税の分野では、デジタルファーストを掲げる政府の方針のもと、法人税等の電子申告義務化を打ち出し、電子化のさらなる徹底をはかろうとしています。では、マイナンバー利用のもう一つの分野である社会保障分野では、電子化に向けてどのように動こうとしているのでしょうか。今回は、厚生労働省が公表している「社会保険に関する手続」についての『「行政手続コスト」削減のための基本計画』から社会保障分野での電子化の方向性についてみていきましょう。
社会保険関連手続に関する事業者の負担
(図1)は前回も取り上げた経済同友会の「電子行政の推進に向けた意見」のなかの、事業者にとって負担の大きい手続についての調査結果ですが、そのトップにきているのが、「社会保険に関する手続」です。
(図1)経済同友会 「電子行政の推進に向けた意見」より |
社会保険に関する手続ついては、従業員を雇用している事業者では、厚生年金保険・健康保険・労働保険及び雇用保険について多種多様な手続に対応する必要があり、「提出書類の作成の負担が大きい」といった声が集中する分野です((図2)参照)。
(図2)経済同友会 「電子行政の推進に向けた意見」より |
また、電子政府の総合窓口として位置付けられるe-Govにおいて、社会保険に関する手続は電子申請可能とはなっています。ただし、健康保険関連では協会けんぽへの手続はe-Govによって電子申請できますが、約1,500ある健康保険組合への手続は電子化されておらず、「手続オンライン化が全部又は一部されていない」といった声も多くなっています。その他、「手続のオンライン化はされているが使いにくい」や「手続に要する期間が長い」などの声も他の手続きに比べて多いのが現状です。
こうした事業者の声を受けて、厚生労働省の「社会保険に関する手続」についての『「行政手続コスト」削減のための基本計画』(以下、「基本計画」)ではどのような施策を取ろうとしているのでしょうか。
社会保険に関する手続の電子化状況
「社会保険に関する手続」についての「基本計画」では、事業主が届け出る必要のある厚生年金保険・健康保険・労働保険及び雇用保険の手続が全体で123種類あり、そのうち基本計画の対象となる年間100件以上届け出のある手続は105種類としています。今回の「基本計画」では、そのなかから手続件数の多い上位20件の手続に、コスト削減効果が見込める手続を加えた28種類の手続で、社会保険等の手続の約90%を占めることから、これらの手続を対象に「基本計画」が立てられています。
「基本計画」では、事業主の提出頻度を考慮して、対象手続を3つパターンに分けています。3つのパターンに分けられた、代表的な手続を列記すると以下の通りとなります。
特定の時期に提出するもの
被保険者賞与支払届(厚生年金保険)
被保険者賞与支払届(健康保険)
被保険者報酬月額算定基礎届(厚生年金保険)
被保険者報酬月額算定基礎届(健康保険)
労働保険概算・確定保険料申告書(労働保険) など
定期的又は不定期に提出するもの
被保険者住所変更届(厚生年金保険)
被保険者住所変更届(健康保険)
被保険者報酬月額変更届(厚生年金保険)
被扶養者異動届(厚生年金保険)
被扶養者異動届(健康保険) など
基本的に1回限り提出するもの
被保険者資格取得届(厚生年金保険)
被保険者資格喪失届(厚生年金保険)
被保険者資格取得届(健康保険)
被保険者資格喪失届(健康保険)
被保険者資格取得届(雇用保険)
被保険者資格喪失届(雇用保険) など
特定の時期に提出するもののうち、「被保険者」がタイトルについているものについては、従業員全員分の書類を作成して提出する必要があります。また、1回限り提出するものとされている資格取得届や資格喪失届は、従業員の入社や退社のたびに書類を作成して提出する必要があります。社会保険に関する手続ついて、「提出書類の作成の負担が大きい」という声が多くなる理由がここにあります。
「基本計画」では、これらの手続について、「手続の概要、電子化の状況」を記載しています。電子化の状況についてみていくと、上記の手続のうちオンライン申請が10%を超えているものは被保険者賞与支払届(厚生年金保険)12%、被保険者住所変更届(厚生年金保険)11%、被保険者報酬月額変更届(厚生年金保険)16%、被保険者資格取得届(厚生年金保険)11%、被保険者資格喪失届(厚生年金保険)12%、被保険者資格取得届(雇用保険)13%、被保険者資格喪失届(雇用保険)16%となっています。一部の手続では、CDやDVDでの提出が認められており、これらの手続きでは電子化率という意味では20%を超えるものもあります。とはいえ、国税の分野では法人税の電子申告が75.4%、非常に提出件数の多い所得税の電子申告でも52.1%(いずれも2015年度実績)という利用率からすると、社会保険関連のオンライン申請では明らかに利用率が劣っていると言わざるを得ません。
また、10%を超えている手続を見ると、厚生年金保険や雇用保険は入っていますが、健康保険関連の手続は一つもありません。これは、協会けんぽへの手続はe-Govによってオンライン申請できますが、約1,500ある健康保険組合への手続はオンライン申請に対応していないことが大きく影響しているものと思われます。
「基本計画」で示される電子化等の方針
「基本計画」では「削減方策(コスト削減の取組内容及びスケジュール)」として、「行政手続の電子化の徹底(デジタルファースト)」「同じ情報は一度だけ(ワンストップ)」「書式・様式の統一(ワンスオンリー)」の三原則に沿って見直しを行うとして、様々な施策を掲げています。
まず、「手続のオンライン化の推進」では、① 電子的申請の義務化、② APIの活用推進、③ 組織を挙げた利用勧奨の3つの施策を掲げています。
先に見た通り、オンライン申請の利用率が低迷しているなかで、いきなり「電子的申請の義務化」が掲げられていることには驚いてしまいます。また、義務化を掲げる理由として、電子的申請推進の阻害要因として紙媒体か電子的申請(オンライン申請又は CD・DVD)かを選択できる仕組みとなっていることをあげ、紙媒体による申請を認めなければ「電子的申請」が進むと考えているようですが、利用率が低迷している現状の分析のないまま「電子的申請の義務化」を推し進めようとしても無理があります。
「電子的申請の義務化」について書かれた部分を見ても、「社会保険の手続について、一定規模以上の事業所については、原則、紙媒体によらずオンライン又は CD・DVD による申請とすることで、電子的申請への移行を促す。労働保険に係る手続についても、同様とする。 実施に当たっては、速やかに切り替えられる事業所から順次切り替えを行い、一定期間経過後、オンライン又は CD・DVD による申請とする。また、一定規模未満の事業所についても、あわせて電子的申請への移行を促すこととする。」としていますが、「上記対策を行うに当たっては、API ソフトの普及や e-Gov の利便性向上に向けた対策を併せて講じることとする。」といったこと以外には施策らしいものはなく、これでは「電子的申請への移行を促す」といわれても、なんら施策としての具体性がなく、「電子的申請の義務化」の実現可能性については疑問を抱かざるを得ません。
また、健康保険組合について、「オンライン申請を推進するための環境を構築し、健保組合におけるオンライン申請の導入を図る。」としています。健康保険組合ごとに現状のシステムが構築されているとはいえ、それぞれごとにオンライン申請のシステムを構築していくことは、全体としてコストが生じてしまうだけですので、提出窓口はe-Govに一元化して、そこから情報連携する方がコスト削減にもなりますし、利用者にとっても利便性が高い運用になると思います。この点について「基本計画」では、「健保組合毎に独自の業務処理システムを有し、e-Gov を利用できないこと等がオンライン申請の阻害要因となっていることから、健保組合における事務処理の現状把握を踏まえた改善方策を検討する場を設置し、検討を進めていく。」としています。提出窓口はe-Govに一元化して、そこから情報連携するといった方向性を明示できない理由がどこにあるのかわかりません。提出窓口はe-Govに一元化して、健康保険組合にとってシステム構築コストが少なく済むような情報連携方法を考え、すべての健康保険組合でオンライン申請が可能となるような環境を作らなければ、「電子的申請の義務化」は到達できない目標になってしまいます。
以上のように「手続のオンライン化の推進-電子的申請の義務化」については、もっと効果的で具体的な施策を講じていかなければ、目標に掲げている3年間で実現するのは難しいと思われます。 その一方で、「バックヤード連携の徹底」の項で掲げられている「マイナンバー連携による手続の廃止」や「ワンストップ化の実現」の項で掲げられている「届出様式の統一」や「ワンストップ受付窓口の設置」には、事業者にとって期待が持てる内容が施策として挙げられています。
「マイナンバー連携による手続の廃止」については、日本年金機構では被保険者のマイナンバー収録を、地方自治体を通して順次行っており、このマイナンバーをキーとして、被保険者の住所変更情報を随時、更新することが可能となることから、被保険者住所変更届(厚生年金保険)について原則廃止するとしています。被保険者住所変更届(健康保険)についても健康保険組合が被保険者のマイナンバーを把握していることにより、同様に廃止となるとしています。こうした手続そのものの廃止は、マイナンバーをキーとした情報連携によって可能になるわけですが、こうした手続はもっと他にもあると思われます。「バックヤード連携の徹底」により、社会保障の分野だけでなく他の分野でも、手続そのものの廃止といった措置が進められれば、マイナンバー利用の効果がようやく事業者に及ぶことになりますので、是非ともこのような手続の見直しを行政機関では進めていただきたいと思います。
また、「ワンストップ化の実現」では「厚生年金保険、健康保険、労働保険及び雇用保険の各手続において届出契機が同じ4種の手続の届出様式を統一化し、事業主の申請負担の軽減を図る。」として、新規適用届(適用事業所設置届、労働保険関係成立届)、適用事業所全喪届(適用事業所廃止届)、被保険者資格取得届及び被保険者資格喪失届の4種を挙げています。この中で、被保険者資格取得届及び被保険者資格喪失届は、様式自体は簡単なものの、従業員の入社・退社のたびに作成、提出が必要なため、事業者にとって負担の大きい業務です。この様式が統一され、かつ統一様式については年金事務所及びハローワークで一括して受け付けるとしています。「統一様式による運用は平成31年度からとし、新様式に対するシステム改修が生じることから、平成33年度末までの5か年で取り組む。」としており、e-Govでの提出窓口一元化までは時間がかかりそうですが、「電子的申請の義務化」を進める以上、こうした事業者にとって利便性の高い改善こそ、システム化にもいち早く取り組み、オンライン申請によるワンストップ化のメリットを早めに出していくことが、オンライン申請の利用率を高めていくことになるのではないでしょうか。
社会保障分野では、オンライン申請の利用率の低さを、どう改善していくのかがこれまで大きな課題となってきました。「基本計画」で「電子的申請の義務化」を掲げたものの、この計画を見る限りでは、計画を実現するための効果的で具体的な施策までは見えてきません。マイナンバーをキーとした情報連携で手続を廃止するような、踏み込んだ施策と同様に、現状のe-Govの仕様を大胆に見直すなど、利用者視点にたった改善策を講じていくことが、社会保険関連の手続でデジタルファーストを実現するために大事なポイントとなるのではないでしょうか。
中尾 健一(なかおけんいち)
アカウンティング・サース・ジャパン株式会社 取締役
1982年、日本デジタル研究所 (JDL) 入社。30年以上にわたって日本の会計事務所のコンピュータ化をソフトウェアの観点から支えてきた。2009年、税理士向けクラウド税務・会計・給与システム「A-SaaS(エーサース)」を企画・開発・運営するアカウンティング・サース・ジャパンに創業メンバーとして参画、取締役に就任。マイナンバーエバンジェリストとして、マイナンバー制度が中小企業に与える影響を解説する。