シミュレーションの利用について取り上げるシリーズの最後は、海である。ただ、海には海の事情があるので、シミュレーションを利用する場面や考え方については、陸や空とは異なる部分もある。

指揮管制装置で模擬訓練

海軍におけるシミュレーションの活用で目立つのは、センサーや兵装の操作・運用に関するシミュレーション訓練といえるだろう。

現代の軍艦はセンサーや兵装を指揮管制装置でとりまとめた「システム艦」だから、その指揮管制装置にシミュレーション訓練機能を受け持つソフトウェアを組み込めば、標的を用意したり実弾を撃ったりしなくても、センサーや兵装に関する操作、あるいはさまざまな状況を設定する戦術面の訓練を行える理屈だ。

この辺の考え方は、本連載の第48回で取り上げた、戦闘機のシミュレーション訓練機能を練習機に組み込む話に似ている。その気になれば、艦が港に碇泊している状態でも戦闘訓練を行えるのだから、便利だし経済的だ。

ひょっとすると見られるかも? 主機操縦シミュレータ

飛行機の操縦をシミュレータで訓練するのだから、フネの操艦だって……と考えるのは自然なことだし、実際、操艦訓練用のシミュレータを使っている事例もある。

ただ、海の上でフネを操る場面では風や波の影響もあるし、そもそもフネというのは自動車や飛行機と違って、操作した通りにサッと動いてくれない。だから、操縦訓練についてはやはり、現場での慣れがモノをいう。舫や錨などといった、船に固有の装備を扱う作業もしかり。

では、シミュレータとあまり縁がないのかというと、そういうわけでもない。実艦に搭載しているものと同じ機器を陸上の訓練施設に設置する事例もある。その一例が、横須賀の海上自衛隊・第二術科学校に設置されているガスタービン主機の操縦訓練機材だ。

海自の護衛艦には「主機操縦室」という区画があり、そこで艦橋からの指令を受けて、艦を走らせる動力源となるガスタービン・エンジンを動作させたり、トラブル発生時の対処行動をとったりしている。

たとえば、どこかの部位が過熱したので対策を講じる必要があるとか、戦闘被害の発生によってエンジンを止めなければならないとか、止めたエンジンを再起動させるとかいった具合に、想定できそうな状況はたくさんある。飛行機のシミュレータ訓練と同じで、実艦を使ってトラブル対処の訓練を行うのは難しいから、シミュレータの方が具合がいい。

そうした作業について訓練するために、第二術科学校には実艦に装備しているものと同じ主機管制盤を設置して、別室にいる教官がさまざまな「状況」を設定して訓練を行えるようにしている。この施設は、第二術科学校を一般公開する際に公開対象になることがあるので、機会があったら訪れてみると良いと思う。

海上自衛隊の第二術科学校にある、ガスタービン主機の模擬操縦訓練機材。管制盤は実艦にあるものと同じで、近くにある管制室で教官が「状況」を設定して操作訓練を行う

水測状況の予察

いきなり馴染みの薄い言葉を出してしまった。これは主として潜水艦の探知・追跡に関わる言葉である。

海中では電波が透過しないので、レーダーは探知手段にならない。潜水艦が浅い深度にいて、かつ海が澄んでいれば目視できる可能性もあるが、いつもそんな僥倖に恵まれるとは限らない。そこで、海中における探知手段の主力は音響センサー、すなわちソナーということになる。潜水艦だけでなく、機雷の探知でもソナーを使う。

ところが、海中における音波の伝播は一筋縄ではいかない。常に音波が同じ速度で直進してくれれば話は簡単だが、実際には、海水の温度や塩分濃度が変わると、音波の伝播速度が変化する。

しかも、海水の温度は一様ではなく、深度ごとに異なる温度を持つ層に分かれていることがあれば、そうした層ができないこともある。悪天候で海が荒れれば、これも影響する。川が海に流れ込んでいるところの沿岸部と外洋とでは、当然ながら塩分濃度が違ってくる。

また、音波が常に直進するとは限らず、海中で湾曲したり、海底に反射したりといったことも起きる。

このように、海中における音波の伝搬は複雑なので、まず「目下の作戦海域では、音波の伝搬はどのようになるか」が分からないと、潜水艦の探知が成り立たない。音波の伝搬状況に関する判断を間違えると、明後日の方向に潜水艦を探しにいって空振りに終わる危険性がある。

そこで、計算のためのモデルを作り、音波の伝搬に関わる諸条件に関するデータを取り込んで、コンピュータによってシミュレートすることで伝搬状況がどうなるかを予測するのが、いわゆる水測予察技術である。

ただ、太平洋や大西洋といった広い外洋と比べると、浅海面・沿岸域では水測状況が複雑になり、かつノイズの発生源や乱反射の原因が多いので、予測は難しくなる。

水測予察に際しては、リアルタイムのデータが必要になることもあれば、事前に海洋観測艦を初めとする各種の資産を駆使して集めておいたデータを使うこともある。たとえば、自記温度計を投下して深度ごとの水温の変化を調べるのは、リアルタイムのデータ収集の一例だ。

水測予察技術によって、実際の状況に近い高精度の音響伝搬に関する予測が可能になれば、ソナーの探知能力に関する見当をつけられる。実は、これは被探知側となる潜水艦にとっても重要な話だ。「どこにいたら見つかるか」「どこにいたら見つかりにくいか」を知るための材料になるからだ。

こういう事情があるので、対潜水艦戦を重視している海軍、あるいは潜水艦を運用している海軍の能力を推し量るためのひとつの指標として、海洋観測の能力や、そのために利用できる資産の多寡が挙げられる。実のところ、潜水艦以上に海洋観測艦や測量艦に関する情報秘匿の度合は高い。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。