今回は前回に続き、最新の「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」の「第2部 官民データ活用推進基本計画」を見ていく予定でした。
これらの計画は、従来の計画をもう一度引き直したような内容で、正直それほどのインパクトはありません。そんななか、7月3日日本経済新聞朝刊の一面に掲載された「企業の税・保険料、書類不要に」という記事は、とても大きなインパクトのある内容でした。
今回は、この記事の内容を確認するとともに、これと関連した動きを見ていきたいと思います。
記事「企業の税・保険料、書類不要に」のポイント
この記事のポイントは、記事の冒頭にある通り、「企業による税・社会保険料関連の書類の作成や提出を不要にする検討に入った。源泉徴収に必要な税務書類など従業員に関連する書類が対象。」というところにあります。
これまで企業は、従業員の税・社会保険料に関する書類を作成、提出する義務を担ってきました。それが、提出だけでなく作成する必要もなくなると、この記事は伝えています。 より、具体的に内容を見ていくと、
「企業は給与情報などをクラウドにあげ、行政側がそのデータにアクセスし、手続きを進める形に変える。」
「企業がクラウドにあげるのは給与や扶養親族、マイナンバー、年末調整に要る情報など。安全面などの要件を満たした政府認定のクラウド事業者を対象にする。」
などとしています。
例えば、この記事の内容が実現すると、現状のフローがどのように変わるのか、年末調整を例に(図1)に示して見ました。
従業員を雇用している企業では、給与計算を行い、年末の最後の給料または賞与までに年末調整の計算を行って、源泉徴収票を作成、本人に交付し、翌年の1月末までに源泉徴収票を税務署へ、給与支払報告書を従業員の住民票所在地の市区町村へ提出しなければなりません。
この年末調整業務をめぐっては、経済団体などから、企業にとって業務負担が重いことを理由に、年末調整の廃止を求める声が挙がっていました。この記事の通り、源泉徴収票など年末調整で作成していた書類の作成が必要なくなるということは、企業にとって大きな負担軽減になります。
中小企業の場合は、年末調整を税理士に委嘱しているケースもあります。税理士にとっても、所得税の確定申告業務を控える年末から1月にかけての時期に、処理が集中する源泉徴収票や給与支払報告書などの作成、提出の作業がなくなることについては、歓迎する声が多いようです。
また、この記事に掲載された図を見ると、年末調整で関係する税務署や市区町村以外に、日本年金機構・ハローワーク・労働基準監督署・健康保険組合などの機関も掲載されており、これらの機関に提出する保険料等に係る書類も対象になることが示されています。
例えば、健康保険・厚生年金保険の被保険者報酬月額算定基礎届は、従業員本人の情報および給与の情報から作成される書類ですので、こうした書類も、企業の「作成や提出を不要にする」対象になってきます。税の分野では、年末調整で作成される書類にとどまる可能性がありますが、社会保険の分野では、健康保険・厚生年金保険・雇用保険・労働保険など従業員が被保険者となるものについて、現在企業が作成、提出している書類の多くが対象となる可能性があります。
税の分野だけでなく社会保険の分野でも、これまで企業に作成、提出が義務づけられていた多くの書類で、この記事で示された新たな仕組みにより、作成、提出が不要になれば、大企業から中小企業にいたるまで、業務負担の軽減は非常に大きなものになります。ひいては、これらの業務に係る社会的コストも大幅に削減することができます。
それだけ、この日本経済新聞の記事で示された、行政機関の新たな取り組みは、インパクトが大きいということです。
これに関連した動きは始まっているのか
この記事では、「7月に財務省や厚生労働省、総務省などの関係省庁を集め、検討会議を開く。」とされています。こうした会議が開かれるとすれば、記事にもあるIT総合戦略本部で開催されるものと思われますが、残念ながら、この記事に直結するような会議は、7月には開催されなかったようです。7月20日に、財務省や厚生労働省、総務省なども参加する「デジタル・ガバメント閣僚会議(第2回)」 が開催されていますが、その議事次第は、
- デジタルファースト法案の策定について
- 「各府省におけるデジタル・ガバメントを戦略的に推進するための中長期計画」について
- 「電子決済移行加速化方針」について
- 「デジタル・ガバメント実行計画」の改定について となっており、直接的にこの記事に関わるようなことは、議題に挙がっていないようです。
また、この会議に提出された「デジタル・ガバメント実行計画」の改定案の資料でも、社会保険料などに係る電子申請システムであるe-Govの利用促進のための計画は示されていますが、これも従来の内容を踏襲したものにすぎません。
この記事の冒頭にある通り、現状は「書類の作成や提出を不要にする 検討に入った」段階であり、目標とする実現年度が2021年度であることを考えると、すぐに具体的な動きが出てくることを期待するのは、早すぎるのかもしれません。
そうしたなか、国税庁が6月20日に発表した『「税務行政の将来像」に関する最近の取り組み』のなかに、この記事に繋がるような計画があります。「税務行政の将来像~スマート化を目指して~」は、昨年6月国税庁が「中長期的に目指すべき将来像について国税当局として考えていることを明らかにし、着実に取り組んでいくことが重要」として発表したものです。そして、今年の「最近の取り組み」は、昨年からの進展や新たな計画が盛り込まれています。「最近の取り組み」のなかの、この記事に繋がるような計画とは、(図2)の年末調整控除申告書作成システムの計画です。
昨年の、「税務行政の将来像~スマート化を目指して~」には、将来像として以下のような記載がありました。
「納税者がマイナポータル等を通じて電子的に入手できる情報(生命保険料データ等)が増えれば、それらを活用することにより、確定申告や年末調整の電子化が進み、手続の省力化が図られるとともに、納税者の利便性が向上すると考えています。」
ここでは、民間の生命保険会社等が提供する控除証明書の電子化を前提に、それを活用することにより、所得税の確定申告や年末調整の電子化による省力化が図られるイメージが提示されていましたが、国税庁として何をやるのかまでは示されていませんでした。
これが、今年の「最近の取り組み」では、(図2)の通り、生命保険会社等が提供する控除証明書の電子化されたデータから、保険料控除申告書を作成する「年末調整控除申告書作成システム」を国税庁が開発し、2020年10月には提供する予定としています。このシステムは、「控除証明書等のデータを取り込めば、所定の項目に自動転記(簡便・正確に申告書データを作成)」でき、「内容確認後、そのまま勤務先にオンライン提出可能」としています。無料でダウンロードできるということですから、従業員がパソコンにこのシステムをダウンロードしてインストールし、控除証明書等を電子データで取り込めば、簡単に保険料控除申告書が作成できることになります。
ただし、このような流れが可能になるためには、以下のような課題があります。
・生命保険料控除証明書が生命保険会社から電子データで提供されること
・企業等が使用する年末調整システムで、従業員から電子データで提出される保険料控除申告書を受け取れる機能を有していること
(図2)の資料によれば、「システムの仕様公開を通じ、民間ベンダー等によるシステム開発も促進」としていますので、現在企業や税理士に年末調整システムを提供しているベンダーでは、最低でも、従業員から電子データで提出される保険料控除申告書を受け取れる機能には対応していくことになります。さらに、従業員が保険料控除申告書を作成するところから、一つのシステムでできるようにした方が、従業員や企業等にとって、より使い勝手の良いシステムになると考えると、国税庁が提供する「年末調整控除作成申告書システム」と同等の機能も開発し、年末調整システムに組み込むベンダーも当然出てきます。
ベンダーがこのような対応を行えば、上記の課題のうち後者は解決します。では、前者の課題、「生命保険料控除証明書が生命保険会社から電子データで提供されること」については、以前から話には出ていましたが、まだ具体的な動きは見られません。ただ、国税庁がここまで具体的に書く以上、政府と保険会社(住宅ローンの証明書であれば銀行)との間で、何らかのやりとりが行われ、2020年には、控除証明書の電子データでの提供が実現しているものと考えられます。
この2020年10月の「年末調整控除作成申告書システム」をめぐる動きと、日本経済新聞の記事で提示された仕組みを結びつけて考えると、(図3)のように、従業員や企業等にとって、もっとも効率的な処理ができるシステムは、給与計算から年末調整の控除申告書作成までクラウドでできるシステムということになってきます。
日本経済新聞の記事で示された、企業による従業員に係る税・社会保険料関連の書類の作成や提出を不要とする仕組みについて、今のところ具体的な動きがないため、その実現可能性については、これから出てくる情報を待って判断するしかありません。ただし、国税庁が2020年10月に提供を予定している「年末調整控除作成申告書システム」の計画を、記事で2021年度とされた新たな仕組みの構築に向かうための布石と考えると、実現可能性は高いのではないでしょうか。
企業による従業員に係る税・社会保険料関連の書類の作成や提出が不要となることは、企業にとって、提出書類に係る業務負担を大幅に軽減する、社会的にもインパクトの大きな業務フローの改善となります。
また、このことは、同時に中小企業にとっても、クラウド利用が当たり前になる時代がやってくることを意味しています。以前の連載記事で、マイナンバーの管理では、クラウドのシステムを推奨してきましたが、政府が進めるデジタル・ファーストという社会全体の電子化の流れに乗って、自らの企業の生産性を高めるためにも、システム利用はクラウドが一番という時代がやってきます。こうした動きを見据えて、中小企業や年末調整を請け負う税理士の方々が、今から利用システムの見直しをするのに、早いということはありません。
今回取り上げた、日本経済新聞の記事をめぐる今後の動きに、注目していきたいと思います。
中尾 健一(なかおけんいち)
アカウンティング・サース・ジャパン株式会社 最高顧問
1982年、日本デジタル研究所 (JDL) 入社。30年以上にわたって日本の会計事務所のコンピュータ化をソフトウェアの観点から支えてきた。2009年、税理士向けクラウド税務・会計・給与システム「A-SaaS(エーサース)」を企画・開発・運営するアカウンティング・サース・ジャパンに創業メンバーとして参画、取締役に就任。現在は、同社最高顧問として、マイナンバー制度やデジタル行政の動きにかかわりつつ、これらの中小企業に与える影響を解説する。