報酬に見る誤解
私がパチンコ屋でアルバイトしていた頃の話です。当時のパチンコ業界は、社会的ステータスも低く、地位向上のためにさまざまな取り組みがなされていました。「優秀アルバイト賞」もその1つで、サービス業としてのクオリティを高める狙いから、接客態度が優秀なアルバイトが各店から1人選出され、副賞として5,000円分の商品券が授与されました。
私は入社翌月から3ヵ月連続で表彰され、4ヵ月目に選から漏れました。その時、落選理由を店長からこう告げられました。
「同じアルバイトばかり受賞させると店長の指導力が問われる」
「なるほど」と頷くには若すぎました。何より、「毎月もらえる商品券」はすでに労働報酬の一部となっており、率直に述べれば「もらって当然のもの」。よって、私のモチベーションはガタ落ちしました。
心理学の世界では知られていることですが、「報酬」はモチベーションに悪影響を与えることがあります。やる気を引き出すことで人を効率的に動かすことを説く『モチベーション3.0』の著者であるダニエル・ピンクさんは、幼稚園児でも報酬を与えることでモチベーションが下がる例を『日経ビジネスオンライン』のインタビューで紹介しています。なかでも最悪の報酬が「金」だそうです。
「労働者は報酬を得るために働いている。それに報いるには金しかない」
といった異論がある方は「0.2」な経営者になる資質があります。労働におけるモチベーションと金銭報酬は逆の働きをすることもあるのです。
そして、マネージャーは辞表を提出した
永年U社長の片腕として苦楽を共にしてきたTマネージャーが、月曜日の朝、突然辞表を出しました。理由を問うと、モチベーションがゼロになったと言いました。
U社長の会社はプレイステーションやWiiといったテレビゲームソフトの中古販売業界では老舗に属します。ファミコンからスーパーファミコンに変わる頃、売れ続けるゲームソフトを横目に遊び終わったソフトは一部の古書店が買い取るか、友達と交換するかしか方法がなく、あとは廃棄されていました。U社長はそこに目をつけ、ゲームソフトの専門の中古売買を始めたのです。行き場をなくしていたゲームソフトがどっと集まり、一時期は笑いが止まらないほど儲かったといいます。
しかし、売買規模が大きくなるにつれ、ソフトメーカーと著作権を巡る争いが勃発しました。最高裁までたどりつき、ようやく法的結論が出てホッとしたのも束の間、法的裏付けを得たことで、こぞって大手古書店やレンタルビデオ会社が中古ゲーム市場に参入します。そこに、インターネットと携帯電話の普及が追い打ちをかけました。競合企業が増え、市場が小さくなったのです。
数字に気持ちは現れない
そうしたなか、U社長と二人三脚で苦楽を共にしてきたのがTマネージャーです。ゲームメーカーによる流通支配が始まると、その裏をかいた方法で人気ソフトを集めるために、2人で一晩中、クルマを走らせたこともあります。また、正規の仕入れルートから締め出された時は、朝一番に秋葉原の量販店で買い付けを行い、段ボール箱を抱えて電車で運んだこともあります。
こうしたTマネージャーの営業努力を支えたモチベーションは、社長と2人で会社を大きくしてきたという「自負」です。
しかし、不断の努力も消費者のゲーム離れは止められず、店頭の売上は前年割れを続けます。それでも、Tマネージャーは「これまでの苦労を思えばこの苦難も乗り切れる」と信じ、モチベーションを高めます。そこで、客を奪ったインターネットで客を捕まえることにしました。いわゆる、「ネット通販」です。
Tマネージャーはメルマガを発行し、ツイッターで新作情報をつぶやきます。開始初月から30万円を売り上げました。大企業のオンラインショップと比較すると売上は小さいですが、従来の人員のまま、追加投資のない状態での数字としては悪くありません。そして、翌月には倍増させました。死中に活です。
しかし、新たなモチベーションを確信したところに、U社長は冷水を浴びせたのです。
言葉は最高の報酬
前年対比、前年同月比の売上と粗利の一覧表を見て、U社長は吐き捨てます。
「全然ダメ」
確かに落ち込みをカバーするまでには至りませんが、「通常業務に加えて、ネット通販にも協力を惜しまない社員の努力を評価してほしい」と、Tマネージャーが食い下がると、こう答えが返ってきました。
「評価ってお金でしょ? この数字じゃ報奨は出せない(払えない)」
そこで、Tマネージャーは「そうではない。評価を求めている」と言葉を続けますが、U社長は遮り続けます。
「誰だってお金のために働いている」
「……もうダメだ」と気力が潰えた「モチベーション0.2」です。人を動かすのは金だけではありません。まして、U社長の会社の社員は時給900円前後で契約するアルバイト社員であり、店長クラスでも月額手取りが20万円にも満たないのです。有り体に言えば、金が欲しいならば別の会社で働くことでしょう。
Tマネージャーは社員の奥さんや子供の誕生日にささやかなプレゼントを贈り、体調不良と聞けばこまめに電話を入れて励ますなどして、社員のモチベーションを維持していたのです。ところが、U社長は「金で人は動く」と主張します。
そして、Tマネージャーは会社を去りました。Tマネージャーが望んだ「評価」とは「頑張った」の一言でした。気持ちを込めた言葉は1円も使わずに最高のモチベーションを引き出せるのです。
金銭報酬が愚策である理由は、「労働報酬」と錯覚しやすいからです。つまり、特別な報奨のはずが、同じ金銭であることから月給や時給と同等に受けとられやすく、転じて労働者の「権利」と勘違いされることがあるのです。それは、私がパチンコ屋のアルバイト時代にもらえるはずだった「商品券」と同様に。
エンタープライズ1.0への箴言
「人が働く理由は金だけではない」
宮脇 睦 (みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。
筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは