88円の玉子へのクレーム
近くのスーパーマーケットでは「お客様の声」と題して、掲示板で客から寄せられた疑問や不満に回答しています。そこにこうありました。
「玉子だけ買えるようにしろ」
特売で1パック88円の玉子の購入に「1,000円以上のお買い上げにつき1パック」という条件がつけられたことへのクレー ムです。多くの場合、88円の販売価格は1パック当たり、数円から数十円を店が負担しており、玉子だけ買われては赤字になってしまいます。
そして玉子の特売は集客が目的ですが、同時にお得意様への「サービス」の意味もあり、店側もそう回答します。この点から客の要求を換言すれば、「サービスだけ寄越せ」ということになります。
日本語における「サービス」は「もてなしの心」的なニュアンスを含みますが、はき違えてはならないのは「客の権利」ではないということです。あくまでも提供者の善意に基づいた自発行為であって、客に請求権はないのです。
ところが、これを声高に言えない時代の空気があるのも事実です。玉子のケースでは同じ主張を店員に直接ぶつける場面を見たことがあります。店員が平身低頭説明し、理解を求めるも、客の怒りは収まらず、吐き捨てるように言った台詞が「ケチくさい」。どっちがだと、私は心の中で突っ込みを入れました。
葬儀屋S社長の口癖である「サービス」の本意
サービスとは便利な言葉で、さまざまな「言外」の含みを持たせることができます。葬儀社を営むS社長の口癖は「サービス」。「ご葬儀を営まれるご家族には誠心誠意のサービスをさせていただく」と定価からの割引を提示し、お清め場をサポートするヘルパーの人件費もサービスとして計上せず、祭壇にはS社長の名前でぼんぼりがサービスされます。
サービスは取引業者にも適用されます。納入業者の見積書がそのまま裁可されることはなく、某かのサービスがS社長より「指定」されてそれを加えなければ、もっと良い「サービス」の業者に変えると脅迫します。
ホームページ制作も例外ではありません。提出したサイトの提案書は傍らに置かれ、見積り書を見て開口一番、「端数をサービスしろ」と要求します。業者は機能の説明から見積りの妥当性を主張しますが、S社長にとっての関心事はもはやホームページのクオリティではありません。粘り強い交渉の結果、端数のサービス……値引きに成功します。結論が出たと業者がホッとしたのも束の間、S社長はニヤリと笑い「消費税もサービスしてよ」。交渉はまだ終わってなかったのです。
ちょこっとならサービスでやってくれ
S社長の暴挙は止まりません。度々の仕様変更からコンテンツの追加と見積りの範囲を超えても、すべてが「サービス」だと言い切ります。サイトが完成した時には人件費ベースで赤字です。
そしてこれで終わりではなかったのです。納品後も追加変更を要求します。もちろんサービスとして。たまりかねた業者は、今後の変更は「更新」として別途料金だと告げると、S社長は見積りを要求します。提出された見積りを一瞥し吐き捨てるように言います。
「ちょっと直すだけでこの料金は高い。もっとサービスしろ」
業者の堪忍袋の容積にも限界が訪れました。
「料金は弊社の規定。御社の指示に従う理由はありません。そして……サービスは無料じゃありません」
こういって席を立ちました。同じく理髪店も美容室もサービス業。いずれも無料で髪を切ってくれませんし、ちょっと切ったから料金はちょっとでいいなどという主張が認められることはないでしょう。
ホームページの更新作業は素人目に見れば、僅かな手間のように映りますが、それは専門知識や技術があってのことです。また見積りとは、いわば「料金表」で、美容室でそれを見た客が「カット代が高い」という主張をしたなら、店側は「お引き取りください」と告げることでしょう。
葬儀社のサービスの仕組み
S社長はその後、別のホームページ制作業者を探しましたが、やはり「サービス」を要求するので契約は成立しません。結果、ホームページは店晒しにされ、数年前の最新情報がトップページを飾ります。過剰なサービスの要求により、業者が離れていく"サービス0.2"です。
実のところ、S社長自身のサービスにはこんなカラクリが。割引サービスとは、あくまで会社の制作したパンフレットにある「定価」からのもので、割引後の価格が実勢価格です。お清めに付くヘルパーの人件費はサービスしますが、「お心付け」として5,000円が請求されており、これがヘルパーに支払われるので事実上は料金が発生しています。最後にぼんぼりですが、祭壇の最も目立つ最前列に配置されており、これは参列者への自社の「CM」です。それもよく見ると「名札」は使い回しされ薄汚れています。
これが彼の言う「サービス」です。S社長自身は営業現場で「価格交渉」をしたことがないと地元の経営者が集まる会合で豪語しています。これを聞いていたある経営者は心の中で呟きます。「家族の葬儀で値下げ交渉はできないだろう」。
サービスとは無料ではなく、また客の権利でもないことを私たちは認識しなければならないのではないでしょうか。現在のデフレスパイラルは「客の声」に敏感になりすぎて起こった過剰なサービス競争も理由の1つと考えられるからです。
エンタープライズ1.0への箴言
「彼我を入れ替えて、その要求は妥当かを考える」
宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。