おすいものとなったこねたもの。麩はこむぎこでできています。食べたら茶碗を洗うようにと言っていますが、この一見当たり前の言葉にも、深い真理が表されたりするのです。

中国・唐の時代に活躍した僧侶、趙州和尚のもとに一人の修行僧がやってきて、「私はこのお寺に入ったばかりの新参者です。悟りについて教えていただけませんか」と尋ねました。

深遠な哲学の解説やありがたい説法が返ってくるかと思いきや、趙州はいきなり「朝ご飯は食べたかね?」と問いかけます。

意味をはかりかねている修行僧が「はい、食べました」と答えると、趙州は「ではまず茶碗を洗っておきなさい」とだけ指示しました。

僧はこれをきっかけに真理に気付いたと言われています。

今までにも何度か真理と日常を結びつける言葉やエピソードを紹介してきましたが、この問答にも「真理は特別なところにあるものではなく、日常の中に体現されるもの」という考え方が現れています。

修行を積み、何事にも惑わされない境地に至ったり、何か高い技術を体得することができても、考えに考えを重ね崇高な哲学を手にすることができても、「日常」というものは必ずついてきます。

振舞いや仕事がより丁寧になったり、今まで気に留めていなかったことに気付けたり、人にやさしく接することができたり…

知識や経験を積んで終わりではなく、それによってごく普通の日常をいかに良いものとすることができるか。そこからが本番なのかもしれません。

■こむぎこをこねたもの、とは?

■著者紹介

Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。「こむぎこをこねたもの その2」「こむぎこをこねたもの その3」もリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。

「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。