手ソフトウェア企業で3年間勤務。2008年からユーザ企業系IT会社の社員として上海のオフショア開発拠点に赴任。学生時代はオブジェクト指向やデザインパターンなどの研究に従事。GoFの一人、Ralph E.Johnson氏の講義を受けた経験も。卒業後も、パターンワーキンググループの幹事を務めるなど、研究活動に積極的に取り組んでいる。
オフショア開発については、『システム開発ジャーナル Vo.1』の「特集2 オフショア開発最前線」でもアジア各国の最新事情が、実際のプロジェクトを経験したマネージャらによって解説されている。そちらもぜひ参照されたい。