京都大学(京大)と鹿島建設は7月5日に、月や火星において、衣食住を可能にし、社会システムを構築するために向けた共同研究に着手することに合意したことを共同会見にて発表した。

会見では、『月・火星での生活基盤となる人工重力居住施設「ルナグラス・マーズグラス」』、『惑星間を移動する人工重力交通システム「ヘキサトラック」』、『宇宙に縮小生態系を移転するためのコンセプト「コアバイオーム」』という大きな3つの構想が掲げられた。将来的に、人類が月や火星に定住して新天地としようとしたときに生じるであろう問題を解決する提案である。

今回の連載は、これら興味深い3つの構想をそれぞれ1つずつ掘り下げて紹介している。2回目となる今回は、『惑星間を移動する人工重力交通システム「ヘキサトラック」』を取り上げる。今回の構想は、今回の京大と鹿島建設の共同研究の中心をなす研究者の1人である、京大大学院 総合生存学館 SIC 有人宇宙学研究センターの山敷庸亮センター長/教授によるものだ。

微小重力下における人体への影響

人類は1G環境で進化してきたことから、長期間にわたって微小重力環境に居続けると、人体に悪影響が出ることがわかっている。現在の宇宙船/ロケットの推進システムでは、地球から別の惑星に向かう場合、非常に時間がかかる。それが地球のすぐ外側を公転する火星であり、最接近のタイミングを見計らったとしても最低でも半年はかかる計算だ。

わずか半年ではあるものの、それだけの期間にわたって微小重力環境にさらされ続けると、人体は筋力が衰え、骨量が減少してしまうことが分かっている。国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在している宇宙飛行士は、筋力の低下などを防ぐための運動や、骨粗しょう症治療薬などを服用することで、少しでも筋力や骨量の低下を抑える努力を日々行っている。

地球-月圏と火星の間の移動においても、微小重力環境の問題を解決しない限りは、同じ問題が生じると考えられている。つまり、将来的に人類の居住圏が月に加えて火星にまで広がっていったとき、地球-月圏~火星間を移動し、目的地についた後、当分の間は入院やリハビリをする必要が生じることとなる。

目的地が火星の場合は地球に比べ1/3Gのため若干楽かもしれないが、そうした環境に慣れた身体で地球に帰ってくる場合は非常に厳しい状況になるといわざるを得ない。ビジネスであってもレジャーであっても、火星まで行って、目的を終え、地球に帰ってきたら数か月ほどの入院やリハビリが必要になるのであれば、誰も火星に行こうと思ってもらえず、また、火星に定住した人にとっても、地球へ里帰りする気にはなれなくなるはずだ。こうした状況は、火星と地球の間で人類の分断を強めてしまうかもしれない。

ヘキサトラックのコアとなる「スペースエクスプレス」

そこで今回の構想で提示されたのが、宇宙空間を航行する際にも、宇宙船内に1G環境を再現できるようにするというアイディアを具体化することを目指した人工重力交通システム「ヘキサトラック」である。

  • 惑星間を移動する人工重力交通システムヘキサトラックのコンセプト

    惑星間を移動する人工重力交通システムヘキサトラックのコンセプト (出所:共同会見配付資料)

ヘキサトラックのコアとなるのが、「スペースエクスプレス」だ。新幹線の車両サイズ(全長25m×全幅3.4m×全高4.5m)に収まり、かつ標準軌(1435mmのレール幅)での動力システムを持つ、6両編成の鉄道(リニアモーター)系交通手段で、さまざまな役割を兼ねるという。まずは人工重力居住施設のルナグラスやマーズグラスの垂直方向の移動に用いられる都市鉄道としての役割だ。そして、複数のグラス間をつなぐ都市間鉄道としての役割も担う。

  • ヘキサトラックのコアとなるスペースエクスプレスのイメージ

    ヘキサトラックのコアとなるスペースエクスプレスのイメージ (C)構想:Yosuke Alexandre Yamashiki、デザイン:Juniya Okamoto、アドバイザー:Takuya Ohno、イラスト:Ayu Shiragashi (出所:共同会見配付資料「補足資料 ヘキサトラックシステム Hexagon Space Track System 地球・月・火星惑星間軌道輸送システム」)

さらにスペースエクスプレスは、月および火星においては、「レールランチャー」を用いて宇宙空間へも打ち出される。目的地は、月の場合は周回軌道上のルナ・ステーション(アルテミス計画で建造される月周回有人拠点ゲートウェイを利用することが想定されている)で、火星の場合は衛星フォボス上への建設が検討されているマーズ・ステーションだ(地球の衛星軌道には、ISSの後継ステーションにテラ・ステーションとしての機能の設置が考えられている)。月と火星の宇宙への玄関口であるステーションとグラスをつなぐのが3つ目の役割である。

なお宇宙に射出する際は、それぞれの車両をバーで連結して直進性を保つようにするという。また車内は機密性が確保され、1気圧が保持される仕組みだ。そのほかステーションからグラスに向かって降下する際、大気がある場合(火星)は翼も展開して揚力も利用する(滑空する)としている。

そしてレールランチャーは、リニアモーターカタパルトなどの加速によるレールガン技術を利用した射出装置だ。ただし、レールランチャーだけで月や火星の脱出速度を得ようとするとかなりの初速が必要になるため、スペースエクスプレスの先頭および最後尾にロケットエンジンを備えた車両をドッキングし、乗客が不快にならない程度の加速度でレールランチャーにより射出された後に、継続加速で月や火星の重力圏を脱出する仕組みだ。

そして各ステーションでは、電磁力を利用してガイドレール上に誘導・固定され、そのまま低速度で「ヘキサインジェクター」と呼ばれる機構のある装填場へと向かう。ヘキサインジェクターにおいて、スペースエクスプレスは1両ずつ切り離され、すぐ目の前で待機している六角形をした「ヘキサカプセル」の6つに仕切られた区画に1両ずつ収納される。この収容を考慮し、スペースエクスプレスの車両は台形をしている。

  • 月面の人工重力居住施設ルナグラスの外観イメージ

    月面の人工重力居住施設ルナグラスの外観イメージ。その周囲にあるらせんが、スペースエクスプレスのガイドレール (c) 鹿島建設(出所:共同会見配付資料)

  • 火星の人工重力居住施設マーズグラスの外観イメージ

    火星の人工重力居住施設マーズグラスの外観イメージ。ここでは、マーズグラスの周囲をかこむらせんのガイドレールは描かれていないが、火星面上にマーズグラス間をつなぐガイドレールが描かれている (c) 鹿島建設(出所:共同会見配付資料)

  • 月面に設置されたレールランチャーのイメージ

    月面に設置されたレールランチャーのイメージ (C)構想:Yosuke Alexandre Yamashiki、デザイン:Juniya Okamoto、アドバイザー:Takuya Ohno、イラスト:Ayu Shiragashi (出所:共同会見配付資料「補足資料 ヘキサトラックシステム Hexagon Space Track System 地球・月・火星惑星間軌道輸送システム」)

  • ヘキサインジェクターのイメージ

    ヘキサインジェクターのイメージ。緑色の物体がスペースエクスプレスで、青の物体がラージカプセル (C)構想:Yosuke Alexandre Yamashiki、デザイン:Juniya Okamoto、アドバイザー:Takuya Ohno、イラスト:Ayu Shiragashi (出所:共同会見配付資料「補足資料 ヘキサトラックシステム Hexagon Space Track System 地球・月・火星惑星間軌道輸送システム」)

これは、スペースエクスプレスは惑星間の長距離航行宇宙船のコンパートメントの役割も担うということだ。この仕組みにより、ルナグラスとマーズグラスの間であれば、乗り換えなしで移動できるということになる。ちなみに地球上とテラ・ステーションの間は、地球の重力が強いなどの問題もあるため、スペースエクスプレスの利用が適しているのかどうかは検討中としている。

2種類の大きさが用意されている移動用カプセル

長距離移動用のヘキサカプセルには、半径15mのミニカプセルと半径30mのラージカプセルがある。ミニカプセルはテラ~ルナのステーション間の4日間の短距離移動に使用される。一方のラージカプセルは、テラおよびルナの両ステーションと、マーズ・ステーションの間の、最低でも半年に及ぶ惑星間航行で使用される。どちらのカプセルにもロケットエンジンが装備されており、なおかつ宇宙放射線の遮へいも考慮された設計だ。

ミニとラージのカプセルの違いは単なるサイズの違いではなく、構造的にも異なる部分がある。ラージカプセルの場合、外枠がつながっていない構造をしているため、各車両からの移動は、放射構造の中心軸を利用することになるという。

ヘキサカプセルの宇宙放射線への対策としては、ラージカプセルの場合、スペースエクスプレスを収用するカプセルをアクリル2層のラミネートで水槽とし、スペースエクスプレスの周囲を中性子を吸収しやすい水で満たすことで防護壁とするという。アクリルの2層のラミネートの厚さは、50cmから1mほどとされる。なお、地球から火星へ向かう際は、水の輸送も兼ねるとする。ただし、それだと帰りは防護壁の水がなくなってしまうため、そこをどうするのかは今後の課題としている。

  • 惑星間の長距離移動用のラージカプセルのイメージ

    (上)惑星間の長距離移動用のラージカプセルのイメージ。左が防護シールドなしで、右が防護シールドあり。(下)地球~月間の短距離移動用のミニカプセルのイメージ。左が防護シールドなしで、右が防護シールドあり (C)構想:Yosuke Alexandre Yamashiki、デザイン:Juniya Okamoto、アドバイザー:Takuya Ohno、イラスト:Ayu Shiragashi (出所:共同会見配付資料「補足資料 ヘキサトラックシステム Hexagon Space Track System 地球・月・火星惑星間軌道輸送システム」)

そして、ヘキサカプセル最大のポイントが、前後方向の長軸を中心として回転することで、遠心力による擬似的な1Gを発生させられるという点だ。ラージカプセルの場合は、1分間に5.5回転で1Gがコンパートメントであるスペースエクスプレスの車両内に発生する仕様だ。

ミニカプセルの場合は、1G環境を再現するなら1分間に8回転弱。テラ・ステーションからルナ・ステーションへ向かう場合は、ルナグラス以外での活動を行う人のために、1分間に3回転強で月の1/6Gを再現することも考えられている。逆にルナ・ステーションからテラ・ステーションへ向かう場合は、1G環境が再現される。

ルナグラスとスペースエクスプレスが走る様子をイメージしたCGムービー (出所:YouTube 京都大学総合生存学館 宇宙・地球環境災害研究会宇宙生物学ゼミ)

スペースエクスプレス実現に向けた課題

さらに、スペースエクスプレスの課題としては、次の5点が挙げられている。

  1. 真空中での車両内の機密性、1気圧差を耐えうる窓とドア、連結部をどのように確保するか
  2. レールガンでの射出時の姿勢制御
  3. レールガンの出力とその動力源
  4. 連結時の減速メカニズム
  5. 大気のある惑星での滑空時における(翼を用いた)姿勢制御

また検討事項としては、以下の3点が挙げられている。

  1. 車両内部の構造
  2. ミニカプセルのコンパートメント:地球~月間はおよそ4日間なので、最低でも寝台特急と同様の仕組みが必要
  3. ラージカプセルのコンパートメント:地球-月圏~火星間はおよそ半年なので、個室が必要と考えられ、アメニティも必要となるが、その空間をどう確保するか

なお、地球は重力が強いため、スペースエクスプレスをレールランチャーで射出可能かどうかも要検討事項としている。

達成すべき課題はもちろん多いが、前回取り上げた人工重力居住施設のルナグラス・マーズグラスと、今回の人工重力交通システムのヘキサトラックを組み合わせることで、地球と月と火星の間の移動でも、低重力の月や火星での定住や長期間の滞在でも、ほぼ1G環境が維持されることになる。これにより、低重力や微小重力による人体への健康影響を最小限に抑えることが可能となるだろう。これなら、火星よりもさらにその先へも、人類は広がっていくことができるはずだ。

もちろん、火星より先への進出は現在の推進システムでは移動に年単位の多大な時間を要するため、食料や水、エネルギー、空気などをどうするかといった問題や、年単位で閉鎖空間に閉じ込められることによる搭乗者の心理的ストレスの問題などがある。

それに加え今回の構想では、宇宙放射線の遮へいについて地球から火星へと向かう場合は水を利用できるが、帰りはどうするかという点を解決しないとならない。

なお、宇宙船の宇宙放射線に対する遮へい問題については、量子科学技術研究開発機構が2021年9月に、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)が遮へい効果が高いといった研究成果を発表している。宇宙船などの構成材料は軽量であることも重要であり、その点ではCFRPは宇宙船の素材としても優秀だろう。同じ日本の研究機関の研究成果であり、そうした知見もぜひとも活用していただきたいところだ。

SF作品の世界では、登場人物たちが宇宙空間を薄い宇宙服だけで縦横無尽に活躍する様子が描かれることも多いが、現実の宇宙は単に呼吸ができるよう空気を確保すれば済むというわけにはいかない。微小重力や宇宙放射線などの問題があるからだ。

しかし、それが今回の構想により、そうした問題を解決し、人類が宇宙へと広まっていける可能性が高まったといえる。今回の共同研究が成果を出す際には、人類が宇宙を安全に移動し、月や火星、さらにはその先へと広がっていける可能性がより高くなることだろう。

最終回となる次回は、人類が宇宙に進出するに当たって、1G環境に加え、それ以外の地球環境の再現も重要であるということ、それを扱う『宇宙に縮小生態系を移転するためのコンセプト「コアバイオーム」』を取り上げる。