国の予防接種制度の改革と私たち

筆者(31)は、中学生の頃に個別に医療機関で予防接種を受けた世代だが、その記憶はない。過去に風疹にかかったかどうかも覚えていない。そこで風疹の予防接種を受けるために近所の診療所を訪れた。看護師長によると、3月くらいから風疹の予防接種を希望する若い世代の男女が相次いでいるという。

「あなたのように、過去に予防接種を受けたかどうかわからないという人がほとんどですよ。行政の政策に一貫性がないからこんなことになっている」と診察をしてくれた医師がおっしゃっていた。

ここ数年、他の国では使えるワクチンが日本では使えなかったり、定期接種で受けられなかったりするといった「ワクチン・ギャップ」が問題視されている。また、そのために風疹のように他の先進国では見られなくなってきたVPDがたびたび流行したりしてきた。

その一因が、国の予防接種制度。これまでの制度は、病気そのものを排除するなどの予防接種の長期的なビジョンを欠いており、問題が起きた時にはその都度、対応をするといった措置をとってきた。社会状況にも大きく左右されてきた。

戦後、感染症の流行で多くの人が命を落とした。そこで、国の負担ですべての国民に強制的に予防接種を受けさせる対策が取られ、感染症の患者や死者は大きく減った。ところが1970年代になると、ワクチンの副反応や針の使い回しなどによる、予防接種制度の負の側面が大きな問題になった。健康被害を救済する制度ができたものの、1990年ごろには、ワクチンの副反応について国を訴える裁判が起きて国が敗訴した。このとき副反応の被害が問題になったのが麻疹(はしか)、風疹、おたふくかぜを予防する混合ワクチン(MMRワクチン)だ。MMRワクチンの接種は1993年で停止され、問題とされたおたふくかぜのワクチンを除いたMRワクチンの接種が2006年から始まった。

ワクチンに対する風当たりが強くなる中、1994年、「予防接種法」が改正され、それまで予防接種はすべての人に義務づけられていたのに対し、努力義務(勧奨)に緩和され、接種を受けるかどうかは、個人の判断に委ねられることになった。また定期接種の対象ワクチンも変わった。

予防接種法の改正でインフルエンザの定期接種がなくなり接種率が低下すると、高齢者のインフルエンザの集団感染や死亡が相次いだ。ビジョンのない予防接種制度の変更が裏目に出た格好だ。そこで2001年には高齢者のインフルエンザが定期接種に加えられた。

医療関係者らの働きかけもあり、昨年5月、国の専門家会議は「予防接種は感染症対策として最も基本的で効果的な対策の一つ」として、予防接種制度の抜本的な改正をするように国に求めた。

これを受け、今年4月に国の予防接種の中長期的な方針を決める新たな専門家会議(厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会)が始まった。年内には基本方針を固める予定で、ようやく長期的なビジョンに基づいた予防接種による感染症対策が実現しそうだ。

専門家会議では、基本方針だけでなく、個人のワクチン接種歴を一元管理する仕組みや、効率的に接種するための複数のワクチンをひとつの製剤にした混合ワクチンの開発、定期接種に加えるべきワクチンの検討、ワクチンによる副反応被害が生じた場合の救済策など、個別の具体的な案件も扱う見込みだ。

予防接種・ワクチン分科会は、基本方針の策定、副反応の検討、ワクチンの開発・生産体制の整備のそれぞれを検討する3つの部会からなる(写真は、5月23日に厚生労働省で開かれたワクチンの開発・生産体制を検討する部会の初会合)

予防接種は私たち一人ひとりに関わる。堀氏は、「予防接種の政策は、国や医療者、一般の人たちの間のコミュニケーションが重要と思っています。海外で予防接種による感染症対策が成功している国では、ワクチンや病気などの情報の伝達がうまくいっています」と指摘する。

5月17日に開かれた、基本方針を決める部会では、「市民にはワクチンに対する漠然とした不安があり、口コミとか風評で、ワクチンは怖いものだという評価が広がることもあります」(霞ヶ関総合法律事務所の弁護士、中山ひとみ氏)という声もあった。実際、副反応の被害などにより、予防接種や制度に対しての不信感は根強い。

そこで、国の専門家会議も私たちへの情報提供やコミュニケーションを重視している。

4月22日に開かれた初会合では、「国民から意見を聴取する点から、(会議の)傍聴者に発言を求める機会を設けてはどうか」と提案され、了承された。会議メンバー以外からの意見聴取は、米国のCDC(米国疾病予防管理センター)の諮問機関であり、接種するべきワクチンを決めるなどのアドバイスをするACIP(予防接種に関する諮問委員会)でも導入されている。国の専門家会議は誰でも傍聴できるほか、議事録や資料はWebサイトから見ることもできる

東京都感染症情報センターによると、今回の風疹の流行では脳炎など重症の患者がこれまでよりも多いという。大人が風疹になると子どもより重症になりやすいと言われる。

予防接種は自分には関係ないと思っていても、いつかは自分に跳ね返ってくる。私たち一人ひとりが予防接種について理解し、自分や周りの人の健康のためにはどのようにしていくとよいのか、合理的に判断していくことが重要だ。

著者プロフィール

長倉克枝
日本科学未来館・科学コミュニケーター
獣医学部出身。新聞社の科学技術部記者などを経て、2012年秋から未来館へ。ロボット、IT、脳科学、感染症、精神疾患などを取材中。
科学に関心のない人にも、面白がって読んでもらえる文章を書きたいです。