古典落語に、「宗論」という演目があります。代々、浄土真宗を信仰している家の旦那が、キリスト教に熱心な息子と口論になるのを、権助という飯炊きが仲裁するという内容のお話です。
「宗論」とは、仏教の教えの解釈を巡って起こる、異なる宗派間での論争のこと。このお話も元々は仏教の宗派同士の対立を描いていたのを、片方をキリスト教にアレンジしたものと言われています。
旦那とその息子、自分の信じるものを巡っての争いですから、お互いに一歩も譲りません。浄土真宗の家に生まれたのだから仏壇を拝むようにと説教する旦那と、教会の牧師を真似して聖書の教えを語り讃美歌を歌い出す息子。話がかみ合うこともなく、怒った旦那はついに息子を叩いてしまいます。
見かねた権助が「勘弁してやってください」と仲裁に入るのですが、その時にこんな川柳を引用するのです。
「宗論は どちら負けても(勝っても) 釈迦の恥」
仏教の哲学をはじめ、世の中に伝わっている様々な教えは人々が心穏やかに生きられるように考えられたものであって、争いを起こしてほしくて説かれたものではありません。それなのに、その解釈やそれぞれの信念を巡って人々が争っていたら、教えを作った人の思いが浮かばれない、という意味が込められた川柳です。
現代でも、好みや信念がもとでの争い事が絶えません。ともすれば同じものを好む人々の間でも、その中でのスタンスの違いにより争いが生まれています。
好きなもの、支持するもの、仕事のやり方、道具、作品の解釈などなど、思い入れが強いほど「これが一番、他はダメだ!」という極端な考え方に陥ったりするもの。また、それぞれの主義や信念をぶつけ合っているだけでは話が進まず、まともな議論にならないということもこのお話から学べそうです。
好きなものなどを巡って極端な思考に陥りそうになったり争い事が生じたら、「それは我々に争ってほしくて作られたものだろうか?」「それぞれの信ずるところをぶつけ合うだけのやり取りになっていないだろうか?」と考えてみると、冷静になれるかもしれません。
■こむぎこをこねたもの、とは?
■著者紹介
Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。その後、「こむぎこをこねたもの その2」、「こむぎこをこねたもの その3」、「こむぎこをこねたもの その4」をリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。
「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。