かつては、自宅やオフィスから一歩外に出ると「通信途絶」だったが、公衆電話の登場により、電話機があるところに行けば連絡を取れるようになった。さらに、ポケットベル(ページャ)、携帯電話、自動車電話、PHSなどといった無線移動体通信の出現で、むしろ「ネットワークにつながる」時代が当たり前になった。

では、戦場ではどうするか?

無線通信網しか使えない

われわれ一般人が個人レベルで通信網を確保する場面と同様、戦場で歩兵を情報化する際の通信網も、無線通信網を使用するしかない。

ひとつところにとどまっている指揮所であれば、昔から「野戦電話」なる有線電話網を設置する事例があるが、個人レベルで動き回る歩兵が、電話線をズルズル引っ張りながら移動するわけにはいかない。

そして、戦場では「移動体通信の基地局」とか「ISDN公衆電話」とかいった固定インフラの存在をアテにすることはできない。他の分野と同様、通信インフラも自前で持っていくものである。それが軍隊の自己完結性というものだ。

では、衛星通信はどうか。なるほど、地上のインフラは必要ないが、ただでさえ帯域不足・チャンネル不足に見舞われている軍用衛星通信である。個人レベルで通信網を確保するために、貴重な通信衛星のトランスポンダーを割り振るのは、まったく現実的ではない。それに、建物の中やトンネルの中など、衛星が見えない場所に入ったら使えなくなる。

しかも、衛星通信の端末機器はどうしても大掛かりになるから、その点でも個人携帯用には向かない。通信士が随行する指揮官のレベルであれば、その通信士が背負式の衛星通信端末機を持ち歩く選択肢はあり得る。しかし、それより下のレベルで衛星通信を多用するのは現実的ではない。

すると結論はひとつしかない。移動体通信網の基地局に相当する施設を、戦場に移動展開する必要がある。使用する通信手段は、3G携帯電話でも4G携帯電話でも、あるいはIEEE802.11系列でもよいだろう。もちろん、軍用の無線機で使用している独自通信規格でもよいのだが、民生用の通信規格を利用すると、あるメリットが出てくる(その話は次回に)。

基幹ネットワークと現場のネットワーク

といったところで、マイナビニュースの記事「NEC、陸上自衛隊向け「野外通信システム」とその生産設備を公開」を参照してみていただきたい。これは陸上自衛隊が配備を開始した新しい野戦環境向け通信システムに関する記事だが、まさに前述した通り、「移動展開が可能な基地局」を車載化して持ち込む構成になっていることが分かる。

ただし、個人あるいは車両が備える端末機同士で、現場限りのクローズドなネットワークを構築することもできる。つまり、IEEE802.11無線LANにおけるインフラストラクチャー・モードとアドホック・モードの違いと同じだ。

ただし、移動展開が可能な基地局があるだけでは、いわば「戦場にアクセスポイントを持ち込んで無線LANを構築しただけの状態」であり、他の部隊、あるいは上級司令部との通信が成り立たない。

携帯電話やPHSでは、各地に設置した基地局同士を有線通信網で結んでネットワーク化したり、他社の通信網と接続したりすることで、全国ネットの通信網を構築している。それと同じように、この手の野戦環境向けの通信システムでも、戦場に持ち込んだ「基地局」から、上級司令部や他の部隊とつながるようにする仕組みが必要になる。

だから、陸自の野外通信システムがそうしているように、「基地局」にあたる通信機材からは、光ファイバーのような有線通信手段、あるいは衛星通信を使用して、上級司令部や他の部隊との接続性を確保する必要がある。

その衛星通信も、停止しないと通信できないのでは部隊の機動を妨げるから、走りながら連続的に衛星を追尾しつつ通信を行えるようにする、いわゆるCOTM(Communications-On-The-Move)機能を実現する方向にある。

その一例が米陸軍のWIN-T(Warfighter Information Network-Tactical)で、初期型のWIN-Tインクリメント1は停止しないと衛星通信を行えなかったのに対して、改良型のWIN-Tインクリメント2は走りながら衛星通信を行える。

特に、戦車・歩兵戦闘車・自走砲を中核とする快速機動部隊が移動しながら通信を確保できるようになれば、そのメリットは大きいだろう。上級司令部と連絡を取る度に部隊を停止させていたのでは仕事にならないし、停止させたところを敵軍に襲われたら洒落にならない。

歩兵のレベルで通信網を展開する場合、人が歩いて移動する速度は大して速くないから、基地局にあたる通信設備がCOTM機能を持つ必然性は薄いかも知れない。むしろ、建物の中や地下トンネルに入ったときでも通信を確保できるようにするとか、多数の歩兵が同時に通信できるように多元接続性を持たせるとか、混信や干渉に見舞われずに安定した通信を行えるようにするとかいう話の方が重要ではないかと思われる。

もちろん、無人偵察機からリアルタイムで動画を送ってくるような場面に対応できるだけの、充分な伝送能力を持たせることも重要である。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。