iPadの出現はコンテンツ業界の福音となるか

iPadの参入でアメリカにおける電子情報端末の三つ巴の争いが面白くなってきた。この流れが日本にどのように波及するかを予測してみよう。

まずiPad以降アメリカで起きている動きを簡単にまとめてみよう。電子媒体市場になだれ込んできたiPadへの出版界の反応は、全体として好意的だ。その代表例を「ボーグ」「ニューヨーカー」などハイブローな雑誌を数多く発行するコンデナスト社の電子事業部長サラ・チャッブの発言に見ることができる。

「iPadの出現でゲームのルールが変わると思う。なぜならこんなに多くのコンテンツを一つのツールで利用できるようになるのだから。キンドルを買った人は、それ以前より多くの新聞、書籍を買っている。だからこうしたデバイスは人々により多くのメディア・コンテンツを消費させることになる。それは私たちにとってもいいことじゃないか」

新しく生まれたマーケットでは、まず先行してビジネスモデルを作った社が創業利得を確保する。並行して新市場に多くの企業が参入するにつれて価格破壊が起こるがマーケットの規模は拡大する。

ソニー・リーダー、キンドル、米大手書店のブックリーダーであるヌック(nook)、IREXそしてiPad……。情報端末といっても、その機能は少しずつ異なっている。言うまでもないことだが、iPadは文字媒体のみならず、ビデオ、音楽視聴、ウェブブラウザ、位置情報機能(Wi-Fi+3Gモデル)なども搭載して「オールインワン」を目指す。

キンドル陣営も新価格体系で対抗

これに対しキンドル、リーダーは、基本的に電子書籍端末に徹している。この重なりあう分野、新聞、雑誌、書籍など提供コンテンツの利益配分に関し、セオリー通り価格破壊の動きが起きている。

iPadのブックストアー(iBookストア)では、コンテンツを提供する出版社側にEブックの値段を選ばせる。選択肢はハードカバーのベストセラーで12.99ドルか14.99ドル。ベストセラーでない場合、9.99ドルという価格選択もある。アップル側はこの内30%を取り、出版社側が70%を取るという。14.99ドルの場合、アップル4.49ドル、出版社側10.49ドルの配分なわけだ。

一方、キンドルは取引の詳細を公表していない。1月27日付のウォールストリート・ジャーナルによると、ベストセラーについて定価を紙製のほぼ半額と固定しているという。店頭28.95ドルの書籍の場合、出版社に14.50ドル程度を支払う。一方、キンドルは価格を平均、9.99ドルに固定しているから一冊売るごとに約4.50ドル損をすることになる。この赤字覚悟の販売によりEブック市場の独占を図ってきたわけだ。

キンドルにこうした「商法」が可能だったのは、昨年までに500万台と、世界で急激に伸びている端末売り上げのほとんどをKindle2とKindle Deluxeが占めていることがある。つまり創業利得のストックである。

さらに新聞、雑誌配信に関しては売り上げの65~74%を取っているし、著作権の切れた作品、ベストセラーではない作品ではしっかり稼いでいる。

そのキンドルが、今年1月末から2月にかけてiPad対策として新しい価格政策を導入した。第一は、(1)10ドル未満で (2)店頭の紙製よりも2割以上割安──などの条件を満たす書籍については出版社への売り上げ還元率を70%に引き上げる。第二は、主要出版社の要請によって9.99ドルという固定価格をより高値に設定できるようにした点だ。

iBookストアの登場は、出版社(著者)にとって販売価格を選択できるアップルがいいのか、固定だが取り分が若干よいキンドルにするか、というチョイスを生んだわけだ。アマゾンの新価格戦略は、このギャップを埋めようというものである。いずれにしてもアマゾン一人勝ちの時代に比べると、iPadの参入で配給側の競争が激化し、コンテンツ供給側にメリットが生まれた。この競争は末端価格に及ぶことは必至で、いずれメリットは消費者にも及ぶだろう。

今後の注目点は、互換性のない数機種の中で誰が「勝者」になるかだ。

iPadは、すでに主要テレビネットワーク、ビデオゲーム出版社ともコンテンツ提供交渉を始めているという。ネットワークにとっては、これに応じた場合、最大の顧客であり、収入源でもある衛星、有線テレビ各社との関係が壊れかねないという問題を抱えている。

しかしiPodを敵に回した米レコード業界は致命的打撃を受けた。簡単に契約には至らないだろうが、流れは決まっているように思われる。

電子書籍に遅れをとる国内出版は?

こうした動きに対して日本側の反応はどうか。講談社、新潮社、小学館など大手出版13社で組織する「日本電子書籍出版社協会」では、今年一月から本格的対応を協議し始めた。メンバーの一人は、「一部新聞報道にあったコンテンツをブロックするといった気はない。適正なルールと料金設定で話がまとまれば積極的にコンテンツを出す」と前向きだ。

米国と違って大手取次に市場支配力があり、中小零細書店が数多くある日本の場合、「紙から電子」へと移行する際、何らかの激変緩和処置が必要になるだろう。アマゾン・ジャパンでは今年10月前後のキンドル日本語版サービス開始を目指しているという。その場合、新聞界はどうするのか。

いずれにしてもアメリカから3年遅れて日本にも本格的な電子書籍時代が到来しつつあるわけだ。

執筆者プロフィール : 河内孝(かわち たかし)

1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。近著に『次に来るメディアは何か』(ちくま新書)のほか、『新聞社 破綻したビジネスモデル』『血の政治 青嵐会という物語』(新潮新書)、『YouTube民主主義』(マイコミ新書)などがある。