本コラム第二回では、米国ラジオ界の寡占と集中、その結果起きている弊害などについて報告した。今回は、同じように米国のテレビ界がどのような変遷を遂げて、今日のメディア・コングロマリットといわれる複合企業体に発展してきたのかを、コロンビアビジネススクールのエリ・ノーム教授の研究(Media Concentration in the United States)を中心に追求してみよう。
FRCが改組しFCCに、大胆な規制緩和行う
米議会は1927年、ラジオ放送の条件を設定し、放送免許を与えるための連邦政府独立委員会、FRC(Federal Radio Commission)の設立を議決。1934年、FRCはFCC(Federal Communications Commission、連邦通信委員会)に改組された。
FCCは、ラジオおよびテレビ放送で使用する全ての非政府組織、全ての州間電気通信(人工衛星を含む)、米国で発信または着信される全ての国際通信に関する行政権限を握り、ラジオやテレビ、通信業界の事業分野、事業活動の枠組みを設定してきた。つまり、米国の通信・放送界の歴史は、ほぼFCCの歴史と重なるといって過言ではない。
この間、FCCはメディア間の市場競争を促進する目的から、様々な行政介入を行う一方で、大胆な規制緩和も行ってきた。例えばラジオ全盛時代の1940年に、NBC(National Broadcasting Company)に分割命令を出して第3の全国ラジオ放送網、ABC(American Broadcasting Company)を誕生させた。
また、テレビの創成期、NBC、ABC、CBS(CBS Broadcasting Inc)の三大ネットワークが巨大化して圧倒的な世論形成能力、影響力を持ったことに対し、番組制作と配信(ネットワーキング)の分離(現在日本で議論されているソフトとハードの分離)を実現させ、権力分散を図った。奇しくもこの政策は、映画の斜陽化により衰退し始めたハリウッドをコンテンツ生産基地として再生させた。また、「電波帯域の公開入札」という日本では考えられない手法も導入してきた。
「免許は保有者に放送事業を行うことを許している。かといって保有者は、国民(の権利)を無視して周波数を占有する憲法的権利を有していない。周波数は視聴者、すなわち国民の権利なのである。この原則は永遠である」。
1969年のこの連邦最高裁判所判決は、よくFCCのバックボーンとして引用される。つまりFCCは、放送、通信にかかわる国民生活の護民官の役割を期待されているのだ。
1987年、FCCがついに「公平原則」を破棄
その観点から見て、FCC74年間の歴史に残る決定は、「革命」ともいえる以下の三つではないだろうか。
第一は日本の放送法のお手本にもなった「Fairness Doctrine(公平原則)」の破棄である。「公平、平等、不偏不党」の原則は、なぜ破棄されたのだろうか?
「有限で希少な電波帯域を使って放送事業を行うのだから、免許保有者は、政治的に中立で、公正、平等な放送を行う義務がある」。
これが「公平原則」を支える根拠である。こうした立場から、「放送が個人批判をした場合は、反対者の意見表明に同じ時間を与える」などのルールが存在した。しかし1984年、連邦最高裁は、FCCと婦人有権者連盟(League of Women Voters)との係争で、以下の注目すべき判決を下した。
「公平原則の基礎をなす電波の希少性は拡大する通信技術の中において適合しなくなった。むしろ公共の活発な意見交換を妨げている」。
多数派判事の一人は判決理由で以下のようにも述べている。
「この原則は自由な論争の委縮につながる。そしてこの原則が言論の自由を鼓舞するのでなく委縮させるものだとするなら、最高裁はこの原則の憲法的修正を求めるべきである」。
この判決は、1980年の大統領選挙で共和党のロナルド・レーガン氏の選挙キャンペーンスタッフを務め、「公平原則の破棄」を掲げたマーク・ファウラーFCC委員長の立場を著しく強化した。かくして1987年8月、FCCは、「公平原則」を破棄したのである。
公平原則の破棄をきっかけに誕生した「CNN」と「FOX TV」
これに対し米議会は同年、「公平原則」の存続法案成立を図ったが、レーガン大統領の拒否権で葬り去られた。また民主党は1991年にも、「公平原則」の復活を図ったが、父ブッシュ大統領が拒否権発動の構えを見せたため断念している。
委員任命が大統領権限である以上、FCCが時の政権の意向を反映するのは当然だろう。おそらく民主党が上下院の多数を占める可能性の高い2009年の議会では、「公平原則」のほか、「ライセンス保有ルール」などについても見直しの動きが出るだろう。
「公平原則」問題は、言論の自由との関連で語られることが多いが、見方を変えれば、米放送界の活性化や市場の拡大につながった面は見逃せない。確かに周波数帯域の枠は有限だが、人工衛星や有線テレビ、大容量電話回線網の整備という技術革新によって、利用者にとってのコミュニケーションツールとプラットフォームは、ほぼ無限になった。
ここに着目したFCCは、テレビ局開設の規制を大幅に緩和した。この中から、人工衛星とCATVをつないだCNN(Cable News Network)が誕生する。また第4番目の全国放送「FOX TV」が誕生。数々の宗教チャンネルや強烈な政治トークショウも生まれた。
FCCが下したあと二つの「革命」は、通信分野におけるAT&Tの分割とメディア保有ルールの改正(規制緩和)だろう。これらについては次回、説明しよう。(原稿作成にあたっては、Edwin Baker"Media Concentration and Democracy"、Red Lion Broadcasting Co. v. FCC 395US367訴訟記録などを参考にしました)。
執筆者プロフィール
河内 孝(かわち たかし)
1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。著書に「新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)」、「YouTube民主主義(マイコミ新書)」がある。